(4)

 寒いよう、動きたくないようとぶつくさ文句を言っていた軽を右足で目一杯どやしつけながら、お袋と豊島さんが入所している老人ホームにたどり着いたのは午前十時頃。施設のランチタイムまでにはだいぶ時間があるから、マネージャーさんからお袋の現状を教えてもらい、その後すぐ豊島さんの見舞いに行けると思ったんだが。そうは行かなかった。

 嫌な予感ほどよく当たる。出発前に車内でお袋の世話が緩和ケアになりつつあるという見立てをしたんだが、嘱託の医師から直に同じことを言い渡されてしまったんだ。特定の病気に侵されているわけではないが、体調がひどく不安定になっている、と。


「自力嚥下ができているのでまだ胃ろうは入れませんが、今後はどうしても誤嚥のリスクが高まります。心肺機能がだいぶ低下しているので、高熱を伴うような体調急変は命取りになるんです。緩和ケアに特化した病院に入院して、看護を強化することをお勧めします」


 あくまでもお勧めであって、出て行けということではないらしい。ただ一般の入所者さんと同じ対応しかできないから、万一のことがあった場合施設を責めないでくれということ。ずっと前から覚悟していたとはいえ、改めて終末近しの事実を突きつけられるのは辛い。

 がっくり気落ちしたまま豊島さんの部屋を訪ねたので、俺の方が逆に見舞われてしまった。


「なんだい、信ちゃん。この世の終わりが来たみたいな顔して」

「いや、ちょっとお袋のことで……」

「ああ、早苗さんも年が年だからねえ」


 豊島さん。お袋の年はあなたと大差ありませんが。


「お袋がここに入所した時、覚悟はすでに出来ていたんですよ」

「まさか征さんや章ちゃんに先を越されるとは思わなかったってことだね」

「ええ」

「仕方ないさ。命運ばかりは自力でどうにかなるもんじゃないから」


 そうだな。豊島さんもご主人や息子さんを先に失っている。悲嘆を乗り越えないと生きる気力がなくなることは俺以上に思い知っているんだろう。

 今日は見舞いに来たんだ。お袋のことは後回しにして、豊島さんの状況を確認して帰ろう。


「ここには慣れましたか?」

「慣れないよ。いくら個室にいると言ってもわたしの家じゃないからね。借り物だからどうしても気が張る」

「そうか……」

「家事負担がなくなった分、楽にはなったけどね」


 そう言って、こじんまりした部屋をくるっと見回した。ベッドと小さな机と歩行器。椅子は置かれていない。スタッフ以外の人の出入りがほとんどないから、撤去させたんだろうな。机の上にはノートパソコンが置かれている。年季の入った時代物ではなく、最新の高級機だ。

 豊島さんがすごいのは、頭脳を常に研ぎ澄まそうとする努力を欠かさないこと。興味に飽かせて自らの足で取りに行くことはできなくなったが、パソコンという新たな情報収集ツールをとことん使い尽くしている。文明の利器を全く扱えなかったお袋とは人種が異なると言っていい。電子本の普及が始まってすぐに蔵書を残らず処分し、パソコンでの読書に切り替えたそうだ。本なんざいくら集めてもあの世に持って行けないからねと言い切った。

 寒々しいほど物がない部屋は、最後まで遺すなら意思、知識、感情……それだけでいいという豊島さんの強固な信念を反映しているのだろう。


 そんな寒々しい部屋にあって、机の上に置かれた折り紙製のクリスマスツリーが異彩を放っていた。俺がそれをじっと見つめていたら、豊島さんがぺっと吐き捨てた。


「クリスマスだからって、置いてったんだよ。わたしには意味がないんだけどね」

「嫌いですか?」

「いいや、わたしにとっては毎日がクリスマスさ。年に一度しかお祝いしないのは馬鹿臭いだろ」


 さすが豊島さんだ。感性が独特だなあ。感心していたらすかさず切り返される。


「信ちゃんとかはなんかやるのかい」

「しません。子供らが小さい時には普通にツリー立てて、ごちそう食べて、プレゼント渡してとやってましたけど。今は所帯が別ですから」

「章ちゃんがいないから宴会は無理か」

「はい」

「それにしても。プレゼント、ねえ」


 何か引っかかったんだろう。豊島さんが俯いてむすっと黙り込んだ。それから、やおら顔を上げるとだあっと話し始めた。


「なあ、信ちゃん。贈りものと捧げものは違う。どう違うかわかるかい」

「うーん……」


 そんなの、考えたこともない。仕方がないから思いついたままを口にする。


「人にあげるのが贈りもので、神様にあげるのが捧げもの、ですか?」

「近い、かな。富めるものが施すのが贈りもの。持たざる者が身を切るのが捧げもの。わたしはそう考えてる」

「なるほど……」

「わたしは、贈るのは好きだよ。施しってのは一種の自己表現だからね。ただ、贈られた人がわたしの意図を汲んでくれないとがらくたになっちまう。そらあ馬鹿馬鹿しいだろ」

「ええ」


 豊島さんがにやっと笑った。


「だから、誰かに贈りものをしたことなんかないんだ」


 思わずずっこける。おいおい。


「物体、はね」


 あっ! 思わず大口を開けてしまった。豊島さんの話はまだ続いた。


「贈ったものを粗末に扱われれば腹が立つ。だけど、施しってのはしょせん押し付けなんだよ。取捨選択する権利は贈り主ではなく、受け取った側にあるのさ」

「確かに……」

「捨てられても腹が立たないのは形のないものだよ。今もそう」


 納得せざるを得ない。そうだ。豊島さんは、出会った人たちに例外なく施しをしている。穂坂さん、俺の両親、俺や陽花、滝村さんや綾瀬さん。自分の信念を言葉に紡いで他者に投げかけるのは、紛れもなく豊島さんの贈りものだろう。取捨選択されても腹が立たないものは、言葉以外ないからな。意味や意義を汲み取れる人だけが受け取ってくれればいいという、究極の贈りものだ。


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