(6)

 ぐずり始めた愛理ちゃんをあやしながら、敬士さんがふっと吐息を漏らした。


「ただ……」

「うん?」

「ゆーちゃんが人になんでも押し付けようとするのには、理由があると思うんですよ」


 理由? そんなものがあるとはとても思えんが……。


「ゆーちゃんは、寂しいんじゃないでしょうか」

「寂しい? 寂しいとちゃっかりと、どう関係があるんだ?」

「前にお義父さんが言ったじゃないですか。ギブアンドテイクならギブの方が先だと」

「ああ」

「でもテイクを先にすれば、ゆーちゃんに何かしてくれた人は必ず言うはずです。返してくれって」

「まさか、あいつ」


 わざと借金を作ることで、貸した人との接続を保とうとする……か。それは、たちの悪いかまちょだ。思わず渋面になってしまう。敬士さんが顔を上げ、野原をぐるっと見回した。


「ゆーちゃんは、幼い頃ここに来るのが大好きだったそうです」

「……」

「ここなら、普段優さんしか見ていない両親が自分を見てくれる。一緒に遊んでくれる。前に、そう言ってました」


 ああ……そうか。そうかもしれない。手のかかる優のケアで、手のかからない由仁の世話がどうしても後回しになってしまった。その負い目があって、俺も章子も由仁のちゃっかりを強く咎められなくなったんだ。

 あいつは、俺たちを試し続けていたのかもしれない。要求がどこまで許してもらえるかではなく、どこまで要求すれば怒られるか、拒絶されるかを。俺らは、由仁が期待していた以上におねだりを許容してしまったんだろう。由仁の過剰なおねだりは、いつしか試行の領域をはみ出していった。それだけでなく、おねだりに必要不可欠なデリカシーが全く失われてしまったんだ。

 正直に言おう。由仁のおねだりは、ちゃっかりというかわいらしいものではない。図々しいと誰からも忌み嫌われる悪癖だ。そして、やらかしている由仁だけが悪癖の弊害をずっと軽視している。もう……あとがないのに。


「なあ、敬士さん」

「はい」

「由仁に伝えといてくれ。直接でなく、ラインで構わない。全てを失った時、最後にすがれるものはなにかを真剣に考えろと」

「それは……なんですか?」

「由仁なら、自分自身と言いそうだな。だが、そんなものはくその役にも立たん」

「一人では生きていけないから、ですね」

「ああ。もっと人との縁を大事にしてほしい。打算で人を選ぶと、自分もそうされる。利用価値がなくなった途端に、容赦なく切られるんだ。今回、あいつがクビになったみたいにね」

「ええ」

「今のあいつには人に与えられるものがなにもない。その欠陥をしっかり自覚して欲しいんだよ」


 牧柵の外にぼさぼさ生えている猫じゃらしを一本抜いて、野原にぽんと放る。


「与えられるものがこれくらいでも十分なんだ。ギブが先という意識さえあれば、縁なんか勝手にできて、勝手に育つ」


 もう一本穂を抜いて、野原に放り足す。


「そういうことを。こんなネガティブな形じゃなく、人との関わりの中から学んで欲しかったんだがな」

「お義父さんは……本当にゆーちゃんと絶縁されるんですか?」


 心配顔の敬士さんを見て、全力で苦笑してしまう。


「あいつと絶縁するのは、この野原を宅地にするよりしんどいよ」

「え?」


 きょとんとしてる。なんだ、ここの由来を由仁から聞いてなかったのか。


「この野原。由仁が小さい頃から全く変わっていない。それどころか、私が子供の頃からずっとそのままなんだ」

「ずっと管理されてきたんですか?」

「まさか。放置だよ」

「だったら、もっと荒れるはずですよね」

「そう。この野原はとても奇妙な場所なんだよ」

「……」


 由仁の思い出の場所という認識しかなかったんだろう。ここは、そんなノスタルジックな場所じゃないんだ。

 変わらずに在り続ける野原は、醜く変わってしまった自分をことさら意識させてしまう。由仁は呼び出しをすっぽかしたんじゃなく、ここにどうしても来たくなかったんだろう。


「ここは永遠の野原。誰も変えられない、変化を拒絶する場所なんだ。見たらわかるだろ? この前のでかい台風すら、ここに傷一つ残せていない」

「う……わ」


 違和感にようやく気付いたんだろう。びくびくしながら野原を見渡している。


「この野原が何をどうやっても野原であり続けるように。親子ってのは、どういう愛憎が間にあっても親子なんだ。断ち切るのは難しい」


 俺が本気で絶縁宣言したわけではないと知ってほっとしたのか、敬士さんのこわばっていた肩が緩んだ。


「だけどね。妻がもうこの世にいないように、死だけは親子の縁を強制的に切ってしまう。由仁には、その事実から絶対に目を逸らすなと言っておきたい。親という最後の防波堤は必ず失われるんだ」

「……はい」


 そういや、敬士さんは孤児だと由仁から聞かされた。もっとも強力な親という後ろ盾が最初からないんだ。だから、俺の警告を由仁よりもずっとシビアに考えてくれるだろう。

 ぐずり始めた愛理をあやしている敬士さんを見て、頬が緩む。なあ、由仁。懐の深い、いいダンナに巡り会えたな。それはおまえにとってかけがえのない幸運だろう。だが、その幸運はおまえがへまをし続けるとすぐに消えてしまう。永続が保証されているわけじゃないんだ。自分の首を自分で締める愚を冒すな。俺のはともかく、独りの苦労を重ねて来たであろう敬士さんの警告は重く受け止めてくれ。


「親の俺に理解できないことは、他の人にはもっと理解できない。今のままじゃどこにも居場所がなくなる」

「僕も心配してます」

「まったく。困ったもんだ」


 これでもかと警告を重ねた。とりあえず冷却期間を置こう。いくら現実主義者といっても、由仁が俺たちのどやしをこなすには時間がかかるだろう。それまでは、距離を置いて静観するしかない。


 車に戻る道すがら、振り返って野原に溜息を放り捨てていく。

 台風一過というが、親父や章子が逝ったという台風はまだ過ぎ去っていない。今まさに直撃食らってる最中なんだよ。自分だけではなく、俺も優も陽花も危機に瀕しているということに。台風が過ぎ去るまで耐えきれなければ、手に入れたはずの幸福があっという間に吹き飛ばされてしまうということに。


 そろそろ気づいてほしいんだよ。由仁。



【第九話 台風一過 了】

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