第7話 闇の森の戦い
森は次第にその表情を変え始めていた。
木々の間を抜ける陽光が消え、暗闇が徐々に広がっていく。鳥のさえずりも虫の音も途切れ、不自然な静けさがあたりを支配する。風が枝葉を揺らし、かすかな音が響くたびに、荒木は背筋が凍る思いだった。
「気をつけろ」
十蔵が静かに告げた。肩越しに振り返り、荒木と吉六に目配せをする。その瞳は油断を許さない鋭さを湛えていた。
「旦那方、ここ見てくださいな」
おキヌが指差した先には、黒ずんだ血痕が地面に点々と続いていた。
「まだ新しいの……」
十蔵は片膝をつき、指先で血を触れる。視線を上げて周囲を見渡しながら、
「まだ近くにいるのかもしれんの」
「近くに……」
荒木は緊張した面持ちで鯉口を切ろうとしたが、十蔵に手を制された。
「荒木殿、気を緩めぬのは良いが、早まってはならぬ」
そのとき、おキヌが血痕を辿るように少し先へ進んでいた。
「私がもう少し調べてみます。少しだけお待ちを」
「おキヌ殿!危険でござる!!。深追いはならん!」
荒木が制止しようとしたが、おキヌは軽やかな足取りで暗がりに消えていった。
しばらくして──
突然、耳をつんざくような音が響いた。
──フシュー、フシュー。
「おキヌ殿!」
荒木が声を上げる。しかし、返事はない。音がした方向へ駆け寄ってみたものの、そこにはおキヌの姿はなかった。
「……消えた?」
十蔵が小さく呟いた。彼の表情が険しさを増す。荒木は混乱し、地面を見つめた。足跡と血痕が途切れている。
「どこへ消えたのだ!?」
「落ち着くのだ、荒木殿。慌てるではない」
十蔵が手を上げて周囲を静かに探り始める。吉六は顔を青ざめ、腰を抜かしてその場に座り込んでいた。
「お、おっかねえ……こんなとこ来るんじゃなかった……」
「黙れ、吉六!」荒木が叱責するが、その声も震えていた。
「まずいのう……これは奴の狩場じゃ」十蔵がぼそりと呟いた。
「奴?」荒木が問い返すと、十蔵は鋭い目つきで森の奥を指差した。
「赤い光だ。見えるか?」
荒木は視線を追った。確かに木々の隙間に微かに赤い光がちらついている。まるで誘うようなそれは、不気味なほど静かに動いていた。
「罠かもしれんが、行くしかあるまい」
十蔵が先陣を切って歩き出す。荒木も慌てて後を追う。
──
一方、その頃、キヌは森の奥深くで目を覚ました。
手足を何かで縛られたまま、冷たい地面に横たわっている。周囲は暗闇に包まれており、赤い光がちらちらと動いているのが見える。
(何……これ……?)
キヌは必死に頭を働かせた。自分が何者かに捕らえられたのは間違いない。しかし、敵の姿が全く見えない。
「……!」
再び「フシュー」という音が耳をつんざくように響いた。光の正体がゆっくりと近づいてくる。その輪郭が明らかになるにつれ、キヌの背筋に寒気が走った。
(化け物……これが……)
それは4本の脚で地面をしっかりと押さえつけながら、2本の腕で首のない死体を大事そうに抱えていた。節くれだった昆虫のような腹部が周期的に収縮し、まるで呼吸をするかのようだった。上半身は人間に似ているようで、異様に大きな目が不気味な光を放ち、顎のない顔が静かに揺れていた。さらに、尾の先端は鋭く尖り、不規則に動いて威嚇するような動作を見せていた。
「こんな……こんな奴が……!」
キヌは苦痛に満ちた声を漏らしながらも、忍びとしての冷静さを失わない。手についた石ころで手首を縛っているものを切ろうとしていた。
(こんなゲテモノ野郎の餌になるなんざ、死んでもゴメンだよ!)
突然、化け物がキヌに向かって鋭い動きを見せた。その巨大な体躯が彼女を押さえつけるように迫り、冷たい触覚のようなものが彼女の首筋に触れ、ざらりとした異様な感触が肌を這った。
「うぐぐ……」
視界の端でその赤い目が鋭く光り、化け物の顎のない顔が静かに近づいてくる。その動きは一切の迷いがなく、キヌの心に底知れない恐怖を植え付けた。
キヌは声を出そうとしたが、恐怖のあまり喉が詰まり、息を飲むことしかできなかった。忍びとして数多の危険を潜り抜けてきた彼女ですら、この圧倒的な不気味さと異質さの前では動けなくなっていた。叫びたいのに声が出ないその状況が、さらに彼女の恐怖を募らせた。
(殺される)
キヌは死を覚悟した。しかし、化け物は彼女を殺すことなく、その巨大な手で慎重に彼女を持ち上げた。キヌは驚きながらも抵抗を続けたが、その強固な手から逃れる術はなかった。
化け物は彼女をじっと見下ろし、その大きな目が微かに明滅した。そして突然、キヌを大きな手で持ち上げると、まるで戦利品を確かめるかのように一瞬止まった。抱えていた首のない遺体と見比べているように見えた。
「何を……するつもりなの……?」
おキヌは頭に衝撃を感じた。そして、そのまま意識をうしなった。
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「ここだ!」
十蔵が赤い光が見えた方向に進み続けると、そこにはキヌの装束の一部が落ちていた。荒木はすぐに拾い上げる。
「おキヌ殿がここにいた!」
「まだ近いぞ」
十蔵が刀を抜き、周囲の気配を探る。再び「フシュー」という音が聞こえてくる。
「来るぞ……!」
十蔵が構えを取り、荒木も刀を抜いた。しかし、化け物の姿はなく赤い光も見当たらない。
(殺気はある。吐きそうなほどの殺気を感じるが、なぜ……)
さすがの十蔵の額から冷や汗が流れた。ふと荒木が見ると、十蔵の肩の上に赤い光があった。それはまるで暗殺者が使う赤外線レーザーのようだった。
「あの、和辻殿……肩に……」
「ん?」
十蔵が振り向くやいなや、強力な酸を浴びたかのように十蔵の着物が肩から袖にかけて煙をあげて溶け出した。
「おわ!」十蔵が倒れ込む。左肩から肘にかけて火傷で皮膚がただれていた。
「上でさ! 旦那方!!」吉六が頭上を指差す。
十蔵は肩を押さえながら、歯を食いしばって頭上を見た。
「あれは……」
10メートルほどの高さの木の上から赤い光が十蔵たちに向けられていた。そして、暗くてはっきりとは見えないが、得体の知れない何かにおキヌが抱えられているのが分かった。
「おキヌ殿!」十蔵が叫んだ。
「おのれ、化け物!!」 荒木は空に向かって石を投げた。一瞬、その得体の知れないものと目が合ったような気がした。かつて経験したことのない。殺気を感じ、荒木は自分が一瞬だが、確実にひるんでしまったのを感じた。
しかし、つま先に力を入れ直し、刀を上段に構えた。
「来い! たたき斬ってやる!」
「荒木殿!はやまるではない!!」
荒木には十蔵の声が届いていないようだ。その化け物を凝視したまま動かない。
「うわああああ!!」
荒木は声を張り上げて、木を登って化け物の方へと向かおうとした。
と、荒木の体に赤いレーザービームのようなものがまとわりついているのを十蔵は見た。
「やめろ!戻るんだ!!」十蔵は叫んだ。
しかし、荒木は我を失って、刀を持ったまま木を登っていこうとしている。
と、次の瞬間、閃光が走った!
十蔵が荒木の足をつかんで引きずり下ろすのと同時だった。一瞬にして、荒木が登ろうとしたいた枝、そして太い幹は粉々に焼け落ちていた。
十蔵は敵の二次攻撃に備え、倒れている荒木をかばって頭上の化け物と対峙した。
刀を青眼に構える。
「……」
すぅっと頭に上った血が引いていくのが十蔵には感じられた。十蔵は命の危険を感じると常に余計な感情がなくなり、感覚が研ぎ澄まされるのだ。それは、長年にわたり命のやりとりをしてきた男が鍛錬によって獲得したものなのか、それとも元々備わっていた生存本能なのか。いずれにせよ、その特性が十蔵を“最強の男”たらしめているのは間違いない。ある意味で十蔵は冷酷な殺人マシーンにもなれるのだ。
フシュー……フシュー
長い間があった。その場にいたらどんな強者でも眉ひとつ動かすことはできなかっただろう。動きはなかったが十蔵の殺気と化け物の殺気が激しい戦いを繰り広げていた。“動いたら負け”そんな言葉がふさわしい戦いだった。
と、木々の葉がザワと揺れた。突風が吹いたかに思われたが、黒く邪悪な影が森を切り裂いた。化け物が十蔵に襲いかかってきたのだ!
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