第6話 不吉な森

「なぜお主がおるのだ!?」


翌朝、宿屋の軒先にいる吉六の姿を見つけて、荒木は不機嫌そうに言った。


「へへっ、こりゃどうも」吉六は赤ら顔でフラフラしながら言った。


「くせえ! さてはお前、酒をしこたま飲んでおるであろう!!」


「いや〜!飲み過ぎちまってえ、グゥハハ。だって、旦那、今ここにはタダの酒がたんまりとあるんでやすぜぇ。飲まなきゃ損ソンってね、ヒック」


「また勝手に忍び込んだのか、なんて野郎だ!」荒木は吉六の胸ぐらをつかんだ。


「まあまあ荒木殿、それがしが頼んでおいたのだ」二人の間に十蔵が割って入った。「炭鉱に入るのに、中のことを知らぬ者ばかりでは心許なかろう?」


「え?」荒木はきょとんとして吉六を見た。


「ま、そういうことなんで、へへっ」


「和辻殿、炭鉱に行かれるのですか? もはや戦場はこの宿場町ではありませぬか? ここで迎え討つのが定石かと」


「化け物の巣なんですよ、炭坑は」のれんをくぐって表に出てきたのはおキヌだ。


「おキヌちゃ〜ん、相変わらずいい女ぁ〜」酔っ払いが言い寄ってきたが、


「うるさいよ!」と本人に頭をはたかれてすぐに撃沈した。


その光景を微笑まししく見ながら十蔵は言った。「化け物は死体を持っていくと吉六が言っていたであろう?」


「はい、確かに。そのように申しておりました」


「なぜ死体を持っていくのか、考えられることは一つ」


「ハッ!……まさか、埋葬するため!?」荒木は目を見開いて言った。


「荒木殿は本当に面白いの、アハハ。そのような親切な化け物がおるかの?」十蔵は少し笑った。


「……さすればなぜに?」


「食うためじゃ」


「食う? 人を食うというのでござるか?」


「つばめが虫をとらまえたらどうする? 巣に持ち帰るであろう。化け物も同じであろうとそれがしは思う」


「では、化け物はつばめのように子育てをしておられると申されるのですか?」


「子育てかどうかはわからぬが、仲間がおるのかもしれぬな」


「旦那、私は血の跡を追いかけたんですよ。そしたら、炭鉱の穴の中まで続いていてね」おキヌが会話に入ってきた。


「なに!? なぜそれを早く言わん!!」荒木は怒気を込めて言った。


「ごめんなさい。言いそびれてしまって……」気の強いおキヌだったが拍子抜けするほど素直に謝った。その上目遣いを見て、荒木は怒りが一気に霧散し、バツが悪くなった。


(く、くそ!なぜにこの女はこれほどまでに見目麗しいのか!? 調子が狂うではないか!!)


「い、いや……別に良いのだ」荒木は目を逸らした。すると、吉六が寄ってきて


「旦那ぁ〜、この女に騙されちゃ、武士の名折れですぜぇ、ウヒヒ。だっておキヌちゃんは……」と絡んできた。すかさず、おキヌがその頭をはたいた。


「いてっ!お前、ホントに痛えんだよ!!」


「旦那、もうご存知かと思いますが」おキヌはそう言うと、帯をほどき着物を脱ぎ始めた。


「な、なんと!!」荒木はあたふたして止めようとした──


しかし、着物の下にすでにあるものを着込んでいた。


「お主、その格好は……」


それは、鎖かたびらだった。おキヌは髪を下ろすと、後ろでくくった。その姿は完全に忍びだった。


「ほう、やはり風流じゃの。おキヌ殿は」十蔵は手を叩いて喜んでいた。


「化け物退治、私も助太刀させていただきますゆえ」


あっけにとられていた荒木だが、次第に鼻の下が伸びてきた。


(この格好もなかなかじゃの……)


やはり父譲りの女好きは抑えようもないのであった。そんな荒木を吉六がツンツンと指先で押した。


「あのぉ、旦那ぁ……」吉六は右手を差し出している。


「なんだ?」荒木が訝し気に問い返す。


「へへっ、だからあの……」吉六はニヤニヤしている。


十蔵が手をポンと叩いて言った。「お!そうだったの!!荒木殿、吉六に金子(きんす)をやってもらえぬか?」


「は、はあ?」


「案内料じゃ。約束しておったでの」


「ええ!」荒木は目を見開いた。


「へへっ、ありがたいことでぇ、ホントにぃ、フフフ」


「……ホラ」荒木は渋々懐から一分銀を出した。それを引ったくるように奪い取ると吉六は言った。


「これは今日の分ですからねぇ、明日はまた明日の分をお願いしますねぇ、旦那ぁ、アッハハ」


「ぐぬぅ……」荒木は拳を握りしめて、いやらしい笑みを浮かべる吉六を睨んだ。


侍二人と女忍者、そして酔っぱらいのパーティは、宿場町を離れ街道沿いに北上した。


途中、深い森を通っていた時のことだ。


「旦那方、これを」おキヌが地べたの黒いかたまりを指差した。


「血だの。まだ新しい」十蔵が黒いかたまりを触って言った。


荒木は背筋に冷たいものが走った。


(化け物が潜んでいるかもしれない)


反射的に鯉口を切ろうとしたが、十蔵に止められた。


「……気配はない。が、気を緩めぬ方がよいかの」


「旦那方!ここにもありました!」百メートルほど先からおキヌが叫んだ。いつの間にか、血の跡を辿っていたのだ。


「この場所で襲われたのでしょうか?」荒木が聞いた。


「いや、それにしては少ないように見えるの。これまで聞いた限りじゃと、化け物は体を切り刻むというで。ここで襲われたのならば、こんなものでは済まぬであろう」


「では、死体を運ぶ途中で落ちたということ……解せませぬな。これまでの道には、血は落ちていなかった」


「何かあるのであろう」十蔵は森を見上げた。古より息づいてきた大木が覆っている。よく見ると、この場所を境にして真っ直ぐに伸びた杉から枝葉の曲がりくねった広葉樹へと変わっていた。この先は差し込む光が弱まり、森が暗くなる。しかし、それが死体を運ぶことと、何のつながりもないように思えた。


「おっかねえなぁ」吉六が立ち小便しながら言った。


「お前は、自由過ぎるわ!!」荒木が怒鳴りつけた。


と──


突然、十蔵が刀を抜いた。殺気だった目が気配を追っている。


「和辻殿!」後れて荒木も刀を抜いた。


「ひっ! 小便が止まっちまったぁ」吉六がへなへなとその場にへたり込んで言った。


──カサカサ


風が葉を揺らしながら木々の間をすり抜けていく。


しばしの沈黙があった。


そして、十蔵は刀を収めた。


「それがしも少し気が早っておるのかもしれぬの」いつものニコニコした十蔵に戻って言った。「先を急ぐかの」


四人のパーティは深い森を再び、進み始めた。


その様子を遥か頭上の木の上から、見通す目があった。それは赤く、そして深い闇を飲み込むように森と同化していた。


──フシュー、フシュー


何かが隙間から漏れるような空気音。これから起こる不吉な出来事の前触れのように森に響いた。






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