(3)

 優も由仁もあの野原が変化しない奇妙な野原だということを知っているが、知っているのは変化しないという点だけだ。変化しないことによる弊害を何も知らない。そりゃそうさ。子供らは野原のユーザーではあってもオーナーではない。ユーザーなら利用権を行使するだけでいいが、オーナーには野原の管理義務がある。

 親父が高齢になってからはシルバーセンターに牧柵周辺の手入れを頼んでいたが、俺が野原を引き継ぐまでは固定資産税の支払いを含めきちんとオーナーとしての責務を果たしていた。一ユーザーだった頃の俺は、野原から恩恵を受けるには相応の責務が漏れなく付いてくるってことを甘く見ていたんだ。

 手間や銭金の問題はまだ対処できる。問題は……あの野原が変化を拒絶する過程でいろいろやらかしてしまうことだ。人的被害は綾瀬さんだけだったが、その一件だけで野原の悪名が確立してしまった。手強い巡回者の豊島さんが興味本位で野原に入り込もうとする連中をどやし続けてくれたから風聞だけの被害で済んでいるが……。防波堤を務めてくれていた豊島さんはもういない。


 今度野原絡みで大きなトラブルが起こると、とばっちりが即座に俺らに……というか、子供らに跳ねてしまうんだよ。そのデメリットは、野原で代え難いひとときを得られるメリットよりもはるかに大きく、深刻だ。

 優がてきぱき対処できるのなら、長男なんだし任せるさ。でも、残念ながらあいつには無理だ。その分、どうしても由仁だけに面倒事が降りかかることになる。何も知らないでいて、事が起こったあとで「そんなの聞いてないよ」と途方に暮れるのは最悪だ。だから、俺がまだ元気なうちにしっかり話をしておこうと思ったんだが……。


 こうも次々身内にいろいろトラブルが起こると、もともとキャパの小さな俺にはてきぱきこなし切れないんだ。それでなくとも、俺は口八丁手八丁の由仁が苦手だからな。


「ふう……」


 膨れっ面のまま、車窓を睨みつけている由仁を横目で見て、でかい溜息を放る。


 今回、由仁を野原に連れ出す目的は、必ずしも敬士さんの転勤に対する意向を聞き出すことじゃない。そっちはあっという間に済んでしまう。それよりも、俺と由仁の『これから』のことをしっかり考える場所と時間を確保したかったんだよ。

 だが、由仁に俺の話をきちんと聞く余裕はなさそうだ。まともな会話が成立しないかもしれないな……。


「おっと」


 考え事をしながら運転するのは良くないな。危うく左折ポイントを通り過ぎるところだった。慌ててウインカーを上げ、交差点をそこそこの速度で曲がった。いきなり振り回された由仁が怒った。


「危ないじゃない!」

「すまん。お説ごもっともだ」


 下手に言い返すと百倍返しだ。言い返さなくたって、文句と罵声がマシンガンのように降って来る。うんざりしながら身構えていたんだが、膨れっ面はそのままで再び貝のように押し黙ってしまった。こらあ……相当テンパってるなあ。


◇ ◇ ◇


 車から出ないと駄々をこねていた由仁だが、暖かいところで話をするとかえって長引くぞと脅し、牧柵の近くまで誘導した。


 年末年始は穏やかな日が続いたが、一月半ばになって大陸から強い寒気が降りてきた。晴れてはいるものの、身を切るような寒風が間断なく吹き下ろしている。からからに乾いている野原では、痩せ細った藁色の草が、時折り渦を巻く寒風に弄ばれてきしきしと軋む。生命を失って風の慰みものになり、幽鬼のように右往左往する枯れ草を眺めたところでちっとも楽しくない。


「うーん、やっぱり冬に来るもんじゃないなあ」

「じゃあ、なんで今日来たのよ」

「こういう姿も見せておかないとダメってことさ」

「意味わかんないんだけど」

「物事には全て両面がある。ここもそうなんだよ」

「……」

「春の若草の頃が一番快適で、リラックスできる。でも、この野原はちゃんと四季に伴って装いを変えるんだ。俺も陽ちゃんもいいとこしか見てなかったからな。優も由仁もそう。ここで遊んでいた時は野原が一番柔らかい時なんだよ」

「それで?」

「ベストタイムはほんのわずかしかない。それ以外の時期には滅多に来なかった。俺は、冬になんか一度も来たことがなかったんだ」

「で?」

「ベストタイム以外の時も野原はずっとある。だからすごく厄介だってことだよ」

「意味わかんない」

「鈍いなあ」


 キレた由仁がわあわあ喚きそうになったので、ぶっすり釘を刺す。


「最初に言ったはずだぞ。負の遺産の話だと」

「ぐ……」

「そんなもの、引き継がずにぶん投げればいい? そうはいかないよ。ここはプロの不動産屋が敬遠する事故物件。価値がないから国に返納したり寄贈したりはできない。断られる。それなのに、税金を取られ、管理責任だけは付いて回る」

「要らない」


 身も蓋もない。思わず苦笑が漏れた。それで済むなら苦労しないって。


「あのなあ。おまえが拒もうが何しようが、ここの持ち主だってことは最後まで付いて回る。おまえ、国を相手にケンカを売れるのか?」

「なんでそうなるわけ?」

「ここの住人たちが、不気味な野原をすごく嫌ってるからだよ。管理の手を抜けば、自治体に苦情が殺到する。責任がおまえをどこまでも追いかけ回すことになる」

「お兄ちゃんがいるじゃん」

「優には何もできないよ。わかるだろうが」


 いつもの由仁ならこの程度ではへこたれない。ありとあらゆる屁理屈と強情をセットにして、これでもかと物量攻撃に出る。だが……由仁は黙ってしまった。


「今日明日どうこうしろって話じゃないさ。俺が元気なうちはおまえらの世話にはならんよ。俺が管理する。ただ、心構えはしといてほしい。それだけだ」

「……ねえ」

「なんだ」

「どうして売れないわけ?」


 ああ、肝心な話をしていなかったな。俺も本当に間が抜けている。握った拳で自分のどたまをぽかりと殴りつけ、その拳で牧柵のロープをぽんと叩いて、理由を直に放った。


「この野原は変化を拒絶する。知ってるだろ?」

「もちろん」

「奇妙なのは姿形が変わらないだけじゃない。この中になかったものを持ち込むと、それがどこかに消えてしまうんだよ」

「……え? う……そ」

「すぐに消えるっていうわけじゃない。俺たちが短時間中で過ごす分には問題ないんだ。でも日をまたいで残ることができない。例外なく消えてしまう。消えてどこに行くのかはいろいろだ。別の場所に移されることもあれば、本当に消えてしまうこともある」

「それ、ヤバくない?」

「だーかーらー、厄介だって言ってるんだよ。消えた中に、一人だけ人間がいた。ここの調査で幕営しようとして、そのテントごと」


 握っていた拳をぱっと開いた。


「消えた」

「……」

「警察がお出ましになり、マスコミも大々的に失踪事件を取り上げた。それから、この野原がとんでもない事故物件になってしまったのさ。おまえが不動産屋なら、そんな地所を買うか?」

「絶対いや」

「だろ?」


 俺らと違って頭の回転が早い由仁だ。一度けちのついた地所が誰からも敬遠されることをすぐに理解するだろう。そうさ。俺たちはまんまとババを引いてしまったんだ。


「それ、どうにもならないの?」

「今は、な」


 ロープ越しに手を伸ばして、枯れ草の茎をがさがさかき回す。折れて散る草の破片が、日差しを浴びてきらめく。だが、そいつらも明朝には元に戻っているんだろう。


「変わらないと変えないは違う。この野原は変わらないんじゃない。何かの意思に基づいて、変えられることを徹底拒否してるんだ」

「意思……ねえ」

「おそらく神様仏様の領域じゃないよ。そんな超越者がちんけな抵抗なんざするものか」

「ねえ、お父さん。じゃあ、今は野原に探りを入れてるってこと?」

「お、さすが由仁だな。ご明察。あとはまるっきり当てにならん連中ばかりで困ってるんだ」


 自分に跳ねてくるなら無視はできない。由仁の思考回路がぱちんと切り替わったようだ。


「そっか。理由がわかれば対処できるかもしれないんだ」

「うまく行けば、だけどな。たとえ調査が無駄骨に終わっても、知らんぷりして逃げるよりはずっとマシさ。調べたけど原因はよくわかりません……データを揃えてそう主張できるだろ」

「国に返す目が出て来るってことか」

「そうだ」

「……」


 膨れっ面を解消した由仁が、野原の彼方を見やったまま長考に入った。


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