第22話 終わってみれば休暇は短い

 車窓の外、駅のホームでは見送りにやってきた花南が手を振っている、はずなのだがまどかがべったりと窓に張りついているせいでよく見えない。


「おいまどか、おまえはカーテンか何かか」


 ちょっぴり意地が悪いおれの発言も彼女の脳に届く前にカットされているらしく、反応することなく「夏まで花南に会うのはお預けかあ」と嘆いている。

 こいつ、夏も来る気なのか。

 夏休みともなれば次は何日居座るのか、想像するだけで恐ろしいのだがうちの両親なら間違いなく諸手をあげて歓迎することだろう。


 そうはいってもまどかには感謝だ。たった三日間の滞在だったのに、花南と幼い頃から友達だったかのように仲よくなってくれた。

 彼女の優しさと賢さは、妹に気を遣わせることなく普段通りに振る舞わせてくれた。兄としてどれだけ感謝しても足りることはない。


 車内に時代遅れのポップスみたいな音楽がかかる。出発の合図だ。

 どうせまどかのせいで少ししか見えていないだろうが、おれも外にいる花南へと手を振った。


 乗降口が閉じられるとすぐに景色は速度を上げて後ろへと流れていく。

 ようやく座席に腰を下ろし、力なくもたれかかったまどかが「今日のあたし、気力の衰えによりあの坂を上れないかも」とのたまった。


 隣に座る妹の発言を受けた宮沢先輩は頷きながら「苦難しかないとわかっていても行かねばならない、それがおれたちのゴルゴタの丘だ」と芝居がかって応じる。

 どうやらこの兄妹は随分と殉教者の多い世界に生きているらしい。


 窓から見える住宅の数が少しずつ減りだし、しばらくすると鮮やかな緑が大勢を占めるようになった。だがいずれにしたって日本全国、どこへ行っても景観にそう違いはないだろう。

 おれにとって特別な意味を持つ場所は姫ヶ瀬だけだ。


 疲れのせいもあるのか、おれを含めた三人のテンションはさほど上がらない。そんななか、他愛ない会話の切れ目でまどかが「──どっちを選ぶんですか」と呟いた。


 わずかに眉を寄せた宮沢先輩と顔を見合わせるも、彼女が何を言わんとしているのかがおれたちにはまったくわからない。

 ペットボトルのお茶を手に取り軽く喉を潤す。

 車窓の外をぼんやりと眺めながらまどかが続きを口にした。


「陽平先輩は有坂先輩とその妹さん、どっちを選ぶんですか。幼なじみなんですよね」


 まったく予期していなかった質問に、思わずお茶を噴きだしてしまった。そしてあろうことか宮沢先輩へとぶっかけてしまう。最悪だ。

 この三日間でおれに対するまどかの呼び方は「志水先輩」から「陽平先輩」へと変化している。親密度ややランクアップというわけだ。

 当然、そのせいでシスコン寮長からねちねちと詰られたことは言うまでもない。

 今、ハンカチを取りだしたシスコン寮長は黙って顔を拭いている。


「すいません! 宮沢先輩ほんとすいません!」


「動揺しすぎだろおまえ」


 土下座も辞さない勢いで頭を何度も下げまくるが、意外にも宮沢先輩はそれほど怒っておらず余裕のある態度を崩さない。


「しかしまあ、噂になってるのは確かだよ。何度か目にしたけど、おまえらの会話って傍からだと付き合っているようにしか見えんからな。仲よすぎるわ」


「女子寮でもそうですね。しかもどちらかといえばあまり好意的でない形での噂になっていますよ。容姿端麗、文武両道を地でいく有坂先輩に憧れている子は多いみたいですし」


「男子でも女子でもおれが悪者なのかよ……」


 何という理不尽な。おまけに冤罪だというのに。

 しかしなぜ泉のことをまどかが知っているのか。


 そのことを問い質すと、返ってきたのは「少し前に藤村先輩が『二股クソ野郎』って吹聴しまくっていましたから」という無情な答えだった。あの野郎、寮に戻ったら虎の子のゴムボートに数え切れないほどの穴を開けてやるからな。

 気だるげに通路側へと向き直って彼女は言う。


「正直な話、あたしとしては陽平先輩の恋バナなんてどうでもいいのですが、結局どっちなんですか?」


「おい! 興味がないんだったら聞くなよ」


「花南にも訊ねてみたんですけど、笑って首を横に振るばかりでジャッジはしてくれませんでしたので」


 淡々とした口調に変化が現れたのはこの直後だった。


「答えにくいんだったら別の質問に変えますよ。ねえ陽平先輩、いったい花南はいつになったら再び声を聞かせてくれるんですか」


 一転してまどかの目が鋭さを増した。


「もうすぐですか? 夏まで待てばいいんですか? それともずっとこのままですか? まさか、そんなはずないですよね」


 容赦ない彼女の言葉は深くおれへと突き刺さる。

 挑発的な言動ををみせる妹へ、宮沢先輩が「出過ぎたことを言うな」とたしなめるも、当のまどかは兄を一瞥したのみでまるで意に介さない。

 何も答えることができないでいるおれを嘲るかのように、彼女が「はは」と乾いた笑い声を漏らす。


「悠長すぎなんですよ、陽平先輩は。自分の今の生活があの子の犠牲の上に積み重なっているってこと、もっとはっきりと認識すべきでしょう。違いますか?」


 違いはしない。まどかが正しい。

 だけどおれにはどうすればいいのか、どうやったらあの子がもう一度可愛らしい声を聞かせてくれるのか、恥ずかしい話だけどまったくわからないんだ。

 下手に踏みこんで事態をさらに悪化させるよりはこのままで、と考えたことがないといえば嘘になる。そう、いつだっておれは大事なところで逃げてしまう。


 居心地の悪い沈黙が訪れ、そのままおれのゴールデン・ウィークはなし崩しに終わりへと向かっていった。

 一瞬の輝きとともに黄金週間が消え去ってしばらくしたならば、ようやく雨の季節がやってくる。

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