第十一話 渡りの刻
(1)
「お兄ちゃん、ほんとにいいの?」
「いい悪いじゃない。こうするしかないだろ」
「だって……」
「だってもあさってもないって」
表面上は俺に迷惑をかけたくないというポーズを取っているが、実際は有美ちゃんに寄りかかれなくなる不安がそう言わせているんだろう。うちでの共同生活を始めることになった陽花の姿勢はずっと後ろ向きのままだった。
そして、陽花の腰を引かせているのは不安だけじゃない。うちのそこかしかには、まだ章子の存在感が色濃く残っている。陽花を受け入れるにあたって最低限の遺品処理は済ませたが、一番ドライに処理をしてくれそうな由仁が全く家に寄り付かなくなってしまったから俺一人でこなせる分しか片付けられていない。いかに実の兄妹と言っても、他の女性が砦にしていた空間にずかずか踏み込むのは気が引けるんだろう。心情は理解できるが、慣れてもらうしかない。
「夫婦じゃなくて兄妹だからな。家事の代行や食事の支度は考えなくていい。その代わり、俺もサービスはしない。独り者同士が暮らすシェアハウスだと思ってくれ」
「……うん」
「ここで暮らしている間の生活費は請求しないが、自分の食い扶持くらいは自分で確保しろよ。中年の引きこもりなんざ百害あって一利なしだぞ」
「うう……」
くったり項垂れてしまった陽花を見て、でかい溜息を連発する。仕事をしながら女手一つで有美ちゃんを育てたと言えば聞こえはいいが、実のところはいろんな男に媚を売り、その稼ぎにぶら下がって生きてきたんだろう。本当の意味での自立心が欠けている。いつも何かに寄りかかっていようとする甘え癖が今でも抜けていない。有美ちゃんが激怒するのも無理ないんだよ。
今回世帯分けに踏み切ったのは、あくまでも陽花のエスオーエスに対する応急処置。有美ちゃんの母子だけでの生活が落ち着けば、陽花にはどこかアパートを借りて暮らしてもらうことになる。今回の同居はそのための慣らし、移行期間だ。いずれは独りに慣れなければならないという覚悟とか危機感とかが皆無の今は、少しだけ距離を空けるというところから始めるしかない。
とりあえずやってみて、だな。ここがゴールっていう目標なんてものはない。ただ淡々と暮らすだけの話だ。
うちに永住するわけではないので、陽花が今まで住んでいたマンションからうちに持ち込んだ荷物はそんなに多くない。片付けに手間取ることはないはずだが、心を整理する時間は必要だ。俺がいると気が張るだろうと思ったから、野原に出かけることにする。
「あれ? お兄ちゃん、出かけるの?」
「ああ、野原に行ってくる。豊島さんをしばらく見かけないなあと思っていたら、倒れて入院してたらしい。見舞いを兼ねて様子を見てくるわ」
「そ……か」
「豊島さんだって八十過ぎさ。俺たちがただの風邪だっていう不調でも命に関わることがある。一人暮らしだから、余計にね」
「うん」
「俺は」
車のキーを確かめて、ジャケットを羽織る。天気はいいが、風が冷たい。長くは外にいられなさそうだ。
「俺は章子の時の後悔を。二度と繰り返したくないんだ」
◇ ◇ ◇
現金なもので、野原に繁く通うようになってから軽の調子がぐんと良くなった。車は乗ってなんぼというのを実感する。もっとも、車が快適になった分、俺がくたびれていくような気になるのは仕方がない。実際、今でもかなりキャパオーバーの状態なんだよ。
「おまえはいいよなあ。たまのお出かけで目一杯走れる。それでご機嫌になれるんだから」
と、車相手に愚痴っても仕方がない。いつもの左折口でウインカーを上げて側道に入った。途端に年を経た家々があちこちで咳をし始める。活気に満ちた生活音ではない。生を保つぎりぎりのところから発せられる喘ぎのような生活音。そのうち、俺の家からもああいう音が漏れ出るようになるのかと思うと、がっくり来る。
センター道路を登り詰め、いつもの場所に停めて車を降りた。エアコンの効いた車から降りると、厳しい現実が一気に押し寄せる。
「う、さぶ……」
吹き上げてくる風が寒気で武装し、情け容赦なく肌を切りつける。ここで芯から心身が冷え切ってしまうとそのあと何をする気もしなくなるだろう。さっさと降りて、豊島さんの様子を見に行くか。野原に背を向けた途端、鋭い鳴き声が背中に突き刺さった。ぎちぎちぎちぎちぎちっ!
思わず首をすくめてしまった。はあ……脅かすなよ。
「モズか。野原の中じゃないな。近くの電線に留まってるのかな」
野原には一年を通して鳥の気配がない。春のヒバリも秋のモズも、野原では見られないんだ。年中そこかしこにいるはずのスズメやカラスの気配すらない。それが野原の排他アクションによるものか、鳥たちが自発的に野原を忌避しているのかはわからない。おそらく……後者なのだろう。鳥だけでなく他の生き物の気配も極端に薄いからな。
陽花や子供らのごたごたが落ち着いたら、野原の調査を加速させよう。俺は怠け者だから、一度足が止まると再始動がしんどくなる。まあ……来年になるだろうけどな。
電線のモズは、寒風に逆らってずっと絶叫し続けている。そいつに向かって苦言を投げつけた。
「おい、ここには早にえを作れる木も鉄線もないぞ。冬備えなら他でやれ」
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