7 八大地獄 其の弐 黒縄地獄

 八大地獄の第二層、黒縄地獄。

 ここは、等活地獄での暴力的な新人研修を終えた者たちが次に送られる“裁定型”の地獄である。罪状はおもに盗み、裏切り、詐欺、貪欲、不正など――“他人の権利や所有物の境界を侵した”類の行為に対して科される。


 この地獄では、罪人の体に黒い縄目(ルール)が投影され、その線に沿って焼けた刃物やノコギリで切り刻まれるという、読んでるだけで顔をしかめたくなる刑罰が延々と繰り返される。


 昔の黒縄地獄は実に原始的で、罪人は石板のような場所に縛り付けられ、黒い縄を模した煤で身体中に線を描かれた後、巨大な鬼が鉄の鋸でズバズバ切っていくというダイナミックな方式だった。

 使用される道具は大抵、鉄製の手ノコで、細かく何時間もかけて切り続ける。罪人の悲鳴は天に届かんばかりで、地獄の中でも「音量最大」の場所として知られていた。


 なにしろ、黒縄で描かれる線は罪人の犯した罪の形そのものとされており、時には複雑怪奇な模様が全身に描かれるため、解剖学的にも謎めいた断面図ができることがあり、学術的観点から観察に訪れる鬼もいたという。


 だが、これにも時代の波が押し寄せた。


 まず、最初の変化は「黒縄」の素材だった。

 伝統的には煤や墨、地獄で採れる黒曜石の粉などを用いていたが、あるとき罪人のひとりがつぶやいた。


「……なんかこの線、よく見るとゆがんでない? 俺、斜め45度で切られてんだけど?」


 実は、地獄では“線を引く鬼”の技量にかなりの個人差があったのだ。

これにより、

「これは本当に私の罪にふさわしい線なのか?」

「こっちの方が浅いのは担当の鬼が手を抜いたのでは?」など、“罰の格差”問題が生じていた。


 そこで閻魔省は、線引きの公平性を保つため、地獄に堕ちた科学者や果ては天国にいる科学者などとも協力し、レーザー式黒縄プロジェクターを導入。罪状データをAIが解析し、正確かつ緻密な“罪の形”を映し出すシステムが開発された。


 レーザーによる線は細部にまでこだわりがあり、曲線美を含むアート的なデザインも見られ、芸術家の罪人などは「このパターン、美しい……」と感動する者もいたという。もはや誰が何をしたか、切り口を見れば一目で分かると言われるほどで、ある意味“罪のレントゲン写真”のような扱いになっている。


 だが、ここでまた新たな問題が浮上した。


 AIが分析した結果、

「一見悪質に見える罪でも、社会的背景や環境要因によって動機が異なる」というデータが次々と出てきたのである。

 つまり、「同じような罪でも、背負っていた事情が違う」というわけだ。


 これを受けて閻魔省の刑罰均衡委員会が動き出し、罰の形も“均一な線”ではなく、深さ・痛覚・切断回数を罪人の背景に応じて調整する”動的刑罰”へと変更された。かつての“切ってナンボ”の時代から、“理解させる切断”の時代へと変わったわけである。


 また、環境改善の一環として、「切断中の罪人が自らの罪を振り返るための解説音声」まで流れるようになった。

 ナレーションは、生前有名だったアナウンサーや声優たちが担当しており、ある種の聴覚地獄とも言われている。


「あなたがこの時、レジで万引きしたガムの価値はたった100円でした。しかしそれによって店員は減給され……」

「ここで切られているのは、“他者の信頼”です。思い出してください……」


 罪人からは「いやもう反省してるから!」「音声が一番つらい!」といった声もあるが、録音されたものなので止まらない。むしろAIは罪人の脈拍と脳波を測って反省度が足りないと判断すれば、解説を倍速&二倍音量に切り替えるらしい。怖い。


 鬼たちもかつてのように大ノコギリを引く必要はなくなり、代わりに操作盤を使ってレーザーカッターの設定をするだけになった。現場の鬼の一人はこう語る。


「昔は腰を痛めてな……ノコギリを引きすぎて腱鞘炎にもなった。今はボタンひとつで済むんだ。文明ってすごいよ」


 とはいえ、業務の自動化が進んだことで現場の鬼たちの士気低下も問題になっている。「機械の仕事に成り下がった」という声も多く、

「昔ながらの“肉を切る手応え”が懐かしい」と、刀工や鍛冶屋に転職する者も現れた。


 かくして、黒縄地獄は“痛みの地獄”から、“反省の可視化地獄”へと変貌を遂げた。


 それが良いのか悪いのか、私には分からない。だが、かつてのように手探りの線で切られ、何も理解せぬまま血を流すよりも、自分の罪の形と意味を知った上で切られるほうが、多少なりとも人間らしい苦しみではないかとも思う。


 地獄は変わりつつある。

 だが――変わらぬ痛みの本質が、その奥底に今もなお息づいていることを、私は確かに見た。

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現代地獄見聞録 古木しき @furukishiki

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