第5話 1月18日② 〜想定外の事実〜

 ソファーに腰掛ける武尊は何度も時間を気にしているが、時計の針は前回見たときから五分も進んでいない。


 それを三回繰り返したとき、むくりと立ち上がった。


 家にいても落ち着かない。それなら病院へ向かう方がいいかもしれないと考えた彼は、予定より相当早く病院へと向かう。


 悪い結果は、極力想像したくない。

 歩きながら笑顔を浮かべる彼は、医者から説明を受けたあとに、美里へ「心配する必要はなかっただろう」と、揶揄い口調で伝える言葉を考えていた。


 美里が入院する病棟へ到着した武尊は、ナースステーションのカウンター越しに、紺色のユニフォームを着た若い女性へ声をかけようとしている。

 自分の話を、聞いてくれそうな人物をきょろきょろと探しているようだ。


 初めはわかっていなかったが、水色のユニフォームは看護助手で、紺色かエンジのユニフォームの人物は看護師らしい。


 そのうえ看護師なのにユニフォームが何パターンもあり、紛らわしいなと感じる彼は、いつも同じものを着ればいいのにと、心の中で文句を言う。


 元々、こんな些細なことで気を荒くする性格ではなかったのに、美里の病気がわかって以降、どうも忍耐力がない。


 とはいえ適当に目についた人物に声をかけ、四角四面の人物にあたっては、たまったものではない。


「予定は変えられない」と主張されてしまえば、それを飲むしかなくなる。それだけは避けたい。


 できるだけ、自分のわがままを聞き入れてくれそうな、優しそうな人物を探していた。


 そうすれば、穏やかな笑顔を見せる看護師が「どうしましたか?」と言葉にしながらこちらに向かってきた。


「すみません。勝木美里の夫ですが、今日、先生から説明があるんですが……」


「あ~、勝木さんのICは、十四時からでしたよね?」

「先生から妻と一緒に話を聞く前に、一人で先に話を聞きたいんです。先生にそう頼んでもらえませんか?」


 万が一、悪い知らせを聞けば、美里の前で取り乱すのを懸念した武尊が、駄目元で申し出てみた。


 笑顔から真顔になった看護師だが「先生に電話してきますね」と、快い返事があった。まあ、自分の返答で激昂されるのが嫌で、断るなら医師のせいにしたかったのかもしれない。

 そう考える武尊は、自分が険しい顔をしていた自覚がはっきりとある。


 少しすると、電話を終えた看護師が戻ってきた。


「先生も先にご家族とお話をしたかったようです。お部屋にご案内しますね」


「無理を言ってすみません」

 許可が出た瞬間、気の抜けた彼から謝罪めいた言葉が口をつく。


 背の小さな看護師に案内された部屋は、窓もない殺風景な部屋だ。反対にもドアがある。そっちは職員用だろうと思う武尊は、その扉が開くのを待ちきれない気持ちで待つだが、なかなか入ってこないため、緊張を紛らわそうと周囲をきょろきょろと確認し始めた。


 白い天板の机にパソコンが一台置かれている。

壁の時計の秒針がカチカチと部屋中に響くが、それ以上に武尊の心音の方が煩い。


 大きなため息が漏れた次の瞬間、ノックオンがしたかと思えば、躊躇いもなく扉が開く。

 急いで立ち上がった彼は、入って来るだろう人物を凝視する。

 そうすれば、彼の想像より若い女性が入ってきた。


「すみません。待たせてしまいましたね」

 入院した初日は気が動転して顔をよく見ていなかったが、三十代の女性が主治医だった。

 にもかかわらず、最初に説明を受けた医者の声と顔だけを鮮明に覚えていたのだ。あのときの診察場面を夢に見て、うなされて起きることがあるのは、情けなくて美里に打ち明けていない。

 今となっては、妻の治療を任せる医師に横柄な態度をとるわけもなく、深々と頭を下げる彼は、丁寧な口調で言った。


「こちらこそ無理なことをお願いして、すみません」


「いえ、お気になさらず。ちょうど良かったです」


「やっぱり、美里はがんなんですか?」

「乳がんが、卵巣に転移していました」

「乳がんなんて気づかなかったし、美里もどうしてわからなかったんだろう」

「いろんながんのタイプがあって、気づきにくいタイプもありますから、お互いのことを責めないでください」

「みっ美里は手術をすれば、治るんですよね!!」


「……がんが、肺や肝臓にも転移しているので、手術の前に抗がん剤の治療を始めたいと考えています」


「抗がん剤……ですか……」


 確認するように呟いた武尊の言葉に、医師が「はい」と頷いた。


 しばらく放心状態の武尊を見て、医師が促した。


「それでは、ご本人を呼んで来てもいいですか?」


「あっ、美里が来る前に聞いておきたいんですけど、がんのステージとかってあるじゃないですか? 美里の場合はステージⅡくらいですか?」

 目を逸らす武尊は、やや遠慮がちに尋ねた。


 そんな彼の本心は、初期より少し進行した程度だと考えていたのだ。

 そのため、自分の想定はステージⅢであるが、それよりわざと一つ下げて尋ねてみた。そうすることで、否定されても慌てずに聞き入れられると思っていた。


 医師が躊躇いがちに首を横に振ると、言いにくそうに訂正する。


 そこまでは想定の範疇だ。武尊は、やはりかと納得した心境で耳を傾けた。


「……遠隔にも転移しているので、乳がんのステージのⅣですね」

 その言葉に目を見開き絶句するものの、受け入れきれない彼は、医師に詰め寄った。


「ステージⅣって、末期ってことですよね⁉ 美里は体調も悪くなさそうだし、そんなはずはないですよ」


「肺に転移していても全く自覚症状のない方もいるので、不思議ではないですが、肝臓に転移すると、多少の倦怠感はあると思います。乳房にしこりとして本人が気づく前に、全身に転移することもありますから。日ごろから無理をしていると、ちょっとした体調の変化は見過ごしてしまいますからね」


「いや、美里はだるそうになんて、してなかった──……」

 と言いかけて、口を閉ざした。

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