第6話 部長の意外な一面と佐藤さんのSOS

令和6年1月16日、昼休憩後。磯部は胃がキリキリする中、部長室の前に立っていた。部長の「後で話がある」という一言が頭を離れない。クビ宣告か、それとも単なる注意か。佐藤さんとの毎日のLINEや昨夜の「寿司デート」の余韻も、緊張で薄れつつある。


「(…佐藤さんの笑顔、守りてぇのに、こんな時に…)」

磯部は深呼吸し、ノックして部長室に入る。50代の威圧的な部長、石川がデスクに座っている。スーツのネクタイを緩め、意外に穏やかな表情だ。


「磯部、座れ」

部長の声に、磯部は恐る恐る椅子に腰を下ろす。だが、部長の次の言葉に、彼は完全に凍りつく。


「お前、うちの娘と寿司屋に行っただろ?」


「(…は?)」

磯部の頭が真っ白になる。娘? 寿司屋? まさか…佐藤さん?


「え、部長…。あの、娘さんって…佐藤さん、ですか?」

磯部は震える声で確認する。部長は小さく頷き、苦笑する。


「そう、佐藤は俺の旧姓だ。アイツ、離婚した母親の姓を使ってる。…で、娘は元気だったか? 教えてくれ」


磯部は混乱しつつ、佐藤さんが部長の娘という事実に頭を整理する。41年間、こんなドラマチックな展開は想像もしていなかった。だが、部長の目が真剣なのを見て、真面目に答えることにする。


「はい…佐藤さん、元気でした。スシローで一緒に寿司食って、サーモン好きって楽しそうに話してました。…ただ、コンビニのバイトで、店長が厳しいって、ちょっと辛そうでしたけど…」


部長の眉がピクリと動く。

「店長? アイツ、なんか問題でも起こしてるのか?」


「いや、詳しくは…。ただ、佐藤さんがプレッシャー感じてるって、言ってました」

磯部は慎重に言葉を選ぶ。佐藤さんの相談をどこまで話していいか迷うが、部長の娘への気遣いを感じ、誠実に答えた。


部長はしばらく黙り、ため息をつく。

「そうか…。アイツ、頑固だからな。母親似だ。…磯部、娘のこと、ちょっと見ててくれ。また報告してくれよ。…ただ、娘には、俺が話したって言うな。わかったな?」


「はい、もちろんです」

磯部は即答する。部長の意外な父親の一面に、ほんの少し親近感を覚える。


だが、部長の声が急に厳しくなる。

「それと、昨日のクレーム対応だ。あのミス、客が本社にまで上げやがった。今回は見逃してやるが、次はダメだからな。しっかりしろ」


「…はい、すみませんでした。気をつけます」

磯部は頭を下げ、冷や汗が背中を伝う。クビは免れたが、プレッシャーは重い。


部長は立ち上がり、話を締める。

「よし、戻れ。…娘のこと、よろしくな」


---


コールセンターに戻ると、磯部の頭は佐藤さんが部長の娘という衝撃でいっぱいだ。

「(佐藤さんが…部長の娘? しかも、あの石川が、こんな父親っぽいなんて…)」


席に戻り、ヘッドセットを装着するが、集中できない。佐藤さんとのLINEのやり取り、昨夜の「元気になった」の笑顔が頭をよぎる。すると、スマホが震え、LINEの通知が届く。佐藤さんからだ。


「磯部さん、助けて…。コンビニの店長、今日、めっちゃキツくて…。なんか、セクハラっぽいこと言われて、パワハラも…。もう、ほんと辛い…」


メッセージを読んだ瞬間、磯部の胸が締め付けられる。佐藤さんの明るい笑顔の裏で、こんなことが起きていたのか。しかも、セクハラとパワハラ。部長の娘がそんな目に遭ってるなんて、知ったら部長は黙ってないだろう。だが、佐藤さんに「父親に話した」と言えない以上、磯部自身が何かしなければ。


「(…俺に何ができる? 41歳の底辺おっさんに…)」

磯部は一瞬、弱気になる。だが、佐藤さんの「磯部さんのおかげで元気になった」の言葉を思い出し、決意が固まる。


すぐに返信する。

「佐藤さん、大丈夫か? そんなひどいこと、許せねぇよ。…今夜、コンビニ寄るから、詳しく話してくれ。なんとかするから」


佐藤さんから即座に返信が来る。

「磯部さん、ほんとありがとう…。21時にバイト終わるから、待っててくれると嬉しい…」


---


その夜、磯部は21時前にコンビニの前に立つ。いつもなら100円コーヒーを買う場所だが、今日は佐藤さんを助けるために来た。店内を覗くと、佐藤さんがレジにいるが、いつもより笑顔が少ない。奥にいる店長らしき中年男が、佐藤さんに何か指示しているのが見える。佐藤さんの肩が小さく縮こまっている。


21時になり、佐藤さんが制服を脱いで出てくる。目が少し赤い。

「磯部さん…来てくれて、ありがとう…」


「佐藤さん、大丈夫か? 店長、どんなことしたんだ?」

磯部は優しく、だが真剣に聞く。佐藤さんは小さく頷き、話し始める。


「今日、商品の陳列ミスったって、みんなの前で怒鳴られて…。それだけならまだいいけど、帰る時、『お前、もっと愛想よくしろよ、俺にくらいさ』って、なんか…気持ち悪い感じで…。前も、変な冗談とか言われて…」


佐藤さんの声が震える。磯部は怒りが込み上げる。41年間、恋愛も人望も底辺だった自分だが、佐藤さんのこんな姿を見過ごせない。


「…佐藤さん、こんなの放っとけねぇよ。俺、なんとかする。…ただ、ちょっと時間くれ。いい方法考えるから」


佐藤さんがホッとしたように微笑む。

「磯部さん、ほんと…頼りになる。ありがとう…」


二人はコンビニの前で別れる。磯部は帰路につきながら、頭をフル回転させる。

「(店長をどうにかするには…。部長にチクるのは、佐藤さんがバレたら嫌がるだろう。けど、俺一人じゃ…)」


家に着き、スマートスピーカーに話しかける。

「アレクサ、佐藤さんがバイト先でセクハラされてるって。…俺、なんかできねぇかな?」


「うわ、磯部さん、それひどい! 佐藤さん、守ってあげてください! 例えば、証拠集めて、上の人に相談とか? 磯部さんなら、絶対いい方法思いつきますよ♡」


「証拠、ねぇ…」

磯部はソファに座り、考える。佐藤さんのために、41歳の底辺おっさんが動く時が来た。だが、どう動くべきか。部長に匿名で伝えるか、佐藤さんと一緒に証拠を集めるか。それとも…。


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