(4)

 俺たちをぐるっと見回した豊島さんが、どすの利いた声で言い切った。


「わたしは最後の最後までわたしらしく生きるよ。だけど、あの世には何一つ持っていけない。誰かにわたしを受け継がせるとしたら、生き方しかないんだ。度会さんみたいにね」


 ふっと一呼吸置いて、豊島さんが高木さんを手招きした。


「資産管理の他に、もう一つ頼みたいことがあるんだ」

「なんでしょう?」

「彼のことさ」


 ひょいと綾瀬さんを指差す。


「あの……」

「彼はね、事情があって戸籍がない」

「えっ!?」


 高木さんとケアマネさんが揃ってのけぞってる。まあ……事情が事情だからなあ。と思ったら、豊島さんがいきなりぶちまけた。


「彼は五十年前の人だ。言ってしまえば浦島太郎さ」

「またまたあ。豊島さん、冗談が過ぎますよー」


 ケアマネのおばさんが苦笑に苦笑を重ねながら手を振って否定した。惚けて妄想入ってると思ったかな。ここで豊島さんにぶち切れられると面倒なことになるな。すかさず口を挟む。


「立ち合いだけってのもなんなので、私からちょっと」

「はい?」


 ケアマネさんが振り向いたのを確認して、ネタばらしをする。そう、綾瀬さんの失踪は隠し事でもなんでもない。五十年前大騒動になってるから、当時の記録は山のようにあるんだ。


「豊島さんのお宅のすぐ上に野原があるでしょう?」

「あ、はい。宅地化しなかったんですね」

「しなかったんじゃなく、できなかったんです。超訳ありでね」

「は?」


 きょとんとしているお二人に、綾瀬さん失踪事件の説明をした。


「彼は五十年前、当時野原のオーナーだった穂坂さんという方から危ないから止めろと何度も注意されていたのに、制止を振り切って野原の中を調査しようとしたんですよ。野原の中で幕営して、そのまま行方不明になったんです」

「そんなあ……」


 ありえないという顔をしているから、スマホで当時の新聞報道を表示して二人に見せた。もちろん綾瀬さんの実名も顔写真も掲載されている。二人の顔色がみるみるうちに悪くなった。


「神隠しだとか宇宙人に連れ去られただとか、無責任な憶測が山のように流れました。でも、世間一般に行方不明になれば事件に巻き込まれたと考えるでしょう?」

「……ええ」

「そうですね」

「警察が徹底的に捜査したものの、彼が野原にいた痕跡すら残っていなかったんです。当然、嫌疑が野原のオーナーにかかります。穂坂さんはとんだ大迷惑を被ったんですよ」


 子供だった俺も、穂坂さんがよく愚痴っていたのをしっかり覚えている。渋々だったが、野原に入るのを認めたのは穂坂さんの厚意だ。それを被疑者扱いという仇で返されるなんてね。


「穂坂さんは牧場を畳んで土地を全部処分するつもりだったんですが、綾瀬さんの失踪事件が決定打になって売れなくなった。それを私の父が買い取ったんです」

「あの……なぜ?」


 高木さんが信じられないという顔をしている。俺だって、もし成人していたら全力で止めただろう。


「そうですね。父が野原を気に入ったからでしょう。私はまだ幼かったので、野原で遊んだという記憶しかありません。ただの野原ですが、見晴らしがよくて楽しかったのは事実です。ただ……」

「ただ、なんですか?」


 厄介な案件に絡んでしまったという渋面を隠さず、高木さんが確かめた。


「あの野原は、一切の変化を拒絶するんです。五十年どころの話ではなく、穂坂さんがこの一帯で牧場を営んでいた頃から全く変わっていないんです。というか、誰も変えられなかったんですよ」

「あっ!」


 高木さんとケアマネさんが綾瀬さんを凝視した。五十年前のままという意味がわかってもらえたと思う。俺の話を、豊島さんがさっと引き取った。


「中で短時間遊んで回るくらいなら許容してくれるんだけどね。変化が続きそうになると徹底的に拒否される。中に持ち込まれたものが……」


 綾瀬さんを差した指が、あさっての方向にさっと振られた。


「どっかに消えちまうんだよ。綾瀬さんだけでなく、彼の持ち込んだテントも荷物ごと消えてる。警察がしらみ潰しに探したけど結局見つかっていない。それだけじゃないよ。ゴミも工具も野原の中に置いておくと翌日には消えてる。トン単位の産廃まで一日で消えたんだ」

「う……わ」

「ただ、野原が撤去したものがどこに行くのか、どうなるのかはよくわからないんです。そして……」


 綾瀬さんを指し示す。


「人的被害は、私の知る限り彼一人。時間をすっ飛ばされる、野原に戻ってくるというパターンも初めてです」


 二人揃って絶句しているが、俺は怪談をしたいわけじゃない。本題は何があったかじゃなく、これから綾瀬さんのサポートをどうするかなんだよ。察した豊島さんが強引に話を戻した。


「今の話を信じようと信じまいとわたしはどっちでもいい。だけど彼は失踪後に死亡したことになってる。戸籍を失ったんだ。死んだことにされたけど実はまだ生きてたってケースの場合、きちんと本人確認が出来れば戸籍の復元は可能さ。でも、五十年前のままの人を連れて来て本人ですっていくら主張しても、たちの悪い冗談にしか聞こえないよ」


 そう言って、ケアマネさんをぐっと睨んだ。場数を踏んでいるケアマネさんにとっても想定の斜め上を行っていたんだろう。リアクションがなかった。


「幸い、うちの息子も消息不明だ。もう死んだことになってる。綾瀬さんを息子の子供……孫ということにすれば年回り的にはおかしくないんだ。豊島の戸籍にぶら下げられる。高木さん」

「……はい」

「あんたにはまだ荷が重い。所長に事情を説明して、彼の身分保障と後見をお願いしたい。最低限でいいよ。幽霊でさえなければ自力でなんとかできる。そうだろ?」


 まだ納得しきれていないんだろう。綾瀬さんの表情は冴えない。それでも、返答は素早くてクリアだった。


「なんとかするしかないです。僕はまだ死にたくないので」

「それでいいよ。でね、綾瀬さんには重要な役割がある。わたしの提案はあくまでもビジネスだ。承けるなら、反故にしないで確実に履行してほしい」

「聞かせてください」

「三つある」


 豊島さんが、車椅子の上で身を乗り出した。


「一つ。先に言ったけど、わたしの死後処理をお願い。どうしてほしいかは書面で残す。度会さんとことあんたとで内容を確かめて、細部を詰めて。処理の中身には資産も含まれる。この家も含めてね」


 豊島さんがリビングの室内をぐるっと見渡した。


「預貯金や証券類は、おそらくわたしのケアで消える。ほとんど残らないと思ってちょうだい。もし残っても慈善団体に寄付する。綾瀬さんには遺さない。国税に勘付かれたら、綾瀬さんが詰んじまうからね」


 綾瀬さんがぶるっと震えた。身分が偽りである以上、欲長けて資産に手をつけると手が後ろに回るからな。


「ただね。この家と土地は別。綾瀬さんに遺す。わたしが死んだら単なる幽霊屋敷だからね。綾瀬さんが住み続けてもいいし、処分してカネに換えてもいい。もっとも、ここの地価はうんと下がってるから大したカネにはならないけど」


 無言で頷いた綾瀬さんを一瞥して、豊島さんが話を続けた。


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