(3)
鬼のような形相を崩さないまま。それでも豊島さんはきっぱり言った。
「わたしは運がよかったんだ」
そのあと豊島さんがだあっとまくしたてた一部始終を聞いて、本当に驚いてしまった。
◇ ◇ ◇
滝村さんを植木職人の市川さんに引き合わせると言ったのは、豊島さんだ。俺と違ってちんたらちんたら物事を進めるのが大嫌いな豊島さんは、あのあとすぐに市川さんに電話を入れて、滝村さんとの顔合わせをセッティングしたらしい。滝村さんがびびりだということは見抜いていたようで、いきなり一対一で市川さんに合わせるのはリスクが大きいと判断。顔合わせの場所を自宅にした。それが豊島さんにとって最大の幸運になった。
豊島さんは市川さんのことをぼろっくそにけなしていたが、まあ……あれは一種の愛情表現なんだろう。悪口雑言をぶちまけながらも、家の庭木の手入れはずっと市川さんに頼んでいたのだから。市川さんも売り言葉に買い言葉で真正面から応戦しながらも、仕事はきっちりこなしていた。親父や穂坂さんとは違う形だが、一種の戦友だったのかもしれない。
電話で激しい応酬があったものの、弟子入り志望の若くて馬力のある男がいると聞かされれば市川さんも悪い気はしない。どれ、いっちょ品定めするかと、待ち合わせ時間ぴったりに豊島さんの家を訪ねた。市川さんが着く少し前に滝村さんが家に着いていたんだが……呼び鈴を押しても応答がない。
あのばばあ、敵前逃亡しやがったかとヘソを曲げた市川さんの横にいた滝村さんは、引き戸を力任せにこじ開けて中に飛び込んだ。磨りガラス越しに倒れている豊島さんが見えたのだそうだ。
滝村さんがすぐに携帯で救急車を呼んだが、血圧がひどく低下していて本当に危なかったらしい。まさに間一髪で命拾いした。ただ……そのあとが予想外かつ厄介だった。体調不良の原因がいくら検査しても判明しなかったのだ。さっき豊島さんが言ったように、老化に伴う臓器の機能低下がたまたまいくつも重なったため……くらいしか考えられないという説明だった。
臓器に深刻なダメージがあったわけではないので、静養によって体調が徐々に戻ったが、ベッドからは降りられなかった。そのせいで、二ヶ月の入院期間中に手足の筋肉がごっそり削げ落ちてしまったのだとか。歳を取ってからの大病は、筋力低下が怖いんだよな。俺も、親父が入院した時にこれでもかと思い知らされたんだ。豊島さんは悔しかっただろう。これまでは杖があれば普通に歩けていたのに、立居振る舞いにすら難儀するようになってしまうなんて。
負けず嫌いの豊島さんは必死にリハビリを重ね、なんとか自力である程度歩けるところまでは回復した。でも、散歩はおろか普段の買い物すらこなせなくなってしまった。今日ここまで足を伸ばしたのも、決死の覚悟だったんだろう。下手をすれば帰路で行き倒れていたかもしれない。
「家事や身の回りのことはどうされてるんですか?」
「誰かに頼むしかないよ。民生委員が来て、ケアマネさんに話を通してくれた。頭はぼけてないけど支援はどうしても要るってことで、ヘルパーさんを派遣してもらってる」
首をひねって街区を見下ろした豊島さんが、悔しそうに声を絞り出した。
「ここはダンナと二人で築いたわたしの城だ! 誰にも渡したくない。最後の最後までしがみついていたいんだよ!」
どこまでも我を張る、我を通すのが豊島さんだけど。死神相手にだけは意地を通せない。そういう悔しさが言葉の端々から滲み出ていた。最後に達観してしまった親父とは根本が違うんだよな……。
「親族の方やお子さんには頼れないんですか?」
「わたしもダンナも鼻摘まみ者だったからね。実の親からすら縁を切られてる。子供……か。生きてりゃね」
「は?」
「息子が一人いるんだけど、行方不明のままなんだよ」
「……。事故かなんか、ですか?」
「わからない」
わからない? どういうことだ?
「あの子は。順は、わたしたちわがまま夫婦から生まれたってのが信じられないくらい気が弱くてね」
「……章子みたいなものですか?」
「似てるところはある。だけど、章ちゃんにはあんたがいた。順にはそういう盾になってくれるやつが一人もいなかったんだよ」
豊島さんは、まるで他人事のようにさらっと言った。親でありながら、息子さんの盾にはならなかったということか。子供に与えるものとして、自由の保証を優先したんだろう。自我のひ弱なやつなんか、この世から滅んでしまえ! そういう信念とも怨念ともつかない強烈な人生指針から、息子さんすら外さなかったとは……壮絶だ。
「いつも人に振り回されてばかりのお人好し。まあ、それでもなんとかかんとか生きていけるだろうとたかをくくってたんだけどね」
「なにかあったんですか?」
「勤め先で不正に関わったらしくてね。順の性格なら、自ら進んでじゃなくて巻き込まれたんだろうけどさ。情けない話だよ!」
「……」
以前の豊島さんなら、腹立ちまぎれに持っていた杖を振り回しただろう。でも今の豊島さんには、震えながら杖を握りしめることしかできなかった。
「逃げた……んですか?」
「さあね。わからない。裏の連中にも恨まれたって聞いてる。逃げたにせよ消されたにせよ、もういない」
豊島さんらしい一刀両断だったけど、その言葉には熱がなかった。どれほど残酷な事実でもそのまま是認するしかない……底なしの無念さが見え隠れしていた。きっぱり顔を上げた豊島さんは、感情を乗せずに言い切った。
「それから。ずっとあたし一人さ」
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