(2)
「あ、お兄ちゃん。おかえり。お疲れさま」
へとへとになって家に帰り着いたら、陽花が外出着のままリビングをうろうろしていた。
「どこかに出かけてたのか?」
「マンションに……」
あからさまにがっかりしている。まあ……そうだろなあ。
「私物を取りに行ったんだろ」
「うん。いっぺんに全部は持ってこなかったから」
……という言い訳をするために、あえて自分の荷物をいくらか置いてあったとみた。有美ちゃんは激情型だが落ち着くのも早い。ほとぼりが冷めれば同居を飲んでくれるかも……そういう淡い期待があったんだろう。甘いな。そんなの無理だよ。
陽花に対する苛立ちは、昨日今日生まれた感情じゃないんだ。積年の恨みに近い。子供は母親のケアがなければ生きていけないが、母親の心はいつも知らない男に向けられている。母親との二人暮らしでありながら、実質一人暮らしみたいな心境だったんだろう。だから有美ちゃんが寂しさの穴を母親以外の誰かで埋めたいという気持ちはよくわかるし、埋め草は絶対に母親の陽花にはなり得ないんだ。陽花は男に捨てられないと、心を有美ちゃんに向けないのだから。実の娘を知らない男と天秤にかける鈍感さを陽花が自覚しない限り、有美ちゃんが陽花を受け入れることは決してない。
「出てけって言われたか?」
「いや、わたしがもう家を出てるから、それはなかったけど。部屋が……」
「ああ模様替えしたんだな。俺でもそうする」
「ええー?」
不服そうな顔をしてるが、家賃払ってるのはおまえじゃなく有美ちゃんなんだよ。自分が家主なんだから、暮らしやすいように部屋を整えるのは当たり前だ。マンションが陽花の持ち家というならともかく、賃貸なんだからさ。
「やれやれ、有美ちゃんの方がよほどしっかりしてるよ」
「……」
黙り込んだか。以前より少しましになったとは思うが、すぐ貝になるのはこれまでと全く変わらない。持って生まれた性格だから、変化するには時間がかかる。俺の愚図がちっともましにならないのと同じだ。それでも変えていこうという意識があれば必ず変わる。変化を急かすつもりはない。
「それはそうと、クリスマスはどうするんだ?」
「決めてない」
お? 珍しく即答だ。
「有美ちゃんはイブも本ちゃんも仕事なんだろ?」
「うん」
「俺もなんだよなあ」
「優くんたちは?」
「若夫婦は二人だけでクリスマスをやりたいだろ。子供が赤ん坊の時にしかできないし」
「そっか。呼ばないのか」
「章子がもういないから、準備は俺一人になる。ケータリングでオードブルやらピザやら頼んでも、卓に並べる間にクリスマスが終わっちまうよ」
げらげら笑うかと思ったが、陽花は寂しそうに少しだけ口角を上げた。
「変わっちゃうんだね」
「まあな。だけど変化をなんとかこなさないと、明日が来ないからさ」
「うん。明日は休みだけど出かけるの?」
「お袋の様子を見てくる。トヨさんも同じ施設に入所したから、見舞いも兼ねて」
「ええーっ?」
ああ、そういや話してなかったな。
「トヨさん、身体を壊したんだよ。自宅で倒れてたところをたまたま訪問した業者さんが発見して、一命はとりとめたんだけど。ずっと入院してたらしい」
「そ……か」
「もう一人暮らしは無理だから、施設に入ることにしたんだってさ」
「あのトヨさんが。よく踏み切ったね」
最後の最後まで独り暮らしにしがみつくと思っていたんだろう。陽花が意外そうに首を傾げた。
「まあな。ものすごく悔しがってたよ。ただ、独り暮らしにこだわって絶命したら元も子もないとも言ってた。俺もそう思う」
「ふうん……なんか他の入所者さんや職員さんと衝突しそうだけど」
そう。俺も豊島さんのことだから必ず周囲とぶつかるだろうと危惧していた。何せ、野原のある地区に居を構えてから現在に至るまで、ありとあらゆる住民に吠えまくっていた女傑だからなあ。でも先週施設に行った時には、厄介なばあさんが入所したという緊張を他の人たちから一切感じなかった。
「トヨさん、様子見してるんじゃないか? ずっと自宅暮らしだったからさ」
「そうなのかなあ。猫なんかかぶりそうに見えないけど」
おーおー、本人がいないところなら言いたい放題だ。苦手を通り越し、大嫌いになっているんだろう。面と向かっていいかっこしいと罵倒されたからな。強い嫌悪感を抱くのはわからんでもない。でも、黙って腹に溜め込まれるよりはずっとましだ。
「直接聞けばわかるだろ。明日は施設で一足早くクリスマス会をやるらしい。お袋の様子も確認したいから行ってくる。おまえはどうする?」
一応投げかけはしておく。ただ陽花は絶対に行くと言わんだろう。入学早々にやらかして両親同士で話し合いが持たれた時、お袋は被害者である娘の擁護をせず、徹底的に『自己責任』を主張した親父側に付いたと親父に聞かされた。あとで親父が言ってたんだ。陽花は俺以上に早苗を恨んでいるだろうと。
親父の感想が当たっているかどうかは陽花が自ら言わない限りわからないが、大学を中退して働き始めてからはほとんど実家に寄り付かなかった。親父だけでなく、お袋との間にも深い溝が穿たれたのは事実だろう。
「わたしはいい。そろそろ仕事を探さないとならないし」
「そうか。戸締りだけは忘れないように頼むな」
「うん」
たとえ言い訳でも職探しを口にしたのを見て、心底ほっとする。俺の家にずるずる居座られると、厄介事がまたぞろ増えちまうからな。
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