(6)

 家に帰り着いたのはもう夕方だった。陽花はずっと寝ているのかと思ったが、着替えて外出したらしい。俺とほぼ同じ時間に戻ってきた。


「お、出かけてたのか」

「うん。就活」

「ハロワか?」

「いや、前に勤めていたところを見に行ったの」


 これまで辞めるはめになったのは、大体がオトコ絡みだと有美ちゃんに聞かされている。大丈夫か? 俺の心配そうな顔が目に入ったんだろう。陽花が慌てて手をぱたぱた振った。


「惣菜店のキッチンスタッフ。わたしが働いてたのは十年以上前よ。店長もスタッフも全員替わってる」

「十年以上前じゃ、そんなものか」

「独立系じゃなくて、チェーンだから。今は店長もスタッフも全員女性なの」


 なるほど。オトコ絡みで揉める線は取りあえずなさそうだな。


「行けそうなのか?」

「すぐにでも来て欲しいって言われたの。業務内容を知ってるならすごく助かるって」

「そらあよかった。まあ、やってみて、だな」

「うん。最初は週三で始めてみて、行けそうなら勤務日を増やす」

「無理はするなよ」

「わかってる。でも有美相手に今後の話をするなら、少なくとも経済的に対等にならないと」


 もっと早くにそうしてくれよと言いたいところだが。まあ……有美ちゃん絡みのごたごたで心身ともに疲弊したんだろう。

 有美ちゃんは陽花を全否定しているわけじゃない。いつもオトコどもの間をふらふら浮遊し、何を考えているのかちっともわからない……骨のないクラゲみたいな母親の姿をどうしても見たくないだけだ。

 そして有美ちゃんは、共依存の鎖を力任せに引きちぎった。陽花だって、中途半端な寄り合い所帯に戻れないことはわかっているはず。


「いつから出るんだ?」

「年明けからにする。年内は殺気立ってるみたいだから」


 そりゃそうだ。書き入れ時通り越して戦争状態なんだろう。


「じゃあ、クリスマスは二人でしんねりむっつりチキンでも食うか」

「あはは」


 陽花が力無く笑った。


◇ ◇ ◇


 今年はイブも本ちゃんも平日だから、前倒しで宴会をやってる連中が多いと聞いた。物価高の影響もあって、クリスマス用のオードブルやケーキに客が殺到して飛ぶように売れるという状況ではないらしい。仕事帰りにスーパーに寄った時にはゆっくり惣菜売り場を見て回れたし、商品を選ぶ余裕もあった。もっとも、俺と陽花だけなら少しで済む。週中しゅうなかだと大酒を飲むわけにもいかないから、缶ビールで済ますことにする。

 そこそこ膨らんだエコバッグを持って買い物から戻ったら、お帰りと言う声の主が陽花だけではなかった。この世の終わりが来たようなしょぼくれた顔で、このかちゃんを抱いた有美ちゃんがリビングの床にへたり込んでいた。


「お、有美ちゃん。メリクリー」

「あのー、おじさん。クリぼっちはやっぱ寂しい」

「ははは。そうだろな。まあ、クリスマスくらい賑やかにやろう」


 べそをかいている有美ちゃんを追い返すほど俺は冷徹になりきれない。ずっと居座るわけじゃなし、クリスマスくらいは大目に見よう。


「おっと、食い物を買い足さなあかんか」

「わたしが買ってくるわ」


 陽花がさっと立ち上がった。有美ちゃんの乱入で嫌な顔をするかと思ったが、ほんのひとときでもこれまでのように一緒にいられることの方が嬉しかったのだろう。露骨にほっとしている。こりゃあ……先々大変だな。まあいい。今晩くらいは無礼講ってことにしよう。


 と、コートを羽織ってリビングを出た陽花がなぜか引き返してきた。


「ねえ、お兄ちゃん。優くんたち呼んだの?」

「いや、若夫婦だけで過ごすと思ったんだが」

「来てるわよ?」


 ははあ。雅美さんが実家に帰りたくないとみた。自宅にいれば「なぜ来ない」と恫喝されるから、これから俺の家に行くと言い訳したんだろう。

 案の定、有美ちゃんと同じくらい萎れている雅美さんとやれやれという表情で大吾を抱いている優が並んで立っていた。すぐ招き入れる。


「寒いから入ったらいい。有美ちゃんたちも来てるが、いいだろ?」

「いいよー」


 優は細かいことは気にしない。雅美さんは気まずいかもしれないが、実家に行くよりはるかにましだろう。

 と、その後ろにもう一組。


「なんだ、由仁たちも来たのか」


 由仁は猛烈にぶすくれている。本当は来たくなかったはずだ。引っ張ってきたのは敬士さんの方だろうな。俺がいくらどやしたところで由仁が反省なんかするわけがない。きっと、敬士さん絡みで大事な話があって、由仁を強引に引っ張ってきたんだろう。愛理ちゃんを抱いた敬士さんが申し訳なさうに深々と頭を下げた。


「済みません、突然」

「かまわんよ。クリぼっちよりはずっとましさ。勢揃いになっちまったから騒がしくなるけど、大丈夫かい?」

「はい」

「上がって上がって。冷え込んできたからな」

「お邪魔します」


◇ ◇ ◇


 おっさんおばさんで地味ぃに過ごすはずが、いきなり賑やかになってしまった。もし章子が生きていたら、賑やかなクリスマスを喜んだだろうか、気忙しいわと苦笑しただろうか。今となっては知る由もない。

 陽花と二人きりだとすぐに話のネタが切れて辛気臭くなるから、大勢いた方が気が紛れていい。それに、今年は天使が三人もいるからな。


 最初は互いに遠慮がちだった面々も、女性陣は子供の世話があるからすぐに子育て談義に移行して賑やかにぴいちくぱあちく喋り出した。母親三人そろって授乳しなければならないから、酒は飲めない。酒で間を保たせられないなら口を動かすしかないってことだ。

 それにしても。みんなが来るならささやかでもプレゼントを用意しておけばよかったかな。一瞬そう思ったが、無理だということをすぐに悟った。豊島さんのセリフを思い出したんだよ。

 贈るのは施し、捧げるのは自己犠牲……か。考えてみれば、俺は施す余裕も自分を削る余裕もない。何をどう用意したところで、そこに『俺』が入りそうにないんだ。

 受け取る側だってそうだろう。ここにいる誰もが崖っぷちに立っている。陽花は孤立無援、有美ちゃんは二股男から捨てられた。雅美さんは鬼畜上司の毒牙から辛うじて逃れたばかり。敬士さんは天涯孤独。優はまだ仕事も生活も手探りで、由仁は誰からも嫌われて失職中。明日をどう乗り切るかで精一杯の時に、何を贈られたところで空々しいだけだろう。それが物であっても言葉であっても、だ。

 俺が唯一みんなに提供できるものがあるとすれば。仮初めの居場所と沈黙だ。馬小屋ならぬ男やもめの家で、ほとんど同じ年頃の幼子を抱えたマリアたちが、この夜ばかりは神も権威者もいない静かで穏やかなひとときを過ごしてくれれば。安らぎを覚えてくれれば。それでいい。


◇ ◇ ◇


 翌日仕事があるので、ささやかなクリパを十時過ぎにお開きにした。由仁と敬士さんは帰ったが、有美ちゃんは陽花と客間で、優たちは俺の寝室でお泊まりになった。俺は仏間にしたかつての優の部屋に布団を持ち込み、章子や親父と語らいながら聖夜を過ごすことにする。


「こういう賑やかな一夜を。おまえが生きているうちに贈りたかったな」


 章子の遺影に語りかけてから、灯りを消して目を瞑った。脳裏に、星影で飾られた救世主誕生の絵がほんのりと浮かび上がる。


 過越しの祭りで宿が取れず、馬小屋に泊まることになった若夫婦。そこでひっそり救世主を産み落とした聖母マリアは、三賢人から贈られた宝物を喜んで受け取っただろうか。この子は王の王なんかじゃない。頼むからそっとしておいてほしいと嘆息したんじゃないだろうか。

 だって、そうだろ? 救世主と呼ばれながらも、幼子は結局自らの心身を生きた捧げものとして神に奉じてしまう。もしマリアが幼子の悲しい運命を初めから知っていたら……幼子の誕生を心から喜ぶことなどなかったはず。刑死した我が子を抱いて嘆くマリアの姿が描かれたピエタ……悲嘆でやつれたその姿こそが、マリアの偽らざる本心だったと。俺はつくづく思うのだ。

 そして……救世主とされた幼子もまた運命に翻弄され、生贄とされることを必ずしも是としていなかったんじゃないだろうか。捧げものなんざ最低最悪だと一刀両断した豊島さんの険しい表情を思い出し、豊島さんならイエス・キリストすら面罵しかねないよなと。ふと、苦笑する。


 永遠の野原のように。豊島さんのように。己の心を偽らず、貫き遠して生きることのなんと難しいことよ。

 まあいいさ。今夜はめでたい夜だ。余計なことを考えないで、さっさと寝よう。


「俺も今夜は楽しかった。プレゼントはそれだけで十分だ」


 独り言を傍らに置いて、夜具を引く。


「メリクリ、章子。おやすみ」



【第十二話 贈りものと捧げもの 了】

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