(5)
「ただね」
「え?」
さすがは豊島さんだと感じ入っていたら、憧憬を完膚なきまでに吹き飛ばす反作用が降って来た。
「捧げものだけは絶対にしない! ありゃあ、害悪以外の何物でもないっ!」
いきなり爆発した豊島さんを見て絶句してしまう。贈りものとの落差が大きすぎて、思考がついていかない。
「なぜ……ですか?」
「当たり前だよ。捧げものってのは紛れもなく搾取だ。必ず自己犠牲を伴うんだよ。信ちゃんならそれを無批判に受け入れるかい?」
「……」
世の中は相互扶助で成り立っている。自分の欲求ばかり主張したって絶対に通らない。ある程度の自己犠牲は仕方ないだろう。だが、誰かに犠牲を強要される筋合いはない。強いられて提供するのが捧げものなら、俺も絶対にしたくないな。
「冗談じゃないです」
「だろ? だから人間が絶対に敵わないものを捏造して、そいつに捧げさせようとするんだよ。俺様は偉いんだから、下々のおまえらは何か捧げたまえってね」
「むぅ」
「虫酸が走るっ!」
とても笑える状況ではないんだが、思わず笑ってしまった。ああ、豊島さんはいついかなる状況にあっても豊島さんだなあと。
厳しい表情を崩さないまま、豊島さんがぼそりと言い足した。
「わたしは宗教を否定するつもりはない。神様仏様ってのは、とかく衝突しやすい馬鹿な人間をなんとかまとめるための潤滑油みたいなもんだよ。見えない絶対者や超越者を作ればばらばらなエゴをまとめやすいからね。でも、宗教には副作用がある。誰でも神仏に化けられるってことさ」
「そうですね」
「宗教は否定しないけど、信奉もしない。信じるのは自分だけで十分だ。それ以外は要らない。もちろん捧げものはしないし、何も捧げられたくない」
ぎっと尖った視線が向けられる。
「だから綾瀬さんにビジネスだと言ったんだよ。彼は不幸にも五十年という時を野原に捧げてしまったんだ。彼の意思とは関係なくね。わたしがあれこれ口を出すと、やっと
机の上に置かれたささやかなクリスマスツリー。恨みも同情も混じらない透明な視線で、豊島さんが紙のツリーを見つめる。それから、指でツリーをぽんと弾いた。
「これは贈りものであって、捧げものじゃない。だから受け取った。でも、これを作れという作業療法士さんの指示は拒否させてもらう。興味のないものを作る時間がもったいないからね」
「そういう指示があるんですか?」
「脳の衰えがある人は、ね。意味のない単純作業をさせるより、みんなが喜ぶものにチャレンジさせたいという判断なんでしょ。コンセプトはわかるけど、限られている時間を捧げるつもりはない」
ははは。陽花の読み通りだな。豊島さんが猫なんかかぶるわけがない。どこまでも豊島さんだ。面と向かって喧嘩を売る人がいないから揉めないだけだろう。
「そうだ、信ちゃん」
「はい?」
「早苗さんは、捧げることしかできなかった人だ」
「……」
「せっかく征さんが籠から脱出させたのに、外に出たとたん自分で籠を作って中に閉じこもった。親の洗脳が最後まで解けなかったんだ」
「俺もそう思います」
「だろ? 征さんがなんとか籠をとっぱらおうとがんばってたけどさ。手を引っ張れば支配になり、後支えに徹すると征さんが犠牲者になる。どうにもならなかった。征さんは辛かったと思うよ」
「……」
「その点、章ちゃんは幸運だったね。信ちゃんが盾になってくれた分、ちゃんと自分を出せた。野原ではいつも楽しそうにしてたよ。それが早苗さんとの違いなんだ」
ああ……不覚にも涙が出そうになった。章子のことは、後悔ばかりだったからな。
「そういや、お袋はいつもぼんやりしてましたね」
「何も考えなくていいから気楽だったと思うけど、楽しくはないんだよ。というか、本当に楽しいってのは何か知らなかったんじゃないかい?」
「うーん……」
「今さらそこに突っ込んでもしょうがないけどさ。死ぬことでしか呪縛から解放されないのはかわいそうだなと思ってさ」
「記憶を失くしてる今は……逆に幸せなんですかね」
「さあ。それはわからない。わたしにわかるのは一つだけだ」
「なんですか?」
「早苗さんは、もう誰にも何も捧げなくていいってことだよ」
◇ ◇ ◇
昼過ぎに施設を出て、野原に立ち寄る。上空に汚い鉛雲を湛えた野原は、俺の愚痴を受け入れてくれなそうだ。夏に徹底整備してきれいにしたから、ここには人の目があると認識されたんだろう。野原周辺のゴミ不法投棄は減っている。それがずっと続いてくれればいいんだが……先々のことは何もわからない。
日差しを受けられない野原はどんよりグレイにくすみ、開放的でもなければ美しくもない。こんな日は、永遠の野原だけでなくどこの野原でも薄汚れた光景になるんだろう。俺が勝手に野原を美化し、過大評価していただけだ。
風が全く吹いていないから、葉擦れの音がしない。しんと静まり返った枯野は、まるで死の世界だ。見舞った時に身じろぎもせずこんこんと眠っていたお袋の顔とだぶって、いたたまれなくなる。
クリスマスという風習が日本に入ってくる以前から今に至るまで、野原はずっと変わっていない。周りが騒がしくなろうが過疎ろうがどこ吹く風だ。聖夜のご利益が野原に降臨することなど未来永劫ないだろう。だから贈ることも捧げることもしない、されない……か。
「悪いな。クリスマスだが何も贈れない。贈ったところで、おまえさんは拒否するだろうしな」
もちろん、俺は野原に何かを捧げるつもりはないし、野原に殉じるつもりもない。素っ気なく年末の挨拶を置いて背を向ける。
「今年はこれでおしまい。よいお年を」
◇ ◇ ◇
「贈りものと捧げもの。か」
施設からの帰路。俺はずっと豊島さんの言ったセリフを脳裏で反芻していた。
雅美さんのサポートにまんまと巻き込まれた優は、貴重な人生を彼女に捧げてしまったように見える。ちゃっかりが行きすぎた由仁は、他者に捧げものをさせ続けて自ら墓穴を掘ったように見える。でも『そう見える』だけなんだよ。
優がゆったり雅美さんを受け入れたこと。由仁が辛抱強くて奥の深い夫とまともな夫婦生活を送っていること。俺と章子はひどくアンバランスな夫婦だったと思うが、支配、被支配の関係はなかった。それと同じように、子供らもまた一方的に自らを捧げる以外の方法で二人での生活を組み立てていくのだろう。
「もし親父がまだ生きていたら。優や由仁を見てなんと言うかな」
ああ、きっとこう言う。
「大丈夫だ。なんとかなる」
それもまた立派な贈りものだということに。今になって気づいたりする。
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