第九話 台風一過
(1)
優と雅美さんの一件は、孫の世話が絡むだけに対応を急ぐ必要があった。鈍臭い俺が何から何まで調べて立ち回ることはできないので、知り合いの弁護士に頼んで雅美さんが勤務している会社に探りを入れてもらうことにした。そうしたら、雅美さんを孕ませた上司ってのが部長さまだということが判明した。
そらあ、ダイガク出て働き始めたばかりの女の子に逆らえという方が無理だわな。叩けば埃が出るどころの話ではなく、女に手の早い札付きだということも判明。これだけハラスメントにうるさいご時世にあって札付きのろくでなしに部長をさせるなんざ、その社もお里が知れるというものだ。
雅美さんはその男にたらしこまれたのではなく、無理やり
雅美さんはプライドが高いわりには権威者の威嚇に弱い。居丈高な親に、被害に遭っている事実をどうしても言い出せなかったんだろう。親は必ず咎めるはずだからな。なぜ逃げなかったんだ、と。自分が弱い立場に立たされたことがない人は、弱者の怯えが理解できない。今回の件、責任の一部は親の姿勢にもあるということを自覚してもらわないと、この先も同じことの繰り返しになりかねない。
平凡な一サラリーマンの俺が単独で親のところに乗り込んでも、はなから相手にされないだろう。調査を依頼した弁護士さんと示し合わせて一緒に屋敷を訪ね、弁護士さんに一切合切を暴露してもらった。俺は事情説明に口を挟まず、雅美さんにいかなる事情があったにせよ俺の息子を無神経に巻き込んで欲しくなかったと嫌味を放るだけにとどめた。喧嘩を売りに行ったわけじゃない。俺が優のことを案じているように、雅美さんの両親も娘の心配をしているはずだ。その気遣いがきちんと娘に見えるようにして欲しいだけさ。
雅美さんの素行不良が引き起こした事態ではなく、たちの悪い上司に食い物にされた結果なのだと知った両親は、激しい怒りで顔色が赤を通り越して青くなっていた。その勢いで暴挙に出られると誰も得をしないので、しっかり釘を刺した。
「加害者の上司と今どんぱちやったら、雅美さんにもっと深い傷がついてしまいますよ。それより、結婚退職するということにして加害者からすぐに離れるのが先でしょう。そいつの権威は職場でしか通用しないんですから」
雅美さんの両親がわからんちんのお大尽なら説得が大変だったかもしれないが、一人娘の将来は真剣に案じている。だからこそ、歪んだ形ではあったが優と夫婦だから子供がいてもおかしくないという体裁を整えたんだろう。雅美さんの置かれている悲惨な状況をきちんと理解してもらえたなら、こっちのリクエストを伝えやすい。
俺は親父と章子が死んでから生活がばたついていることと、大吾の世話のピンチヒッターをやってくれていた陽花の調子が悪いので俺の家で療養させる旨を伝え、ちゃんと大吾の面倒まで含めて雅美さんを支えてくれと伝えた。俺が喧嘩腰で乗り込んだならともかく、若夫婦と孫を案じての行動なんだ。俺の行動原理はなんとか理解してくれたようで、態度は最後まででかかったものの謝意は示された。
これで最低限の地ならし完了。雅美さんの親が、二度と家の敷居をまたぐなという地雷原から最終的な受け皿に変わったのだから上出来だろう。
ただ……雅美さんは権威者を嫌っている。そしてトンデモ部長からは逃げられても、親からは逃げることができないんだ。逆らえない相手が両親に変わると、それでなくてもあちこちひびが入っている精神が保たないだろう。かと言って職なしのワンオペ育児はもっと辛い。優が全く『使えない』からなあ。職をすっぱり変えて、環境を一新する必要があるんだが……。
「俺のスキルだと、サポもここらへんまでが限界なんだよなあ」
とか。職場でぶつくさ言いながら打ち消し線の増えた手帳のリストを見ていたら。肩越しに牟田さんの声が降ってきた。
「佐々木さん、スケジュールがいっぱいですねー」
「そうなんだよ。ここんとこ台風がぼんぼこ来て、工期が遅れ気味なんだ。検査もずるずるあと延ばしになってる」
「天気だけはどうしようもないですもんね」
「ああ。逆らうと、かえって危ないからね」
手帳から目を離して振り向いたら、牟田さんは事務服ではなくぱりっとしたスーツを着ていた。
「おやあ? 出張かい?」
「いえ、ご挨拶に」
! ぴんと来た。
「そうか。踏み切ったのか」
「はい!」
牟田さんは、迷いなく言い切って笑った。笑顔には一点の曇りもなかった。自分のことなんだから自分で決めろ! 激しい豊島さんのどやしが、ちゃんと効いたってことなんだろう。
「寂しくなるなあ。監理部の花だったから」
「中途半端な退職になっちゃって、ごめんなさい」
あーあ、しょげちゃってるなあ。でも、今時若い連中の退職、転職は珍しくもなんともない。ドライに割り切っていいと思うけどね。
「いや、結婚は人生の一大事だから。そっちが最優先だよ。これから仕事でもダンナをサポするんでしょ?」
「はい!」
「チャレンジだ。がんばらないとね」
「楽しみです」
楽しみ、か。彼女らしいな。一度吹っ切れると、逆風はエネルギーに変わる。牟田さんは、今までずるずる引きずってきた親絡みのしがらみを半強制的に断ち切るだろう。俺はそれでいいと思う。
「うちの事務は、多田くんが一時的に肩代わりってことだな」
「申し訳ないんですけど……」
「いや、大丈夫だよ。彼は慣れてるから」
「うう」
牟田さんのポジションが要職なら、社は全力で慰留しただろう。だが、事務ならなんとかなる。いかに牟田さんが有能であってもね。
「む! そうか!」
「え? どうしたんですか?」
「いや、君の後任の話さ。人事の連中が慌ててるだろ?」
「あ、はい……」
突然の退職に責任を感じているんだろう。語尾が細った。
「心当たりがあるんだ」
「佐々木さんに、ですか?」
「そう」
鈍臭い俺の人脈なんざもともとあってなきがごとし。勘のいい牟田さんには、俺の身内以外に心当たりなんかないとすぐ見当がついたはずだ。いつもなら間髪入れずに突っ込んでくるんだが、急な退職の引け目があるのか、追及はなかった。一応、彼女の好奇心に蓋をしておく。
「牟田さんは、早く新しい生活に慣れなきゃね」
「うひー、そうですね」
「身体に気をつけて、がんばって。おじいさんにもよろしくお伝えください」
「わかりました。ありがとうございます!」
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