(4)
これまでの豊島さんなら、付き合いが長い俺にすら身の上話なんか絶対にしなかっただろう。だが、孤独に耐える強靭な精神力があっても、一人で生きていくために必要な心身はもう戻ってこない。寂しいと弱音を吐くんじゃなく、今の自分の状況で何をなしうるか、選択しうるかを考える。そのための情報提供、か。
ヘルパーさんを家に入れるなんてとても考えられなかったけど、他人を受け入れる嫌悪感より、家事を代行してもらえる実利を得る方が生きやすい。自我を取り崩したくない豊島さんは、割り切ったんだろうな。
やっぱり……すごい人だ。渡り掛けた三途の川を力任せのクロールで泳ぎ戻った豊島さんを見て、俺は畏敬の念を禁じ得なかった。まさに地獄からの帰還。親父や章子にも、飽くなき生への執念を見習って欲しかったな。俺が腕組みしたまま唸っていたら、豊島さんがひょいと顔を上げた。
「信ちゃん。今日は誰か呼んだのかい?」
「いいえ。一人でのんびり日向ぼっこでもしようかと思って」
「じじむさいねえ。じゃあ、あれは誰だい?」
「え?」
野原に誰かいる? 逆光で顔がよく見えなかったんだが若い男のようだ。髪を伸ばしていて、毛先が肩にかかっている。
「あのー」
俺たちが男に気づいたように、男も俺たちに気づいたんだろう。困惑の混じった声を張り上げた。
「すみません。僕のテントがどこに行ったか、わかりませんか?」
テント? その一言で背筋が凍った。まさか……。
「豊島さん、ちょっとここで待っててもらえますか?」
「……ああ」
若者の声は豊島さんにも聞こえたらしい。豊島さんの顔もひきつっている。
アプローチを駆け上がり、改めて若者の服装を確かめた。登山用のカッターシャツとジャンパー、それに作業ズボン。靴は軽登山靴。アウトドアレジャー用の格好としてどこもおかしいところはないが、どうも野暮ったい。昭和の匂いがするんだ。だらしなく伸ばしているだけの長髪に太いセルの眼鏡……風貌にもどこか時代感が漂っていた。おしゃれの一環として整えられたレトロではなく、昭和半ばの時代感をそのまま再現しているような……。
俺はすでに確信していた。彼は野原から『返却された』のだろう。五十年の時を経て。
「こんにちは。どちらからいらっしゃいました?」
無難に声をかけてみる。
「ああ、すみません。僕は三田島大社会学部で助手をしてる綾瀬と言います。ここのオーナーの穂坂さんに許可をもらったので、野原を調査する予定なんですが」
間違いない。今、穂坂さんのことを知っている人はほとんどいないと言っていい。現実のトラブルにはなんとかかんとか対応してきた俺も、さすがにこの事態はとんでもなく想定外。お手上げだ。
そうは言っても、彼に事実確認させないわけにはいかない。溜息満載で、まず『今』を認識してもらうことにする。
「私はこの野原の所有者で、佐々木と言います」
「え? ここは穂坂さんの土地じゃないんですか?」
「穂坂さんはずっと前に亡くなりました。穂坂さんがご存命の時に、私の父がここを買い取ったんです」
「……」
激しく混乱しているな。
「綾瀬さんとおっしゃいましたか。今、何年の何月何日ですか?」
何ばかげたことを聞くんだ。そういうニュアンスの混じった口調で綾瀬さんがすらすらと答えた。
「1972年の10月15日ですよね」
月日は合っている。が、年が五十年ほどずれている。やっぱりだ。気の毒だが、事実を伝えないわけにはいかない。
「今年は2023年なんです」
「は? 冗談ですよね」
黙ってスマホを出し、画面を見せた。時事ニュースを表示して内容を読ませる。字面を目で追った綾瀬さんがみるみる青ざめていった。五十年前にはスマホどころか携帯電話すらなかったんだ。当時は持ち運べる電話が夢の装置だったはず。綾瀬さんがスマホをポータブルテレビと認識したにせよ、画面に表示されている記事のコンテンツが五十年前と激しくずれていることくらいはすぐにわかるだろう。
項垂れてしまった綾瀬さんに向かって、容赦無く嫌味をぶちまける。そもそも、警告を無視して野原に居座ったあんたが、この野原を厄介者にしてしまった諸悪の根源なんだよ!
「だから。穂坂さんが強くあなたに警告したんですよ。ここに関わっちゃいけないって」
「どうしてそれを?」
「当然です。父がここを購入した時に、あなたの失踪事件で振り回されたこの地区の住民と一悶着あったからです。私はまだ子供だったので事件のことは詳しく知りませんが、父にも穂坂さんにもいろいろ経緯を聞かされましたから」
「失踪って……僕はここにいますけど」
「あなたは当時のままなんでしょう。でもあなた以外の人は、五十年間誰もあなたを認識できていません」
「そんな。そんなバカな!」
「この野原は今までいろいろやらかしてますが、人的被害はあなただけなんですよ」
「被害……って」
「あなたは野原から忽然と消えた。行方不明になったんです。テントごとね」
おそらくだが。テントはすぐに野原が撤去したんだろうな。返却ではなく撤去だから、テントがどこに片付けられたのかは知る由もない。しかし、引き止めたのか動かせなかったのかはともかく、野原は彼を残した。彼は野原ではないどこかに、五十年間留め置きされたのだろう。時を止めたまま。
野原が五十年の時を経て彼を解放することにした理由はわからない。全く……わからない。
「とりあえず。野原から出てください」
「いや、テントが……荷物とか資料とかがそこにあるので」
「テントなんかどこにもありませんよ。野原は見通しがいいので、それくらいすぐにわかるはずです」
隠された宝を探し出そうとするように、隅々までぐるりと見渡して。それでも納得行かなかったのか、野原の中をうろうろ歩き回って。綾瀬さんは悄然と戻って来た。
「納得されましたか?」
「……」
「あなたがここに居続けようとすると、次は何年野原に足止めされるかわかりませんよ。穂坂さんと同じ警告を、私からも繰り返しておきます」
語気を強め、力一杯どやした。
「興味本位で野原に関わらないでください。ここは本当に危険なんです! 今生きているだけで儲け物だと思ってください!」
もし綾瀬さんが不幸にも野原のエゴに巻き込まれてしまった純然たる被害者だったならば、俺は最大限の同情を寄せ、もっと親身になれただろう。でも彼は自分の知識欲を優先し、彼の身を案じた穂坂さんの制止を振り切って野原に入り込んだ。その結果、穂坂さんだけでなく近隣住民まで含めて大騒動に巻き込み、野原の悪名を広く喧伝してしまった。
綾瀬さんの奇妙な失踪事件が五十年の間に徐々に風化したとはいえ、野原の怪異は都市伝説として今でもしっかり残っている。野原でまたぞろ騒動が起こると、今度は俺がその尻拭いをしなきゃならないんだよ。勘弁してくれ!
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