第4話 同居生活開始です 2
澄香は無事、パジャマに着替えて居間に戻ってきてベリーショートの髪を乾いたタオルで水分を拭き取り始めた。その様子を僕は自分に当てられた西の和室の座卓から見ていた。ふすまで仕切られているだけなので、開けてある今は、居間と続きになっている。
「そんなに見ないでください。短いのも便利なんですよ」
澄香は僕の方に目を向けた。スッピンなんだなあ。これでこんなにかわいいなんて反則なんだなあと心の中で言葉にすると彼女は赤くなった。
「だから、そんなに見ないでください」
「ごめん」
「さっきは助かりました」
「こんなことはこれからも続くだろうね」
「動けるうちはいいと思ってます」
「なるたけ急ごう」
「そうしないと真田さんの受験にも影響が出ます」
「というか命の危険を感じるよ」
「医者には余命3ヶ月くらいの検査数値だって言われてますから――」
「具体的にそう言われると焦るね。それで3ヶ月って言ってたんだ」
「でも、真田さんには死ぬときは迷惑掛けたくないです」
あっさり死ぬという言葉を口に出来るのは、1度、再生不良性貧血の症状が悪化して死にかけた経験があるからだろう。その点は重みが違う。
「こうして知り合ったからには死んで欲しくないし、澄香さんが死ぬのは日本の損失だと思うなあ」
「なんです、それ?」
澄香はちょとんとして僕の方に目を向けた。
「美少女は日本の財産だから! 少子化の今、子どもの1人や2人作らないとだし! 若い女の子が死ぬなんて損失そのものだよ」
僕がそう力説すると澄香はくすりと笑った。
「真田さんって面白いんですね」
「褒め言葉じゃないんだろうけど、褒め言葉として受け取っておく」
「私が落ち込んでるから、そういってくれているんでしょう?」
「心外だ。本音なのに。だいたい彼女いない歴イコール年齢の僕の前で美少女の損失なんて絶対に許さない。なんてね」
「やっぱり冗談じゃないですか」
「うーん。どうせ分かるんだから言葉にしてしまうと、こんなきっかけでお知り合いになったわけなんだけど、もしかしたらその先まで進展があるかもしれないし。人との出会いは大切にしないとだから」
「同意です。その先、あるかもと思っています。彼氏いない歴イコール年齢の私としては死にかけた経験からいって、いいと思ったらグイグイ行こうと考えていたんです。実際には無理ですけどね」
ふふ、と僕は笑ってしまう。そして遅れて澄香も笑った。
「彼氏いない歴3年の大沢珠希が戻って参りましたよ。ほら、脱衣所にかつら置きっぱなしでしたよ」
そして籐かごに入ったかつらを澄香に渡す。
「もう寝るからつけませんが、ありがとうございます」
「真田くんの前でも気にしないんですか?」
「僕だってカツラじゃないかって想像はしていましたから、特に思いませんよ」
再生不良性貧血なら放射線治療もしていただろう。抜けるくらいなら最初から切ってしまう人も多いのではと想像してみた。澄香は頷いた。
「ごめんなさい。嘘です。ベリーショートもロングと同じくらい好物です」
僕が付け加えると澄香は嬉しそうに頷いた。
「いや、中身がお嬢ならなんでもいいんじゃ……」
「そう言い切れるほど彼女のことを知りませんよ」
つながりを感じているからこんな関係性になっているだけだ。本当ならもっと慎重に対応するだろう。澄香が言う。
「残された時間は短いですが、私は真田さんのことを知りたいですね」
「運命共同体だから」
「目的は1つです」
「大丈夫。任せておけって」
大沢さんの言葉が頼もしい。
「寝る前に方針の確認ですが、まず家系図を埋める作業が必要です。高祖父母からの家系図を完成させるのは半端じゃない作業量ですからね。戸籍を変えていなければそうでもないですが、普通、これだけ離れていたらあと幾つ原戸籍謄本を取り寄せないとならないのか。10件くらい? コンビニじゃ出ません。本人の同意を得て、郵送取り寄せですから。本人の同意がネックですね。こればかりは足を運ばないと」
大沢さんは居間の本棚からA1サイズくらいの大きな紙を持ってきて、座卓の上に広げた。紙には家系図があり、付箋で名前が記されていた。
「真田さんの調査をしたときに、大林と真田の家の直系は調べたんです。ほら、HLAが一致する可能性があるとしたら親族の可能性が高いので。こんなことに使うことになるとは思いませんでしたが。途中、女系の子孫が他家に嫁入りしているので高祖父母といっても大林と真田ではありません。高祖父の方の姓は
「なんか、両方おどろおどろしい姓ですね」
素直に僕は感想を言葉にした。大沢さんは続けた。
「両方、歴史小説とかに出番がある姓ですからね。鬼継は鬼から修行僧になったという伝説がある一族。土御門は平安時代から陰陽師の家ですから。こちらは非嫡出子で認知されて後で土御門を名乗っていますね。歴史上はいないはずの人です」
「すごいビンゴ感あるんですよ」
「僕らの共通のご先祖様がこれだからこれ以上、遡ることはない気はするね。リンクの原因は陰陽道系の呪術?」
「本当は早速当たりたかったんですが、お嬢が動けなかったので」
「近づくだけで動けるようになると分かっていればもっと早く会いにお伺いしたんですが」
「となると今頃、呪詛返しがきたとか」
「ありそうですね」
呪う者は呪いが返されたとき、己が呪われるという大原則があることくらいは僕も知っている。
「とにかく目的を絞って調べましょう。体調不良とリンクの原因を探るのか、HLAが一致しそうな人を探すのか。HLA判定を会いに行った人にいちいちお願いするのって大変なだけじゃなくて徹底は不可能な気がするのですが……」
「HLA判定はなんとなく大丈夫な気がするのです」
澄香は僕の手を取った。
「あらお熱い」
「違います。単純接触すると感覚が広がるんですよ」
澄香は頬を赤く染めつつ、空いている方の手で家系図の僕の名前を指さした。
「あ、HLAが一致しているの分かる」
「想像通りですね」
他の判明している名前を指さしても反応はない。残念だが現段階ではHLAが一致する親族はいないようだ。大沢さんがため息をついた。
「科学的根拠を知りたい」
「呪術ですからね。それを探るのは科学の根底から見直さないと」
僕は肩をすくめ、澄香が付け加えた。
「名前を知ると相手を支配するっていうじゃないですか。子どもの頃の仮の名前って魔物に名前を知られて命を取られないようにするためだし。この類いは枚挙にいとまがない、ですよ。現代の氏名ってみんな真名になるから、分かるんだと思います」
「それは呪術的根拠」
大沢さんのツッコミも分かる。
「家系図を作るだけで済むならだいぶ労力が軽減されるな」
「真田さんのお祖父さんお祖母さんの方の年賀状とかでかなり埋められるのでは?」
「うん。それは協力を依頼しよう」
「お嬢の方は取れるだけとってますからね。実はそちらの祖母の方まで戸籍を追ってご協力をいただいて、真田さんまでたどり着いたのですよ。それで親族と判明して」
「じゃあおばあちゃんへの説明は省けそうだね。明日、早速電話するよ」
「ということは高祖父母の原戸籍から真田さんの系譜に下れる人までは連絡が取れて協力して貰っているんだ」
澄香が指折り数えた。
「ええ。あなた方のひいおばあさんの代に当たる方です。
「知らん親族名だ。おいくつなんですか」
「101歳」
「わお」
また2人で声を合わせてしまい、大沢さんはニタリと笑った。
「お熱いですね~」
「からかわないでください」
澄香がかわいらしく拗ねた。
「でもこれで方針が固まった。その方に協力を依頼して、可能な限りの原戸籍をとる。そしてもし分かれば高祖父母のお話を聞く」
「正解です。早速明日にでも行きましょう。真田さんがいればお嬢が外出しても大丈夫そうですから、ようやく動けます」
大沢さんが家系図のその方の部分を指さした。
「
澄香が彼女の名前を指さすと反応があった。
「一致してる――101歳じゃさすがに骨髄移植のドナーにはなってもらえないけど」
「残念ですね。今夜はこれくらいにして、明日に備えましょう。私は夕食の洗い物をしたら寝ます」
大沢さんが家系図を片付け始め、作戦会議は終了した。
僕は雨戸を閉めて布団を敷き、寝る用意を整えた。さすがにエアコンも稼働させる。
澄香は隣の部屋のふすまを閉め、もう横になっているようだった。
僕はLEDの明かりを暗くして、タオルケットを被って横になった。
「今日はいろいろあったねえ」
ふすま越しに隣の部屋にいる澄香に声をかける。
「この2ヶ月、ずっとこんな日がくることを待ち望んでいました」
「2ヶ月――そうか。つながった日からか」
「正確にはその前から。HLAが一致する人がいて、移植が決まったときから」
「HLAが一致した時点で、もう他人じゃないもんね」
「もう1人の自分といったら言い過ぎですけど、1億人もいる日本でつながれる人がいるってドラマですよ」
「わかる」
「もうドキドキです」
「僕もドキドキしてる」
「どうしてですか?」
「ふすま1枚隔ててタオルケットかけただけのパジャマ姿の美少女が横になっているなんてもはやファンタジーを超えて拷問の類いだから。まだ会って半日だよ。なのにこんなにお互い話ができるようになってさ。本当に不思議。前から知っていたみたいだ」
「少なくとも2ヶ月は知っていたんじゃないでしょうか。呪術的な意味でですが」
「そうだね。陰陽道なら式神か――僕は君の式神なのかもしれないし。そんなことを大沢さんが言っていた」
「想像でものを言っているだけですよ」
「かわいい女の子に使われる式神なら悪くない。あ、別の趣向になってしまうね」
僕は思わず笑ってしまった。
「真田さんは私の人生で一番長い時間、お話ししている男性かもしれません。家族は除きますよ」
「そう。世の中の思春期の男はみんなこんなもんだよ。エロい方向に話題が自然に向く。気をつけてね」
「はい。もしものときはきっと真田さんが私のことを守ってくださるでしょうから安心ですが」
「僕が襲うかもしれん」
「そのときはあらかじめ言ってください」
冗談を返したのかと思ったが、真剣な声だった。
「――死ぬ前に、とか考えてる?」
「わかりますよね。これだけ近ければ」
死ぬ前に経験してみたいと思うのも、思春期の女の子なら当然ある選択肢だろう。それは不埒でも単なる好奇心でも何でもない。生存本能みたいなものだ。
「決めた。もうこの手の話題はふらない。澄香さんが死を考えることなんて、僕はさせない」
僕がそういうと彼女と手をつないだときのような温かな感覚が、意識野に広がった。強力な感情が、彼女から伝わってきたのだ。
「はい。考えません」
涙声だった。
僕は答える言葉を知らなかった。ふすまを開けて、頭を撫でてあげたかった。だけど開けたら自分がどうなるか分からなかった。だから、薄暗いLED照明を見ながら、澄香の短い髪の毛を想像しながら、撫でる仕草をした。
「ふふ。こんなときまで伝わってくるんですね」
澄香の笑い声が小さく聞こえた。
「初めてこの感覚が役に立った」
「そんなことないですよ。おやすみなさい」
僕は独り、頷いた。
発症してから彼女は、孤独で不安な夜を幾つも過ごしただろう。でも今晩からは違う。隣の部屋に僕がいるし、魂でつながっている。それは彼女に穏やかな眠りをもたらしてくれるだろう。僕はそう思いたかったし、また実際、彼女が静かに入眠することを感じつつ、眠りにつけたのだった。
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