第8話 炭鉱の入り口

ぐぉおおおわわわわ


ものすごい音が一瞬、森に鳴り響いた。


十蔵は初めてその化け物の全容を見た。形容するなら巨大な虫だ。いや違う。なにか鎧のようなものをまとっている。それが十蔵の脳裏に焼き付いた。何か十蔵の無意識がアラームを出していた。


化け物はおキヌを抱えたまま、鎌のような腕を伸ばして十蔵の首を狙ってきた。えぐりとろうとしているのか。


十蔵はその動きを見て、勝ち筋を見出していた。この鎌のような腕をなぎはらって、身を回転させながら懐に入れば、鎧のようなものが覆いきれていない無防備な腹に一撃を加えることができる。腹を斬りさえすれば、致命傷とはならずとも動きは止められる。それが、1秒の10分の一にも満たない刹那、十蔵の脳裏を駆け巡ったことだ。しかし──


(しっくりこぬ)


無意識のアラームが十蔵に語りかけていた。


次の瞬間、鎌のような腕の下に隠れていた針のように尖った、もうひとつの腕が十蔵の心臓を狙っていた。そう、首を狙った鎌はおとりで本命は心臓だった。化け物はフェイクを交えて十蔵を倒しにきたのだ。


十蔵の無意識のアラームが発動したのは、化け物が身につけていた鎧のようなものがきっかけだった。その鎧のようなものは何で作られているかは分からないし、侍のものとは似てもにつかぬ形をしていたが、精巧であることは一瞬で見て取れた。


十蔵は化け物が単なる獣のような凶暴さで向かってくるのではないと悟ったのだ。それは知的水準が高く、冷静に計算高く息の根を止めにくる。そう、十蔵と同じなのだ。


であるなら、十蔵は名のある剣士と対峙する時のように、対峙しなければならない。


「ぬ!」


十蔵の身体が反応した。左の肩を後ろに引いて針の攻撃をかわすと、そのまま当初の予定とは反対の方向に体を回転させた。

勢いあまって化け物は地面に針を刺す格好となった。化け物の背後に隙が生まれる。十蔵は化け物の背中に一太刀くらわせた。


ジュジュジュー!


それが化け物の悲鳴なのか、ねっとりと耳にこびりつくような声を上げ、化け物はものすごいスピードで飛び去り、闇に消えた。


荒木は一瞬だが、あまりにも重厚過ぎる攻防に目を奪われていた。



「和辻殿!」十蔵にかけよると、焼けただれた左腕が見えた。


「ひどい!」


「いや、荒木殿!そなたが声をかけてくれなんだら、この左腕は切り落とされていた。こんなかすり傷で済んで良かった。かたじけないの」


「和辻殿に命を救われました。私など……役に立つ立たないの話ではありませんでした。デクノボウに過ぎません……おキヌ殿を……みすみす……」


荒木は自分への怒りに震えていた。化け物を前に一瞬ひるんでしまったこと、それを心から恥じていた。ひるんでいなかったとしても、自分では勝負にならなかったことは十分過ぎるほど分かっている。しかし、武士として自分の心の弱さは到底受け入れられるものではなかったのだ。


「ふがいない……ふがいなさすぎる!!」荒木は拳を巨木の幹に打ちつけた。


「われわれが戦おうとしておるのは、なんと恐ろしい化け物かの。いや、化け物ですらないのかもしれんの」十蔵は荒ぶる荒木をなだめるかのように、穏やかに言った。


「と、言いますと?」


「なんだろうの? それがしにもわからん」と十蔵は絞り出すように言った。


「なんだろうが、われわれは倒すしか道がないのです。とにかく先を急ぎましょう!おキヌ殿が心配です」荒木は十蔵を鋭く見返した。



××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××


炭鉱の入り口は、まるで人の営みをそっくり呑み込んでしまったかのように静まり返っていた。かつてここを賑わせていた坑夫たちの姿はなく、放置された道具や縄、炭俵の切れ端が点々と転がっているだけ。打ち捨てられた雰囲気こそ漂うものの、血痕や荒れた形跡は見当たらない。


 しかし、ここに巨大な化け物が巣食っているのだ。荒木は、門柱の前で小さく息を整えた。


「静か過ぎるの……」


 十蔵がその隣で視線を彷徨わせる。いつもの飄々とした面差しが陰を帯びているのは、おキヌという仲間が捕らえられたことだけが理由ではあるまい。


 「旦那、ここから先、何が起きても不思議じゃねえですぜ」


 吉六が低く呟き、辺りをうかがう。元々はこの炭鉱で長く働いていた坑夫だ。炭鉱内部の構造を熟知している。


 「連中が本当に奥まで巣食ってるとすりゃあ、表に出た痕跡が少ねえのもうなずけるぜ。獲物を片っ端から中へ引きずり込みゃ、そりゃ血痕も死体も残らねえ。あの暗がりの奥に地獄はあるってえことか……」


 吉六は全てを吸い込んでしまいそうなほど、漆黒の闇をまとった穴の奥をしげしげと見つめている。


荒木は刀の鞘先で地面を突いて、一度だけ小さく頷いた。


 (おキヌ殿……無事でいてくれればいいが)


 「荒木殿」


 十蔵が淡々とした声で言う。


 「罠かもしれんが、行くか?」


 「ええ。もちろん」


 「この炭鉱は広いんだぜ。しかも、こんがらがった糸みてえに入り組んでる。くずれちまって危ねえところもある。いいか、旦那型。俺の後ろを付いてきてくれ……といいてえんだが、そんなの無理に決まってんだろ!俺は一番後ろな! さあ、先に行ってくれ。俺が後ろから道を指示するからよ」


 「ふん、逃げ出すなよ」荒木が言った。軽口のようだったが、目は地走っている。


 「あたぼうよ!旦那型、まずは真っ直ぐ奥へ行きな。最初の分かれ道を左だ。その先の“第二採掘場”ってとこまでは、下り坂になってるから足元に気をつけろ。そこに“大穴”の通路へ通じる支柱がある」


「“大穴”とは?」十蔵が聞いた。


「枝みてえに分かれた道が全部つながるところでさ。バカみてえに広いんだ。そして……」


「そこに化け物がいる」


「多分そうでさ」


「なぜ、分かる?」荒木が聞いた。


「荒木殿、化け物は数え切れぬほどの亡骸を持ち去っておるでの。それを置いておける場所は広くないと、の」


「そこにおキヌ殿も……急ぎましょう!」


 荒木は姿勢を正し、鞘口に手を添えた。十蔵も同じく静かにうなずいて、そのまま炭鉱の坑口へ踏み込む。三人の足音が、沈んだ空気のなかにかすかに溶け込んだ。


 

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