6 八大地獄 其の壱 等活地獄
地獄の第一層、いわゆる等活地獄(とうかつじごく)。
ここは八大地獄の入り口であり、地獄に落ちた者たちが最初に経験する、いわば“新人研修地獄”とも言える場所だ。
その名の通り、ここでは罪人同士が互いに殺し合い、殺され、そして蘇り、また殺される――これを延々と繰り返すという、地獄らしいシンプルかつ直接的な苦しみが提供される。暴力に訴えた者には、暴力によって報いを、という非常に分かりやすい罰である。
数千年前、まだ地獄のインフラが整う以前は、等活地獄の現場は土埃舞う荒野だった。獄卒たちは最低限の見張りだけをしており、罪人たちは放り込まれると自然発生的に殺し合いを始めた。そこに武器は必要なかった。手でも、牙でも、素手での暴力が十分すぎるほどだった。
罪人は死ぬたびにすぐ蘇り、再び戦いに加わる。よろめきながら、叫びながら、泣きながら、時に笑いながら。自分が何度目の殺されかも分からなくなった者たちは、次第に理性を失い、もはや誰が敵で誰が味方かも判断できぬまま、ただただ殺し合いの群れに飲み込まれていく。
それが、等活地獄の“昔”の姿である。
だが、現代の等活地獄は大きく様変わりした。
そもそもの発端は、ある一人の暴力犯罪者が地獄に落ちた際、
「これって非効率じゃない?」と呟いたことだったという。
冗談のような話だが、地獄の知識人達はその意見に妙に納得してしまったらしい。
何が非効率かといえば、「暴力の種類が少なすぎる」「環境が単調で飽きる」「学びがない」「蘇生までの時間が不安定」「殺された側の怨恨がランダム」などなど、地獄特有の混沌を無秩序と捉えた意見が多く集まった。
その後、改革派の技術者やシステム設計者によって等活地獄再構築プロジェクトが発足。ついに、等活地獄にバトルフィールド型システムが導入されることになった。
現在の等活地獄は、複数のエリアに分けられている。
荒野ステージ、山岳ステージ、廃墟ステージ、火山ステージ、無重力風ステージなどなど。環境ごとに適応した“演出”が追加され、さらに罪人にはランダムで武器やスキル的なものが付与されるようになった。
この導入により、罪人同士の戦闘はより多様化し、「暴力と創意工夫」の融合が見られるようになった。もちろん殺し合いであることに変わりはない。
だが、そこにはただの蛮行ではなく、“いかにして相手を倒すか”という戦略性が加わり、罪人たちの間でも妙な競技意識が芽生え始めているという。
現在では毎週、“等活アリーナ杯”なる内部大会が開かれ、閻魔省の娯楽部門が主催している。優勝したところで地獄から解放されることはないが、“いい殺しっぷり”を見せれば特別懲罰が一時的に軽減される場合があるとの噂もある。
もちろん、暴力の本質は何一つ変わっていない。殺し合いは苦しみであり、報いである。
だが、それを観察する鬼達の中には、「彼ら、ちょっと楽しそうに見えるんですが……」と困惑の声もある。
また、等活地獄のシステム化によって、過去に見られた“個人的怨恨”や“誤爆による混乱”も減少した。というのも、現代の等活地獄ではターゲティングシステムが導入されており、自分が攻撃すべき相手が明確化される仕組みが取られている。
これにより、殺される意味、殺す意味を明確化することができ、罪人たちに「ああ、自分が何をしたからこれをされているのだ」という気づきを与えることに一役買っているという。地獄にしては、妙に教育的である。
とはいえ、一部の旧来主義者の鬼たちは不満げだ。
「昔はよかった。もっと混沌としていた。今の奴らは命の軽さを楽しんでいるだけだ」と、ノスタルジックに語る鬼たちも少なくない。
等活地獄の近代化には、未だ賛否両論がある。
だが、少なくとも罪人たちが「自分が暴力を選んだ末路」を直視し、何度も味わう場であることには変わりない。
そう思いながら私がアリーナ視察を終えて帰ろうとすると、ある罪人が血まみれで、なお笑いながらこう言った。
「これ、地獄っていうか……人生のチュートリアルの続きみたいだな」
それを聞いた私は、多少の背中に寒気を覚えた。
地獄の構造が変わっても、人の業はやはり変わらないようだ。
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