第15話 知識を入れすぎた弊害
どうも、中華風ファンタジーを普段書いている人間、
今回は知識を入れすぎた弊害と題しまして、小説を書くために資料を調べた結果起こってしまった、読む・観る側になったときの苦労話をしようと思います。
◆
ある日のことです。
「よし、中華風ファンタジーを読もうor観よう!」
→読み始める狩野緒。
→ほほう、書類には紙が使われているようだ。では、この物語ではすでに紙が発明されて実用化まで至っているらしい。紙が発明されている時代と言えば――(以下略)。
バージョン2。
「よし、中華風ファンタジーを読もうor観よう!」
→読み始める狩野緒。
→ほほう、書類には竹簡(※竹でできた書簡のこと)が使われているようだ。竹簡をまとめたものって冊と言い表すのか、なるほど勉強になるなあ。この人の知識量はすごいなあ――(以下略)。
上の例はほとんど差がないですが、実際にあったこと(だいぶ前なので記憶が薄れてきている)です。中華風ファンタジーの作中の文化に興味津々で、肝心な話の内容があまり頭に入ってきていませんね。読者としてはあまりよろしくない部類です。そして、ここで私は今回のテーマに気づくことになります。
あれ、中華風ファンタジーを勉強しようとする姿勢が、普通に楽しんで作品を見る上でのノイズになっている!?
元々あまり中華風ファンタジーの物語に触れてきていないのに、純粋に楽しんで読めなくなっているのは個人的には悲しいことですね。中華風ファンタジー小説を書いている最中は、ネット小説としての中華風ファンタジーのレベルを調べるために何本か小説を読んでいたりはしたのですが、前々から気になっていた十二国記を読むのを我慢していました(書く小説が寄りすぎてしまうのではないかという不安から)。これじゃあ純粋に楽しんで読めないのでは……?
◆
そして私は今、中華風ファンタジー作品と実際の文化と違う箇所を見つけては指摘してしまう――とまではいかなくとも、悶々と考える人間に自分がなってしまうのではないか、と恐れています。
私は歴史ジャンルで書いているわけではないですし、すげえ大量のPV数でもないので指摘を受けたことは今のところないのですが、自分以上の知識を持つ方々は数えきれないほどいます。そういう人々に、お前の小説は間違った知識で書かれている、と指摘を受けてしまうのではないかと私は恐れていました。もちろん、今も少し怖くはあります。ネットでそういうことを指摘してくる人がいる、というのは噂でたまに聞きましたし。
そう思っていた人間が、中華風ファンタジーを書くために中途半端に知識をつけてしまったせいか、純粋に中華風ファンタジーを読めなくなっていることに気づきました。
それからというものの、ネットで中華風ファンタジーの作品に対して、それは史実と違う、などの指摘をしてしまっている人や、悶々としている人を見たりすることがあり――明日は我が身なのではないか、と思ったのです。指摘をすることや情報に対してストイックであることが必ずしも悪いことではないのですがね。
そういうわけで、怖いと思っていた人間に自分がなってしまうのではないか、という新たな恐れが芽生えてきました。でも、自分が自分に対して課していることであっても、他の人に押し付けてしまうのはいけないなと思います。それは、勉強や仕事などの日常生活においても当てはまることかもしれないですね。
◆
今回は、中華風ファンタジーを読む・観る側になったときに体験した苦労話でした。体験した、というより今まさに体験している最中ではありますね。
実は、第3話の「時代設定には気を付けよ」のPVだけでこのエッセイの30~40%くらいを占めているのですが、皆興味がある話題でもあり、気を付けたいと思っているトピックなのかもしれませんし、私のように指摘を怖がっている人が読んでいるかもしれない、と思います。
私がネット上でほとんど他の人と交流をしない人間だから、というのはありますが、指摘してくる人はほんの一部なのではないかと思います。小説を読んでもやついたことがあったとしても、作者に直接言うような人ってなかなかいないですし。ですので、そこまで怖がらずに中華風ファンタジーを書けばいいのではないかと思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます