第3話 同居生活開始です

 1度、健康のありがたさを思い出すと体調の悪さが更に悪化したように思える。もしかしたら本当にそうなのかもしれないが、条件が悪くなっていくのを簡単には認めたくはない。


 澄香と別れたあと、僕は荷物をまとめるために家にいったん帰宅した。澄香は運転手つきの車で帰っていったから、体調が悪くなってもさしあたっての心配はなさそうだった。


 自分の方は、かなりつらかった。身体が重く、気持ち悪く、絶え間なくめまいがする。


 熱中症の症状に似ていた。身体が休息を求めている。しかし澄香と距離を縮めればまた少し楽になるという一心で荷造りをした。


 途中で妹の朔夜さくやがきて、いったん同居になることを聞いていることが分かった。なにが起きたのか聞いてきたが、わからないとしか僕には答えられなかった。


「お兄がすごい美少女と抱き合ってたって情報が回ってきたぞ。画像付き」


 朔夜も西高で1年生だ。それはあれだけ派手にやればそうなるかもしれない。


 かざすスマホを見るとかなりの熱愛状態に見える。客観的には。


「まあ、彼女の家にいく」


「何が起きてるんだよ! 知り合いなのか?」


「違う。どうしてこうなったのかは僕も知りたい。だから、行く。ただ、もしかしたらお前にも関係があるかもしれない」


 なんといっても骨髄移植から始まった話だ。先祖に関係がある話であれば、当然、実の妹にも関わりが生じる可能性はある。そんな会話の間に父から朔夜に連絡があった。自分のことのようだった。事情はその連絡でだいたい伝わったようだった。諦めたような顔をして朔夜は僕を見た。


「お兄……」


「連絡入れるよ。必ず」


 大きなバッグ2つとDバッグに着替えと勉強道具を詰め込み、玄関まで降りると迎えの車が来てくれていた。一般家庭に育った自分にしてみれば抵抗があったが、エネルギーを温存するのが最重要だという頭があったから、喜んでそれに乗り込んだ。


 朔夜は僕を見送りに来てくれた。事情を理解した今も、心配してくれているのだ。この1ヶ月、体調が悪い僕のことをいつも気に掛けてくれていた。優しい自慢の妹だ。


「無理すんなよ」


「ああ……」


 そして車を出して貰う。運転手さんと話すと会社の社用車で、別にハイヤーというわけではなかった。公私混同だと思うが、経営者として大丈夫なのか少し心配になったが、体調が悪いのでそれ以上考えることができない。


 しかし目的地に近づくにつれ、徐々に体調が回復してくる。どうやら距離と体調は関係があるのだろう。生命力譲渡の効率の問題は確かにあるのだろう。


 郊外の田畑が点在するような地区に入り、大きな屋敷の前で車は停まった。運転手さんは手で大きな門を開け、玄関前に車をつけた。恐らく昭和に建てられたであろう、古い大きな平屋で、縁側がある日本家屋の作りをしていた。


 玄関前に澄香の姿が見え、僕は頬の筋肉が緩むのがわかった。


 車を降りると運転手さんが荷物を下ろすのを手伝ってくれ、その後、車は去って行った。


 玄関には蚊取り線香が焚かれ、白い煙が立ち上っていた。蚊取り線香の香りが鼻に心地よく感じられた。五感もこのところ鈍りつつあったから新鮮だ。


「いらっしゃい」


 澄香は小さく首を傾げ、僕は思わず湧いてきた感情を言葉に変換した。


「私服もかわいい」


「ただの部屋着ですよ」


 キュロットパンツにセーラー風のシャツだ。十分、かわいい。


「まあ、同居するならそうなるよね。始終、外行きの顔ではいられない。でも、いきなり緩みすぎじゃない? 僕、他人だよ」


「他人、ですかね?」


 澄香は僕の顔をのぞき込んだ。


「うーん。限りなく他人ではない」


「この世の誰よりもつながっているのに今更服装を気にはしません」


「それとこれは違うというか」


「無駄なエネルギーを使いたくないんです。自分のためにも、もちろん真田さんのためにも」


 そういって澄香は僕のバッグを1つ持つと、玄関の中に引っ込んだ。また体力が回復しているのだろう。わかる。


「真田さんの部屋は用意してあります」


「助かるよ」


 一通り案内された後、居間の隣の西側の和室に案内され、僕は荷物を置く。広い座卓にLEDのスタンドライトが置かれている。勉強に配慮してくれていてありがたい。


 蚊取り線香がわんさと焚かれているのは南側の障子が全開で、庭が丸見えだからだ。網戸もないので蚊取り線香がなければ大変なことになる。


「タンスは空いてます。自由に使ってください。今は駅近のマンション住まいなので、こっちは普段は無人なんです。私が寝る部屋はそっちです」


 澄香は北側のふすまの向こうを指さした。


「え、ふすま1枚?」


「お互い近い方が身体が楽になるに決まっています」


「緩みすぎだって!」


「お手伝いさんには東の部屋に寝て貰います。まあ、何かあったら聞こえますから。普段は居間で過ごすようにするので、そんなに困らないかと」


「そんな信用されると逆に男としての自信をなくすな……」


「あ、帰ってきましたよ。紹介します」


 庭に軽自動車が入ってきて、お手伝いさんと思しき若い女性が降りてきた。


「お嬢、ずいぶんお身体が楽そうですね。じゃあ、その人が……」


「そう、私の運命の人!」


「言い方……」


 僕は自分の頬が紅くなるのが分かる。


 若い女性は庭に立ったまま、頭を下げた。


「失礼しました。大沢珠希おおさわ たまきです。本業はホワイトハッカーです。趣味は家事全般。オカルト系も好きです。スポットのお仕事なのに社会保障もつくこの美味しい仕事にとてもやりがいを感じています」


 大沢さんはなかなかの美人だ。タイトなシャツにデニムのパンツでグラマラスな体型がよくわかる。客観的にいって魅力的な女性だと思う。


「真田光輝です」


「良かったですね、お嬢。当たりですよ、当たり! 大当たりの部類じゃないですか?」


「今はその話はいいんだけど……」


 澄香は頬を赤らめて俯いた。


 縁側から居間に入り、大沢さんは荷物を座卓の上に置いた。食材らしかった。


「しかしホワイトハッカーってことは――そういうこと?」


「骨髄移植のHLAの型のデータを調べたのは私です」


 大沢さんはどや顔になった。


「イリーガルなのはホワイトがなくて、単にハッカーっていうんですよ」


「一応、ホワイトハッカーとして雇われておりますので」


「大沢さんと真田さん、いきなり仲良くなりすぎ……」


 澄香が唇をとがらせるが、大沢さんは愉快そうな顔しかしない。


「ごめんお嬢。でも、いいじゃん、これからこの子とラブラブ同居生活の始まりなんだからさ、これくらい」


「ラブラブじゃない!」


 澄香と僕のタイミングが完全に一致したのはリンクしているからだけではないだろう。


「さーて、今日は冷やししゃぶしゃぶにそうめんの予定ですが、よろしいですか、お嬢」


「私に決定権はないのに聞く?」


「真田くんの歓迎の意味も込めて、いいお肉を買ってきましたよ。必要経費で」


「はいはい」


 大沢さんは笑顔で、荷物を持って北東隅のキッチンに向かった。


「強烈な人だ」


「姉の年上の友人で、私の命の恩人なの。私が悪性の再生不良性貧血になったって聞いて勝手に調べてくれて、そのこともあってウチに就職してくれて――そのあと、私の体調がまた悪くなったときにも調べてくれて……」


「オカルトではないかと?」


「科学で未解明な部分、かな。ごめんなさい。年上の人にこんな言葉遣いして」


「ううん。構わないよ。昔からの友人みたいだし、嬉しい、かな」


 澄香ははにかんだ。


「大沢さんが家系図を作ってくれたから、夕ご飯のあとはそれを使って作戦会議をしましょう」


「承知。それまで勉強していていい?」


「もちろん。荷物を整理するものがあったら手伝いますよ」


「バッグ2つだけどお願いするよ」


 澄香はテキパキと衣類を空いたタンスに詰め始めた。


「う゛」


 座卓の上に参考書をだしているところで澄香が呻いた。


「どうしたの? 大丈夫?」


「う、うん」


 僕が振り返ると澄香は僕のトランクスを手にしているのが分かった。なるほど……


「それは、いいから」


「気にしない、気にしない」


 澄香は自分にそう言い聞かせた後、そのままトランクスをタンスに収めた。


 夕食ができるまでしばらく勉強していたが、その間、澄香も向かいに座り、勉強していた。おそらく体調が悪かった分、遅れた勉強を取り戻さなければならないと考えているのだろう。自分よりも長く体調を崩していたわけで、その気持ちは僕にも分かった。


 夕食はキッチンのテーブルで3人でとる感じだった。


 大沢さんが作った冷やししゃぶしゃぶはレタスとプチトマトで色鮮やかだった。そうめんは普段、ウチで食べるより遙かにいいそうめんだった。市販のつゆだが、つゆもいいものだった。


「舌がこんなグレードになれると後が困るんですが」


「お嬢の舌の感覚を下げるわけには行きません!」


「いや、別に下げていただいても……」


「いえ、譲りません。だって私も美味しいもの食べたいんですもの」


 この方面は諦めるしかなさそうだ。


 夕食後、大沢さんが厳しい口調で言った。


「お風呂が沸いていますが、お嬢とのラッキースケベは決して許されませんよ!」


「肝に銘じます。できればお二方が先に入っていただけると……」


「お客様が先です」


 大沢さんに強い語気で言い切られ、僕はとぼとぼと風呂場に向かう。風呂はタイル張りで、浴槽はステンレスの古いものだったが広くて快適だった。


 脱衣所で2人が言い合っているのが聞こえてきた。


「お嬢が真田さんのお背中を流してあげるんです~」


「大沢さんがラッキースケベを起こしそうとしてはなりません」


「男女逆なら許されます。お嬢なら行ってもいいんですよ!」


「そんなこと私、できません~」


「では私めが……」


 放っておこうと思った。


 この2人の関係性が垣間見られる会話だった。


 しばらくすると大沢さんが諦めたようで、僕は普通に身体を拭いて上がった。


 居間では何事もなかったかのように2人が扇風機に当たってくつろいでいて、少し驚いた。澄香はたぶん、僕に会話が筒抜けだったことを分かった上でそうしているのだろうと思われた。


「では私がお風呂に行きます」


 澄香が席を立ち、大沢さんと2人きりになった。


「今晩は初夜ですね!」


「いきなり何を言うんですか!」


「冗談です。しかしお嬢が真田くんに会ったら本当に元気になるとは思わなかった」


 大沢さんは冷たい麦茶に口をつけた。


「お嬢の話から、もしかしたらこれって、本来合うべき存在が欠けたから起きた現象かと思ったんですよ。骨髄移植が成功したとはいえないのにお嬢は動けている。誰かと一緒にいる感覚がある。これはオカルトだな、と。オカルトというより呪術的ななにか」


「オカルトなのは分かっています」


「血が呪術の根幹を成すこともありますし、それが血を作り出す骨髄液なら更に濃い気がします。この共感性って吸血鬼の眷属とのそれとか魔女と使い魔のそれに似ている気がするんですよね」


「ああ。ゲームで使い魔のHPがプレイヤーキャラクターの足しになるシステムがありますね。僕、使い魔ですか」


「そこまではいわんけど、眷属っぽい何か? お2人の高祖父母を当たるのが一番早いかなと思います」


「そういえばさっき言いかけた、本来合うべき存在が欠けたから起きた現象って何ですか? 話が途中になった」


貝合かいあわせって知ってる?」


「古文で平安時代の遊びに出てくる奴?」


「さすが優秀な学生さんだ。よく知ってるね。ハマグリに絵や柄をつけて、上と下に別れた2枚を合わせるゲームだ。貝はもともと一緒だった上下しかかみ合わないから、夫婦円満のまじないとしても行われていたんだよ」


「僕らがそうだって――2枚の上と下の貝殻だってことですか?」


「欠けたものが元に戻ろうとして引き合うのは呪術の世界では珍しくないよ。元に戻るためのアクションとして体調不良があったのかな、というオカルト的な仮説です」


「大沢さん、そんなの好きなんですか?」


「文化人類学を研究していたからね」


「ホワイトハッカーなのに?」


「それは趣味が高じて職になった感じかな。それに呪術的なことを視野に入れ始めたのにも理由があって――」


 相当優秀な人だということは分かった。


 もう少し詳しく聞こうかとしたところで、ぐにゃりと視界が歪んだ。


「――大沢さん。話の途中ですみませんが、澄香さんの様子を見てきてください」


「何か感じた?」


「ええ」


 たぶん、体調を崩しているはずだ。僕は大丈夫だが。


 大沢さんは冷静な顔をして立ち上がり、風呂場に向かった。


 しばらくして大沢さんが僕を呼びに来た。


「手伝ってくれる? やっぱり倒れていた」


「そうですか」


「これはラッキースケベじゃなくて救助だから」


「あらかじめそう言ってくださって助かります」


 大沢さんが脱衣所の扉を開けるとバスタオルをまいただけの澄香が体育座りをしてぐったりしているのが見えた。ただ、髪はベリーショートだった。あの長い髪はカツラだったのだろう。


「お嬢。動けますか? 真田くんに来て貰いましたよ」


 澄香は真っ青な顔を上げ、手を伸ばした。


 僕がその手を取ると、彼女に何かを渡した感覚があった。それと同時に僕の視界がまたぐにゃりと曲がる。何度起きても、慣れない。


「真田さん。すみません。生命力を貰ったの分かりました」


 澄香の顔色は落ち着きつつあり、また、声には力があった。


「大丈夫。僕はまだ動ける」


「これは真田くんのご飯は精力がつくものじゃないとならなそうだね」


 僕と澄香の視線が大沢さんに向けられ、完全に一致した。


「いえ、変な意味ではないのですが」


「精力だけついても困るので……」


「そ、そうですよね。発散しないとですしね」


「人を出汁にしてラブコメを始めるな、そこ」


 そんなつもりはなく、問題提起をしただけなのだが、結果としてはそうなった。もしかしてこんなに近いと自家発電していてもお互い分かってしまうのではということに気がつき、僕は呆然とした。


「――禁欲します」


 同じ結論に達したのだろう。澄香も言葉なく頷いた。


「じゃあ僕は戻ります。目の毒だし」


「つまらないものをお見せしてすみません……」


「とんでもない。大沢さんがいなかったらガン見していたよ。危ない」


「一応紳士的発言の範囲だとは思うけど、ラブコメを始めるなといっているだろう!」


 大沢さんに追いやられ、僕は部屋に戻ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る