(2)

 敬士さんは諾否の決断をこれ以上引き延ばせないだろう。公務員は民間会社より人事の柔軟性が高いと聞くが、それだって程度問題だ。前々からの打診であれば、もう外堀は埋まっているはず。聞き取りを急いだ方がいい。

 敬士さんにメッセンジャーを頼んで由仁を家に来させるつもりだったんだが、敬士さんが難色を示した。


「お義父さんのホームグラウンドだと、結局行かない可能性が高いです」


 野原に呼びつけた時と同じ図式か。あの時もばっくれやがったからなあ。仕方がない。今回は面倒くさい話一切抜きだ。敬士さんの代わりに意向調査をするだけだから。事務的に淡々と済ませればいい。最悪イエスノーの二択でも構わないんだ。

 由仁たちのマンションに俺が上がりこんだら、敬士さんプラス俺との二対一になる。由仁はやっぱり貝になるだろう。それなら有美ちゃんの時と同じように野原でやろう。あそこなら吹きさらしで寒いから、さっと終わるはずだ。


 敬士さんと車を連ねて由仁のマンションに行き、対面で「話があるから出てこい」と直接声をかけた。敬士さんの予想通りで、由仁は絶対に行かないと全拒否の構えだったが……それはあいつらしくないんだよ。いつもはありったけの屁理屈を並べて言葉の物量で俺を押し切ろうとするのに、むすっと押し黙ったまま。舌先三寸で切り抜けようとする由仁にしては抵抗が地味すぎる。

 俺や敬士さんのどやしが堪えているならわかるが、猛烈な膨れ面を見る限りそうではなさそう。どういうことだ? まあ、いい。由仁になぜなにを説いたところで、今の状態なら火に油を注ぐだけ。それなら搦め手で行こう。


「今しておかないと先々面倒なことになる話をしたい。来なければ火の粉が全部おまえだけに降りかかるぞ。それでもいいなら、俺は構わんが」


 由仁は、俺が鈍臭いことを知り尽くしている。鈍臭いがゆえに、話は散らからない。俺には回りくどい話をする才能も時間もないんだ。大事な話ほど直に放る。章子の余命がわずかしか残っていないとわかった時も、子供らには医師の診断をそのまま伝えた。余計なオブラートは一切被せなかった。

 そんな俺が『面倒なことになる話』としか言わなかったんだ。もし転勤絡みの話をするなら直にそう切り出すのに、どして? 由仁は、俺が論題を伏せた理由を深読みするだろう。ちゃっかり屋の由仁だ。自分にだけ不利益になる話なんか絶対にスルーしないよ。嫌々ではあっても話の中身を確かめようとするはず。

 案の定、由仁は猛烈にぶすくれたまま外出の支度を始めた。俺は敬士さんに目配せしてから、持っていた軽の鍵をちゃらっと鳴らした。出かけている間、愛理を頼むな。俺のアイコンタクトを受けて、ほっとした顔の敬士さんがこくこくと二度頷いた。


 さて……。


◇ ◇ ◇


「この軽に乗るのは初めてだろ?」

「……うん」


 由仁はいつも乗っている自分の車で行きたかったようだが、愛理に何か突発的なトラブルがあった場合に備えて敬士さんに車を残しておかなければならない。それに由仁は、野原への行き方をしっかり覚えていないだろう。


 陽花の時と同じで由仁は助手席に乗ることを嫌がったが、理由は違う。陽花は章子のことを気遣って遠慮したんだが、由仁は俺とできるだけ話をしたくなかったからだ。そうは行くか。

 俺は、話ならいつかできるいつでもできると思っていたから、章子に肝心なことを伝え損ねた。それが今となってはもう取り返しのつかない後悔になっている。同じ後悔を優や由仁に対してはしたくないんだよ。鈍臭い俺なりに、子供らに必ず伝えておかなければならない言葉がある。そいつを面倒臭がっている場合じゃない。


 正月は過ぎたが、俺の始動はまだだ。そろそろ本格的にエンジンを回していかないと、また一年間何もできないうちに過ぎ去ってしまう。残ったのが後悔だけなんてのは、絶対にごめんだ。

 市街を抜けて国道に出たところで、膨れっ面のままそっぽを向いていた由仁がぼそっと聞いた。


「ねえ、お父さん」

「なんだ?」

「何の話よ」


 ふむ。焦れて直に突っ込んできたか。


「決まってるだろ。行き先でわからないか?」

「は?」


 敬士さんの転勤絡みという的から思い切り外れていたからか、由仁が絶句している。


「行き先って……野原?」

「そう。現物見せて話をしないと、おまえはすぐにスルーするから」


 図星だったんだろう。ぷいっと顔を背けた。そんなのわたしに全然関係ないじゃんという表情がありあり。まあ、わかりやすいっちゃわかりやすい。

 でも、そうはいかないのさ。かつて家族で何度もピクニックにきた思い出の場所。あの野原がそのままの位置付けから動かなければ何の問題もない。しかし、今は佐々木家の末裔に災厄をもたらしかねない厄介な遺物に成り果てているんだ。俺がいつまでも元気でいられればいいが、稼ぎ的にも体力的にもいずれ管理の限界が来るだろう。

 当事者の親父はすでに他界しているし、お袋には意思表示の能力がない。陽花はもう佐々木の筋から外れている。いずれ優と由仁があの野原のオーナーになるんだ。だが、今の野原にはメリット以上にデメリットが大きい。今のうちからちゃんと備えておかないと、冗談抜きに由仁だけがばばを引くことになるんだよ。優にはあの野原をマネージメントする能力がないからな。


「野原なんてわたしと関係ないじゃん」

「ありありだよ。あれが佐々木家の遺産。しかも負の遺産だ。いずれおまえと優のものになる」

「え?」

「いいか。よく聞いてくれ。あそこはとんでもない訳ありなんだ。どこの不動産屋も絶対に買ってくれない。国や自治体に返納したり、寄付したりもできない。たちの悪い貧乏神みたいなものなんだよ」

「うそお!」


 浜に打ち上げられた魚のように口をぱくぱくさせていた由仁が、もう一度聞き直した。


「で。その野原の、何の話?」

「それは向こうに着いてから話す。長くはならん」


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