第十話 帰還

(1)

「ふう……俺もトシだな」


 少しずつ枯れ草の藁色が混じり始めた野原を見渡し、牧柵に両腕を預けて溜息をつく。

 俺は鈍臭いから、同時並行で何かをこなすのは本当にしんどい。仕事をこなしつつオフの時も休みなく雑事を片付けるってのはどうにも荷が重いんだ。だからと言って何もしなければ、雪だるま式に厄介なこと、悩ましいことが増えてしまう。

 仕事なら、頑張った分だけ稼ぎが増えるというご利益がある。だが雑事をいくらこなすしてもカネと気力を消費するだけで、まるっきり労力投資の割に合わない。まあ……ひいひい言いながらそいつをなんとかかんとか片付けていくのが、生きるってことなんだろう。


 尻ポケットにねじ込んであった黒手帳を引っ張り出して開き、予定表の打ち消し線がいくらか増えたのを見て自分を慰める。


「鈍臭い俺にしてはよくやってるよな」


 優と由仁に「子供の世話を陽花に押し付けるな」と釘を刺し、実効を得るために必要な地ならしを済ませた。

 優と雅美さんのところは緊急時に雅美さんの親を頼れるようになったので、これまでのような非常識な行動はもう起こさないだろう。もっとも、雅美さんは極力親に借りを作りたくないと思うが……。

 それより由仁の方がずっと深刻だろうな。会社と俺、敬士さんのそれぞれから手痛い逆襲を食らったのだから。世の中ちょろいと舐めきっていた由仁にはいい薬だと思うものの、逃げ場も拠り所も一瞬で瓦解してしまった反動は大きいはず。優や有美ちゃんのことを社会不適合者と陰で嘲笑っていながら、その自分が彼ら以上に不適合者の役立たずだったんだ。働けている優や有美ちゃんと違って、無職のぷー太郎。しかも自己都合で辞めたのならともかく、実質的には懲戒解雇だからな。


 あいつがまだ独り者なら、親としてもっと心配し、もっと強く説教するところだが、あいつはすでに妻であり母だ。支えられる者ではなく、子供や夫の拠り所として自分の足をしっかり地面に着けなければならないだろう。俺が浮ついているあいつを地面にくくりつける義理はないし、あいつも決してそうされることは望まないはず。いくらあいつがちゃっかり者だと言ってもね。

 だから俺からは絶対にアプローチしない。あいつの反応を確かめたり、繰り返し牽制球を放るつもりはない。そういう先回りのアクションを気取られると、あいつの鼻持ちならない勘違いを増長させてしまう。薬にならないんだ。

 そらあ、俺は親だから娘の様子が気にならないと言えば嘘になるが、あいつが心底反省して横柄な態度を改めるとはとても思えない。ぶち切れて俺に八つ当たりするのは構わないさ。適当にあしらうだけだ。でも癇癪を俺以外に向けられるのは困る。特に、敬士さんと愛理ちゃんにぶつけられるのはね。まあ……少し冷却期間を置いて、敬士さんからこっそり状況を聞き出すことにしよう。


「ん……」


 手帳を畳んで尻ポケットにねじ込み直し、気まぐれな秋風になぶられてざわつく野原を改めて見渡す。

 そもそも俺が野原を再訪するようになったのは、ここを先々どうするか考えておくためだ。俺に何かあれば、優や由仁に曰く付きの野原の始末を押し付けることになる。持ち続けるにせよ処分するにせよ、変化にとことん抵抗する奇妙な野原の由来くらいは把握しておかないと、子供らの未来を狂わせかねないからな。

 それなのに。野原がどうのこうの以前に子供らのトラブルシューティングでてんてこまいしているなんて、本末転倒もいいところだ。野原に、「俺のことよりてめえのケツを先に拭きやがれ!」とどやされている気分だよ。とほほ……。


 で、肝心の本筋だが。牟田さんのじいさんからはあれから何の音沙汰もない。見るからに義理堅そうなじいさんだったから、俺が急がないと言っても進捗状況くらいは知らせてくれるはずだ。それなのに没交渉のままになっているのは、お孫さんの結婚の件で牟田家がごたついたからだろう。

 じいさんは辛かっただろうな。どちらの側に立っても遺恨を残すことになるから、双方を徹底して突き放すしかない。それでも、どちらかと言えばお孫さん側のスタンスだったはず。だから彼女が初志貫徹したのを見て。ほっとしたんじゃないだろうか。外圧で自分の道を曲げられる怖さは、じいさんが一番よく知っているのだから。


 俺だって、じいさんのことを偉そうにああだこうだ言えた義理ではない。身内のごたごたに振り回される図式は同じなんだ。幸い、俺の方はトラブルの波が一旦引きつつある。このまますんなり万事解決、視界良好とはいかないと思うが、子供らのやらかしを慌てて尻拭いして回る心配はしなくてもよさそうだ。

 懸案だった野原の整備も、馬力のある滝村さんが手伝ってくれたから荒れ放題の状況がだいぶましになった。年中変わらない牧柵の中とどんどん荒れていく牧柵の外の落差がひどくなると、せっかく怪異の噂から遠ざかっていた野原がまたぞろ好奇心の餌食になりかねないからな。

 これまで雑木の伐採やゴミの片付けを徹底的に進めたので、今後は休日を野原のメンテで全部持っていかれるハードな状況がいくらか緩和されそうだ。もっとも、家にいれば俺はすぐに巣篭もり地蔵化してしまう。することがなくても野原を見に行くくらいでちょうどいいのかもしれない。


「うん。すっかり過ごしやすくなったな」


 今日は特に目的があって野原に来たわけじゃない。天気もいいし、少し気分転換をと思って足を伸ばしたんだ。

 来月から、陽花が俺の家に来る。名目は親父の遺品整理だが、実質は有美ちゃんと世帯を分けるための予備訓練だ。陽花だけでなく俺の生活リズムも否応なしに変わるだろうから、今のうちに心身を整えておかなければならない。穏やかな秋の一日を、のんびり堪能することにしよう。


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