第十五章

その同じ日の真夜中、ブルートパーズのギタリスト、アレン・ヴァーノンはガールフレンドのミシェル・コナリーを助手席に乗せて車を運転していた。仕事が終わったミシェルを家まで送っていく途中だった。

「ねぇ、ミシェル、そろそろプロポーズの返事、聞かせてもらえない?」アレンはハンドルを握り運転しながら言った。

ミシェルはため息をつくと、

「アレン…何度も言うけど無理よ。私は小さくても診療所の医師だし、あなたは人気ロックバンドのギタリスト。住む世界が違い過ぎるのよ」ミシェルはアレンに顔を向けないで前を見たまま答えた。

これまで3回ほどアレンは諦めずにミシェルにプロポーズしていたが、同じ理由で断られていた。アレンは深々とため息をついた。もう何年も恋人として付き合っているのにミシェルは結婚のことになると躊躇して断るのだった。

「ねぇ、アレン、今の1ブロック戻ってくれる?こんな時間に女の子が二人かしら…フラフラしながら歩いていたわ」

ミシェルに言われてアレンは車をバックさせた。

戻ってみると確かに二人連れがフラフラしながら歩いていた。アレンはミシェルを車内に残して二人に近づいていった。

「こんな時間に、どうしました?」

アレンに声をかけられた人物が顔を上げると、足を引きずりながら歩くジェシカを支えて歩いてきたトニーだった。

「アレン…」

「トニーじゃないか、どうした?」

「いや、ちょっとゴタゴタがあって彼女を送っていく途中なんだ」トニーに支えられたジェシカがアレンに会釈した。

ミシェルが車を降りて近づいてきた。ジェシカの脚に気付き、

「アレン、私の診療所に戻ってくれる?この子は足の治療が必要だし、こんな遅い時間だもの。二人とも休ませた方がいいわ」

「そうだね。二人とも、車に乗って」アレンが言った。

診療所に着くとシャワーを貸し診察室でミシェルがジェシカの破られた服を着替えさせ足の傷の手当てをしている間に、アレンはトニーから経緯を聞いていた。

「赤茶けたレンガの建物…」アレンが苦々しい表情で言った。

「アレン、知ってるの?」

アレンは頷き、車のキーをジーンズのポケットから取り出した。

「トニー、今夜は、ここで休ませてもらえ。彼女、ミシェルは俺の友人だから心配ない。俺は今からそこに行ってくるから」

「待ってよアレン、どういうこと?何か知ってるなら教えてよ」トニーがアレンの腕を掴んだ。

アレンは立ち止まったが肩を震わせていた。

「すまない、トニー。ソイツはブルートパーズの元ヴォーカリストなんだ。たぶん活動を再開した俺らに対する嫉妬心からやったんだと思う」

歩きだし、車に向かうアレンをトニーは追いかけた。

「俺も連れてってよ」

トニーは助手席に乗り込んだ。

「ソイツはジェシカが働いているレストランの同僚だって自分で言ってたらしくて。さっきオーナーから話は少し聞いていたんだ。だけど、ブルートパーズの前のヴォーカリストなのは知らなかった…嫉妬心って…ジェシカは関係ないじゃないか!」

アレンは車を発車させた。

「陰湿な奴だから精神的にトニーを痛めつけたかったんだと思う。アイツは…何回も警察沙汰になることを起こしているんだ。何回も逮捕されて、もうバンドの活動が出来なくなって。辞めてもらったんだ」

運転しながらアレンは言った。

赤茶けたレンガの建物の前に着くとアレンは一緒に行って凹りたいと言うトニーを車の中で待たせた。

「いや、凹りに行くんじゃないんだ。奴と少し話をして、それから警察に引き渡す。一緒に行っても…冷静でいられないだろう?トニー、難しいだろう?待っていてくれ、な。あんな奴を凹ってもトニーが損するだけだ」

トニーは凹るつもりでアレンについて来たのだが、そう言われて大人しく待つことにした。

アレンが部屋に入ると男は、まだ苦しそうに呻いていて、投げつけられたベッドの下から、やっと這い出たところだった。

「ざまぁないな。サム」

アレンが声をかけた。

サムと呼ばれた男は乾いた鼻血でガサガサした顔でアレンを見上げるとガックリと項垂れた。無言だった。

「お前、さっきトニーの彼女を、」アレンが怒りを込めた声で言いかけると男は苦しそうな息遣いでアレンの言葉を遮り言った。

「ヤってねぇ!…ヤろうとしたら、このザマだ。救急車、呼んでくれ。ちくしょう、あの女暴れまくりやがって…アバラが折れたかもしれねぇ…クソッ、前歯が…」

喋った時に男の口から折れた前歯に血が混ざって床に落ちた。

アレンはため息をついて口を開いた。

「そりゃ暴れるだろう。それにヤった、ヤらないじゃない。ヤってなければ無罪放免だと思うな!お前の行動でトニーが、どれだけ心配したか、彼女が、どれだけ怖い思いをしたか想像つかないだろうな…何回も逮捕されて警察沙汰になっても変わらないな。何より警察が先だな。警察にも病院はあるから安心しろ。だけど、拉致監禁、婦女暴行未遂、おつりがくるな。サム、アンタはブルートパーズを既に辞めた人間だ。俺達が活動再開するのは関係ないだろう!メンバーの彼女を連れ去るとか、こんな騒ぎを起こされるのは迷惑だ。今後は一切関わらないでくれ」

「俺の行動が何だって言うんだ!それこそ、そっちと関係ねぇだろうが。可愛い女がいればヤりたい。それがブルートパーズのヴォーカリストの女だったって話だ」

アレンはサムの自分勝手過ぎる話を無視して携帯を取り出すと警察に連絡した。

男を警察に引き渡し色々と事情を話してアレンとトニーは明け方近くにミシェルの診療所に戻ってきた。

ジェシカは鎮静剤を打たれて眠っていた。

「あなたも少し横になった方がいいわね」

ミシェルはトニーにもシャワーを貸し、検査患者用パジャマも貸して簡易ベッドがある小部屋にトニーを案内した。

「あなたは怪我していないのね?そう、少し眠って。今日は休診日だから、ゆっくりしてってもらって構わないわ」ミシェルはテキパキと簡易ベッドを用意して問診すると安定剤を渡し眠れないようなら飲んで、と言ってトニーを横たわらせ毛布を掛けるとドアを閉めた。

「今日が休診日で良かったわ。あの子達、特に彼女は、ゆっくり休ませないと…で、話はチラッと聞こえたし、彼女からも聞いたけど、やっぱりアイツの仕業なのね?」ミシェルはコーヒーを注ぎながらアレンに訊いた。

アレンは頷いた。ミシェルは深くため息をつきながらアレンにコーヒーのカップを渡した。

「数え切れない逮捕歴と今回の拉致監禁、レイプ未遂とはいえ国外追放は間違いないと思うよ。今回のことはメンバーにも話さないと」

アレンはコーヒーを飲んだ。


昼前にジェシカは目を覚ました。警察が来て彼女からも事情を聞くと引き上げていった。

ミシェルは、その後ジェシカからジョージの連絡先を聞いて連絡した。ジョージは夕べ遅くにレストランのオーナーから事件の連絡を受けていたがジェシカに連絡が取れずに心配していたのだった。

連絡を受けて診療所にジェシカを迎えにきたが、病室はアレンが連絡したので既にブルートパーズのメンバーで溢れていた。

ブルートパーズの元ヴォーカリストが嫉妬心から新しいヴォーカリストであるトニーの彼女に危害を加えトニーの心にダメージを与えようとしたことでジェシカに怖い思いをさせてしまい申し訳なかったとメンバー揃って謝りに来ていた。

ジェシカは自分が店の中でトニーからのメールに気づくべきだったからブルートパーズのメンバーは誰も悪くないと言っていた。

ロバートがジョージに経緯を説明して頭を下げ、続けて他のメンバーも頭を下げた。

「本当に申し訳ありません」

ジョージはジェシカが無事だったことに安堵したし、元よりメンバーを責めるつもりは毛頭なかった。

「その、事件を起こしたという元メンバーの彼の心持ちの問題だからね」

「ふむ…」ジョージは腕を組んで少し考え込み、ジェシカに話し始めた。

「あのレストランに立派なピアノがあるから、オーナーに頼んだのだが…。こうなってから言うのもなんだけど最初から、私が経営しているレストランで演奏してもらえば良かったかもしれないね…オーナーからは夕べ連絡をもらっていたが。今のレストランは辞めさせてもらおう。ジェシカ、ピアノを置けるように私の店を改装するから少し時間がかかるけど、私がオーナーをしているレストランに場所を変えよう。代わりにロビーコンサートの予定を多めに組み込むから。住む場所も考えよう」

ジェシカは、ゆっくり頷いた。

ロバートが口を開いた。

「あの、ノースケッティアさん、差し出がましいかもしれませんけど…」

早朝にアレンからバンドのメンバーに連絡が行き、朝、出掛けにロバートは妻のマリアと話し合って、ジェシカに休養を兼ねて家に滞在してもらおうかと話していたのだった。

「うちにもグランドピアノはありますし、レストランの改装工事中に、どうでしょう?妻はピアニストですからジェシカさんとも話が合うと思いますし。もちろん家のピアノは自由に弾いて頂いて構いませんよ」

「そうですか…有り難いお話ですが」

ジョージは言いながらロバートに頷いてからジェシカに顔を向けた。

「こう仰って頂いているが、ジェシカ、どうするかい?」

ジェシカは気が進まなかった。トニーが在籍しているバンドのメンバーとはいえ赤の他人の家には行く気になれなかった。

「でも、そんな御迷惑おかけするわけにはいかないです。先ほども言いましたけど、私が夕べ店の中でトニーからのメールに気付いていたら、こんなことにはならなかったんですから」断る方向に話を持って行こうとするジェシカにロバートは言った。

「イヤ、迷惑だったら言いませんよ。妻もジェシカさんに来てもらいたがっていますし、それに脅かすワケじゃないけど奴の性格からして夕べ、そうして難を避けることが出来たとしても他の日に実行した可能性もあったし。幸い夕べ奴は捕まりましたけど」

確かに、そうかもしれない。

トニーと約束していなかったら…

ジェシカは身震いした。

ジョージにも顔を向けるとロバートは話を続けた。

「実は、そのレストランに妻が何回か友達と食事に行っていて、ジェシカさんの演奏を、とても誉めていまして」

ロバートが、ここまで話すと診療所の奥の方から女性の話し声が聞こえてきた。ミシェルが話している声と、もう一人、話しながらジェシカがいる病室に入ってきた。

「マリア」ロバートの妻のマリアも訪ねてきた。

「はじめまして、ノースケッティアさん。ロバートの妻のマリアです。ジェシカも、はじめまして、ね。私は一方的にあなたを知っているのだけど、お話するのは初めてね」

明るい金髪をショートカットにした快活な印象の女性だった。

「あなたは、何処まで話したの?」

マリアがロバートに訊いた。

「イヤ、少し前に話し始めたばかりだよ」

マリアの熱意が通じてジェシカはダンバー家に、ジョージのレストランの改装工事が終わるまで、住むことになった。

ジェシカがジョージに連れられ住んでいるアパートを引き払い、とりあえずダンバー家に行く為の支度をしにミシェルの診療所を去った頃、トニーは目を覚ました。

ブルートパーズのメンバーは残っていてトニーを囲んだ。

「本当に、すまなかった、トニー」

ロバートが口を開いた。

メンバーも次々にトニーに謝った。

「俺達は前任のヴォーカリストを解任した時にキチンと話をつけたつもりでいたんだ…それに、トニーにもメンバーとして経緯を話しておくべきだった」

「夕べ、アレンからも少し聞いたよ。キチンと話をつけても彼が理解していなかっただけじゃない?それに、ブルートパーズの活動再開に嫉妬したって話だし。ジェシカに危害を加えようとしたのは許せないけど」トニーは起き抜けで頭がハッキリしないものの、メンバーの気持ちは伝わっていた。

「そうだ!ジェシカは?」

ベッドから起き上がり、トニーは訊いた。

「トニー、さっきジョージさんやジェシカとも話をしたんだけど、しばらく彼女にうちに来てもらうことになったから、トニーも遊びに来るといい」ロバートが言った。

「そうなんだ…でも俺、明日から2週間くらい忙しくなるんだけど…」

「それは、いったい、どうして?」ロバートが訊いた。

「ブルートパーズに入る前に色々オーディション受けていて、なかなかバンド決まらないから何か気晴らしに仕事してみようと思って、で面接して仕事が決まった矢先にブルートパーズに入れて…その仕事を断ろうとしたら、人手不足だから、いつでもいいから来て欲しいって言われていたんだ」

「そうだったのか…でもジョージさんのレストランの改装工事に1ヶ月くらいかかるらしいから仕事が落ち着いたら気軽に遊びに来るといいよ」

ロバートが優しくトニーの肩に手を置いた。

「うん、ありがとう」


翌日にはジェシカはジョージと共にダンバー家を訪ねた。

広い豪邸で門を通って五十メートルは庭を歩き、薔薇が咲き誇るアーチをくぐり抜けキャラメルのような色の艶があるレンガの外装で1階建ての建物だった。

マリアが朗らかに出迎えた。

「いらっしゃい、ノースケッティアさん、ジェシカ。どうぞ中へ」

広い廊下に高い天井、シンプルで落ち着ける内装だった。

「これは、また見事な内装ですな」

ジョージがため息混じりに称賛した。

マリアは頷き、誉めてもらった礼を言ってジェシカは一番奥の部屋に案内された。

部屋は広々として天蓋付きの、まるでお姫様用のベッドと、シンプルな机が窓辺に置いてあり、バスルームもあった。

「この部屋を使ってね、それから、この扉ね」

机の横に壁とほとんど同化していてノブがなかったら扉が見つからないであろうと思える部屋の中にある扉をマリアは開けた。

扉を開けるとすぐに、また扉があり、ドアノブは下に下げて前に押すと開くようになっていた。

その扉を開けると大きな広い部屋があり、グランドピアノが置いてあった。

「この部屋は完全防音になっているからピアノ、自由にいつでも使って頂いていいのよ。あと他の部屋にもピアノがあるけど、もちろん、家中どのピアノも弾いて頂いて構わないわ」

ジェシカもジョージもピアノを見て同時に息をのんだ。

「ダンバーさん…こんなに立派なピアノ…弾かせて頂いて本当に、いいんですか?」ジェシカが声を上擦らせて訊いた。

「マリアでいいのよ、あなたの腕前は知っているし、ピアノも喜ぶわ」

マリアはジョージとジェシカに笑顔を向けた。

一緒にランチを、と声をかけるもジョージは仕事がある為に辞退した。

「それではダンバーさん、お世話になります、よろしくお願いいたします」

ジョージとジェシカは御辞儀をすると、ジョージはキビキビとダンバー家を去った。

「ジェシカ、とりあえず一緒にランチにしましょう、着替える?」

「はい」

優しく言うマリアにジェシカは答えて頷いた。

ランチの後にジェシカはピアノを弾いていた。

どのくらい弾いていただろうか…

ちょうど弾いていた曲が終わったところに、マリアがノックして顔を出した。

「ジェシカ、お茶にしましょう。アップルパイを焼いたのよ、好きかしら?」

ジェシカの目が輝いた。

「大好きです。アップルパイなら1年中いつでも食べたいって思っているの」

「良かったわ」マリアが優しく笑った。

明るいサンルームに案内された。白いテーブルに置かれたガラスのポットに入った紅茶が太陽の光を受けて綺麗なルビー色に輝きを放ち、マリアお手製のアップルパイが、まだ湯気を立てていた。切り分けられたアップルパイを見て、ジェシカはサラのことを考えていた。小さな頃、エドワードの屋敷に連れていかれた私を笑顔で迎えてくれた通いのメイドのサラ。いつでも優しくて色々な料理が得意だけどサラが作るアップルパイは絶品だ。

サラ、どうしているかしら…私が、この国に来てから1ヶ月ちょっと経ったけど…そろそろ手紙くらい書かなくちゃ。

サラにも伝えたいことが沢山あった。

ジェシカはマリアが焼いたアップルパイを食べて驚いた。

その昔、看護師のスージーが持たせてくれたアップルパイと、サラが作るアップルパイはカスタードクリームがたっぷりで優しい味わいだったけど…マリアお手製のアップルパイは全く違う味わいだった。

「マリアさん、これは…何の味つけですか?」

「シナモンよ…苦手だった?」

「ううん、シナモン入りは初めて食べました。とても美味しいです」

ジェシカは夢中になっていた。

ダンバー家で過ごし1週間が経つ頃には、ようやくジェシカも少し慣れてきた。

マリアは優しく心からジェシカを気遣ってくれているのが身にしみた。

ロバートの方は弦楽器の修理の仕事もしていて忙しく滅多に帰ってくることはなかった。

しかし、その1週間が経ち、ジェシカはトニーから一切連絡がないことに気を揉んでいた。

ロバートもマリアも、トニーが他に仕事するということを当然ジェシカにも連絡してあるだろうと思っていたので特に話題にしなかった。

トニー本人はジェシカが拐われた晩に何もなければ話しているところだったのに事件のゴタゴタで話すのを、すっかり忘れていた。、

トニーは仕事が思っていたより忙しく、その上、携帯を無くしてしまい、新しくしていた為にメンバーの誰とも連絡がつかないでいた。

もちろん、ジェシカは全く知らない。

トニー…どうしたのかしら…

いつもなら毎日のようにメールや電話をしてくれていたのに。ジェシカは悩んでいるよりも思いきって自分の携帯からトニーに電話してみた。

「この番号は現在使われておりません」アナウンスが流れ、

事情を知らないジェシカは驚いた。

トニー…どうして?

何回か、かけ直してみたが同じだった。ジェシカはフラフラとベッドの上に腰掛け泣き出した。

どうして?

私…、嫌われちゃったの?

トニーからのメールに気がつかなくて、あの男に拐われたから?…私が危なかったところを何回も…と言っても2回だけど助けてウンザリしちゃったのかしら…

トニーに初めて助けてもらった時や交わしたおやすみのキスや、一緒に食事したり散歩して楽しく過ごした時間を思い出してジェシカは泣いた。

マリアがノックして声をかけるもジェシカはノックに気付かず泣き続けていた。

返事がなくて心配したマリアが再びノックして声をかけて部屋に入り、泣いているジェシカに気づいた。

「まぁジェシカ、どうしたの?」

ジェシカは答えられずに号泣しているので、マリアはジェシカの隣に腰掛け抱きしめて落ち着くまで待った。

「…落ち着いた?」

マリアは、すすり泣きになったジェシカの髪を優しく撫でた。

「ごめんなさい…」

ジェシカが小さな声で言った。

マリアは、もう一度優しく抱きしめた。

「何も謝ることないのよ。でも、どうしてそんなに悲しんでいるの?話してくれる?」

ジェシカは話そうとしたが、悲しくて言葉にすることが出来なくて、また涙が溢れた。ようやくジェシカが、すすり泣きながらもトニーに嫌われたと思うということをマリアは聞くことが出来た。

「何か仕事をすると言っていたらしいから、あなたを嫌いになるなんて…考えられないけど…番号を変えたのかしら?ロバートに訊いてみるわ。もしかしたら携帯を失くしたのかもしれないわ…ね?」

ジェシカは泣きながら頷いた。でも私はトニーから何も聞いていないわ…再び悲しくなってきた。

マリアは自分の携帯からロバートに連絡した。

ロバートはマリアから連絡を受けてトニーの携帯に電話してみたが、もちろん通じなかった。

マリアはロバートから話を聞いてジェシカに話した。

「うちの人も携帯が繋がらなかったというのよ。番号を変えたとか何も聞いていないそうよ。失くしたんじゃないかしら。ね、あなたが嫌われた可能性は低いでしょう?」

ジェシカは、まだすすり泣きながらも頷いた。

ロバートは、その後、アレンやスティーブ、ジェイミーに連絡したが、メンバー全員もちろんトニーに繋がらなかった。トニー以外のメンバーが緊急で集まった。

メンバー全員が不安になっていた。

「いったい、どうしたんだ…事故にでも遭ったのか?」ロバートが呟いた。

「僕、今晩にでもトニーのアパートに行ってみるよ」

ジェイミーが立ち上がった。

「そうだな…、そうしてもらった方が何より早いかもしれない。ジェイミー悪いけど頼む。何か判り次第、何時でも構わないから連絡してくれ」

アレンとスティーブも連絡は何時でも構わないと言ってジェイミーに託した。

一方、トニーは仕事が忙しい中、落ち着いたらメンバーやジェシカに新しい番号を教えなきゃ、と考えていた。

仕事は不規則で真夜中に部屋に帰ることは珍しくなかった。

約束した2週間という期間が終わりかけていた。

真夜中に自分の部屋に帰るべく歩いているとアパートの前に誰か立っているのが見えた。

近づいてみるとジェイミーだった。

「ジェイミー、どうしたの?こんな時間に」

ジェイミーは眠そうに欠伸していたところだった。

「トニー、無事で良かった。携帯が繋がらないから皆、心配しているんだよ。どうしたのさ?」

「あ!…イヤ、その…携帯失くしちゃったから番号を変えたんだけど、誰の番号も解らないから、どうしようとは思っていたんだけど…ごめん!」

トニーは謝った。

「そんなところじゃないかなとは思っていたけどさ」

ジェイミーは言いながら自分の携帯を取り出して、それぞれのメンバーの番号をトニーに教えた。

ジェシカの番号をジェイミーは知らないから、ロバートの家に電話して呼び出してもらえばいい。

「ごめん、本当にありがとう、ジェイミー。正直、気が気じゃなかったんだ」

「こっちもだよ。心配かけて!」

「本当にごめん。遅いし、良かったら泊まっていけよ明日、旨い朝食作るよ」

「マヂで?…う~ん、そうさせてもらおうかな」

トニーは約束した2週間の仕事を終えて、ロバートの家に電話した。

「まぁ、トニーなの!みんな心配していたのよ。少し待っていてね、ジェシカに代わるわね」

マリアは、いそいそとジェシカを呼びに行った。

「ジェシカ、電話よ」

ジェシカはマリアに誰からの電話なのか訊かずに訊く元気もなく受話器を取った。

「もしもし?」

「ジェシカ?俺。ごめん、ずっと連絡出来なくて。携帯を失くしちゃってさ。突然だけど明日、会える?」

トニーと翌日の約束をして受話器を置いたジェシカは、すっかり元気になっていた。

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