第5話 伝えられてきたもの
「真田さん。おはようございます。朝ご飯ができたそうですよ」
ふすまが開いて僕は目を覚ました。ずいぶん深く眠りについていたようだった。1ヶ月ぶりの熟睡だろう。疲労が回復したのが分かる。ふすまの方に目を向けるとパジャマ姿の澄香が膝を立てて座っていた。少し前屈み気味なので、一番上のボタンを開けてあったので、胸の谷間が見えた。思っていたよりもある。着痩せするタイプなのはバスタオル越しにも分かっていたが改めて見ると感慨深い。吸い込まれるように見続けてしまう。
視線と感覚に気がついたのだろう。澄香は真っ赤になって複雑そうな表情をしたが、胸元を閉めるようなことはしなかった。
僕はようやく視線を外すことができて、ようやく言った。
「ごめんなさい」
「そんな――ご迷惑をかけているのでこれくらいで喜んでいただけるなら、むしろ嬉しいくらいです」
「そんな期待させること言わないで……」
僕は己の甘さを嘆いた。朔夜、もうエッチなことを匂わせないと誓ったばかりなのにこれだ。僕は反省しきりだ。
布団を片付けた後、2人でキッチンに向かう。
大沢さんが作ってくれた朝ご飯は美味しかった。白米と目玉焼きにサラダ、野菜スープと軽いものだったが、まず米がうまかった。卵も放し飼いの卵で、サラダとスープの野菜はその辺の無人販売所のそれだということだった。
「いろいろ無理しなきゃ、たいていのものは美味しいんです」
大沢さんの力説には説得力があった。
大沢さんがコーヒーメーカーでコーヒーを入れようとしたので、僕はいったん電源を止め、豆を蒸らしてから抽出を再開させた。これだけで大分違う。この家にドリッパーがないなら買って帰らなければならない。早速僕は買い物メモに記した。
「今日は曾祖叔母の神木さんのところに行くんですよね」
澄香がコーヒーカップに口をつけた後、言った。
「あ、本当だ。味が違う。一時停止しただけなのに」
「コーヒーメーカーはコーヒー豆への冒涜です。最新式のは知らないけど安いコーヒーメーカーだったら間違いなくそう」
「真田さんにそんなこだわりがあったなんて」
「数少ないこだわりです」
「いちゃつくのはそれくらいにしていただいて、準備が終わったら車で出かけますよ。もう約束は取り付けてありますから。意外と近いんです。文京区なので」
「今日は平日だし、朝の時間帯を外せばすぐですね」
「高速道路を使うまでもありません。学校への欠席連絡は?」
僕と澄香は一緒にスマホをかざした。
「済んでますね。では、歯を磨いて着替えたら行きましょう!」
大沢さんは朝から元気だ。
ほぼ半日、一緒にいたからか、澄香はだいぶ体調がよくなってきたようだった。僕もそうだが、離れていることのロスが大きかったことが窺える。効率のためにもなるべく一緒にいるべきだと思う。自分的には大義名分があってありがたい。
自ら1日早くしてしまった夏休みの初日、それは僕ら2人が運命共同体であることを確認する過程の始まりでもあった。
僕は無地の紺色のコットンシャツにデニムのパンツにスニーカーという質素なスタイルで、澄香はウェストがきゅっとリボンで絞まった白のワンピースで、黒と白という感じで対照的な2人になってしまった。なお大沢さんも僕と大差ない格好なので、なんとなく姉弟に見えなくもなかった。
大沢さんが運転する軽自動車はよくあるハイルーフタイプの車種で、車内は広い。澄香は助手席に座るものだとばかり思っていたが、僕と一緒に後部座席に座り、シートベルトを締めた。大沢さんが言った。
「お嬢は真田くんからエネルギーを貰っているように。そのためには到着まで隣の席でくっついているのが一番です」
「はい。倒れないようにします」
澄香はきゅっと唇を真一文字にした。
車が走り出し、何度か揺れるとその都度、肩が触れあう。
それが目的とは言え、役得だなあと思う。
澄香は僕の前に手をかざした。
「手、つないでくれませんか?」
僕は軽くその手を握った。何かを予期したわけでない。だが、電撃が走ったような気がした。生命エネルギーが相互干渉しているのかもと最初は思ったが、そうではないことにすぐに気づく。好ましい女の子の手を握ったから、単にアドレナリンが急上昇したのだ。要するに照れの反応だった。
それは彼女の方も感じていたらしく、これまでになく顔を真っ赤にしていた。
しかししばらくすると手をつないだ大義名分の重さも感じられてくる。
「――楽だね」
「ええ。楽になりました」
「今日一日、保って貰わないとですからね」
バックミラー越しに大沢さんが僕と澄香を見た。
大沢さんが運転する軽自動車は途中、渋滞に引っかかったものの、10時過ぎに文京区本郷に着いた。東京大学の西側の街は関東大震災でも焼けずに無事に残ったエリアで、1世紀以上経過した建物が未だ点在しているらしかった。
コインパーキングに軽自動車を停め、大沢さんの案内で歩き始める。狭い路地の中に商店が点在しているところを見ると昔は商店街だったと思われるところがあったり、小さい児童公園があったり、お寺と墓地があったりと、昭和どころか大正の姿を残している街だ。古い長屋作りの一角の、コンクリート作りの当時は洋風だったと思われる、一部がツタに覆われた建物の前で大沢さんは立ち止まった。もう日が高く上っており、気温も上がっていた。早く涼しいところに入りたいところである。
その洋風の建物の玄関は御影石のタイルに覆われており、ガラスがはまった扉は枠が青銅製らしくところどころ緑青が浮いていた。
「雰囲気あるなあ」
「ジブリの世界ですね」
表札には『神木』とだけある。間違いないようだ。
扉を開けて中に入るとびっくりするくらいひんやりしていた。
廊下が真っ直ぐのび、左右に扉、そして突き当たりに扉。突き当たりが店舗のようだった。正面のインターホンを押し、どうぞと返答があって、3人で中に入る。
部屋の中は洋風の古い家具で統一されていて、棚には人形や何かの骨格標本、それにどこのものか分からない魔法に使うっぽい仮面や壺や鏡などの年代ものの日用品などがびっしりと置かれていた。本棚には洋書はもちろん漢文のものと思しき書物が並べられ、漢字のタイトルに大極の文字が読み取れた。
中央に置かれた広い執務机には人の姿があった。彼女が神木さんだと思われた。和服をきれいに着こなした、しゃんとしたご高齢のご婦人だった。100歳にはとても見えない。何も知らなかったら80歳くらいだと思うだろう。
「いらっしゃい」
彼女は椅子から立ち上がると僕と澄香の前に立った。
「手を握っているのはいいことね。無駄がない」
どうやら分かっていらっしゃるらしい。
僕と澄香には2人かけのソファに座るよう促し、大沢さんには脇の1人がけに座るよう促した。
彼女は執務机に戻り、笑顔になった。
「この歳で遠い親戚に会えることはとても貴重なことだと思うの。そして、あなたたちのお役に立てることを嬉しく思うわ」
「初めまして。大林澄香です」
「真田光輝です」
「大沢です。メールや電話ではご対応ありがとうございました」
大沢さんはご挨拶の菓子折を神木さんにお渡しした。
「そう。澄香ちゃんには私の母の面影があるわ。真田くんの方は外見的には私の知っている肉親の中には似ている人はいないわね。でも、確実に血を継いでいることは分かるわ」
神木さんは僕と澄香を交互に見た。
「大沢さん。この子達はもう、分かっているのかしら?」
大沢さんは頷いた。
「お電話で聞かれたことですね。2人とも、つながっている感覚があると言っています。そのことを分かっているというのであれば、分かっているのかと思います」
神木さんは満足げに頷いた。
「力の出入りは感じる?」
僕と澄香は同時に頷いた。
「そう。父様と母様もそういう関係だったと聞かされていましたし、もし、私の子か孫が呪われたら助けてあげるよう言われていました。こんなに時間が経つとは思いませんでしたが、父様と母様の遺志を伝えられることを嬉しく思います。私がこの歳まで生きながらえたのはこのためだったのかもしれませんね」
そして神木さんは立ち上がり、棚の引き出しからものをいくつか取り出すと執務机の上に置いて僕らに見せた。
「
杖刀は一見すると先端と中程が金色であしらわれたただの杖だ。刀というからこれは鞘で抜けるのだと思うが、その継ぎ目も金色の装飾でうまく隠されていると思われた。
鏡はいわゆる神社のご神体にあるような古く、だいたい丸い鏡だ。だいたいというのは葉をモチーフにしたのであろう段差がつけられているからだ。
眼鏡は古式ゆかしい丸いセル縁眼鏡で、この建物が大正時代のものならその頃に作られたかと思われる。あくまでこれまで僕が見てきた映画やドラマの小道具からの想像だが。
日記は和紙の和綴じで、結構厚い。毛書で記されているのは表紙から窺えた。果たして僕らで解読できるものなのか心配になった。
「杖刀は刃は付いていないので銃刀法違反にはならないから安心して。鏡や眼鏡も私にはただの古道具でしたが、あなた方には何か意味のあるものになるのかもしれません。あと、日記の内容は私は読んでいますが、直にあなた方が読み進めた方がいい気がします」
神木さんは頷いた。
「あと、これは私からあなた方へのプレゼント。私がとれるだけの改製原戸籍をとってあります。きっと役に立つはずよ」
「大きなプレゼントです」
これでかなり家系図を解明できるはずだ。
「私も父様や母様のように呪法の才能があればよかったのだけれど、なかったから――ただのコレクターになってしまったわ」
神木さんははにかんだ。
「ご先祖様は僕たちがトラブルに見舞われることを予見していたんですね」
「そうね。詳しいことは日記を読むといいと思いますよ。さて、せっかく来てくれたのですから、あなたたちのお話も聞きたいわ。お茶をいれるから、どうか、ゆっくりしていってくれないかしら」
「喜んで」
澄香は笑顔で頷き、僕の顔をみた。迷うことはない。むしろ神木さんと話ができるのは嬉しいことだ。大沢さんも頷いていた。
神木さんは美味しい紅茶を入れてくれ、菓子折を開けて楽しいお茶の時間を過ごした。
僕と澄香は自分の家の話をした。
父は普通のサラリーマンであること。母はクリーニング屋さんでアルバイトしていること。妹がいて生意気なこと。自分の進路が決まっていなくて実は不安なこと。
「そうだったんですね~」
意外そうな顔をして澄香が僕を見た。
「勉強はしているけど、実は学部も決まっていない」
次に澄香が話を始めた。澄香の家は元は小さなシステム屋だったが、祖父の代でTVゲームに手を出し、当たりハードで次々ヒット作を生み出し、中堅のゲームメーカーになったということだった。
「創業一族だったんだ。もちろんそのメーカーのゲームもやったよ」
「私自身にはあんまりエピソードはないですよ。あ、姉がいます。異母姉妹ですが。なので歳は意外と離れているんです」
「絵梨佳のことですね。私の先輩です」
大沢さんが口を挟んだ。
「面白いですね。親戚といえるほど近くはありませんが、同じ血族でもこんなに違うなんて。父様と母様へのいい土産話になります」
「縁起でもない」
澄香と僕は声を合わせて言った。
神木さんも旦那さんと結婚して今のこの家に住んだこと。子どもを3人作ったが、2人は戦争で死んだこと。でも残った1人が結婚して孫はもちろんひ孫もいることを教えてくれた。孫やひ孫には魔法使いのおばあさんと呼ばれていると言うことだった。この部屋を見ればそうも言いたくなるに決まっていると僕は思った。
遠い親戚の神木さんとお話ができた、とても楽しいお茶会になった。
神木さんは家の外まで見送りに来てくれて、僕らは角を曲がって神木さんの姿が見えなくなるまで、何度も振り返った。
「順調な収穫だったね」
大沢さんが軽自動車を停めているコインパーキングの支払いを済ませていった。
僕らは車に乗り込み、シートベルトを締めながら応えた。
「順調すぎて怖いですね。ぬるいというか……」
「刀に鏡、ここで勾玉じゃないってのが引っかかるけどね」
大沢さんは車を発進させると呟くように言った。
「三種の神器ですか」
僕は天皇家の剣、鏡、勾玉の3つのレガシーを思い出した。
「まあ、偶然だと思うけど。刀じゃなくてあれは剣だし」
「1つ1つ試してみるしかないですね。もし私たちに意味があるものなら、きっと分かるでしょうから」
澄香はバッグに入れたアイテム類に目を向けた。僕はため息をついた。
「少なくとも日記で何か分かれば御の字だけどね……」
「大丈夫。最近は画像解析AIで簡単に読める」
大沢さんがいい情報を教えてくれる。
「それならいいんですけどねえ」
軽自動車は国道に入り、そのまま千葉方面に向かう。
特に渋滞もない。外で食べようかという話も出たが、早く帰って日記を読みたかった。
僕らは期待を抱きながら、帰路についたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます