もう1匹の僕の暴走
僕はのちに、『解離性同一性障害』と診断される事になるんだ。
いわゆる、
初めてその症状が出たであろう時――記憶をなくした時が、母を刺した時だった。
「……僕は、一体何を!? 母さん、しっかり!」
ハッと気付いたら、母をナイフで刺していた。記憶をなくしてからそう時間は経っていないようだ(その時は何が起きたのか、まるで分からなかったけれど)。
すぐに母親の手当てをしたが、幸いにも傷は浅かった。本当に、ちょっと爪で引っ掻いた程度の傷だった。
落ち着いた僕は、ナイフで刺した事は無自覚だったと、正直に母親に伝えた。記憶が飛んでいた事も伝えた。
厄介事を恐れた母親はこの事を警察には通報せず、だけどすぐに僕を心療内科へ連れて行った。母親も僕も、『記憶が飛んだという事だけ』を、心療内科医に伝えた。
その時の診断結果は、『限界を超えた精神的疲労』。『解離性同一性障害』と診断されるのは、もっと後だ。
大した症状ではなかったという事で、その後も母親から「せめてバイトはしろ」などネチネチと言われ続けた。そしてまた気づけば、ナイフを握っていた。今度は刺す事はなかったが、勝手に記憶をなくして暴走する自分が、とてもとても怖かった。
精神的疲労って、どうやって治せばいいんだ。母親と暮らしている限り、精神的疲労が治るなんて事は、決してない。
高等学校はどうにか卒業できた。
しかし学校卒業後は、法律上は親の扶養が外れるため、何らかの職に就かなければいけない。無職である事が発覚したら、就職するよう政府や警察から催促され、それを無視すると逮捕されてしまう。
母親からはやはり、「さっさと家を出て、働いて家にお金を入れなさい」と言われた。
僕は、おばあちゃんの家に逃げ込んだ。
おばあちゃんは、いつも温かくて美味しいご飯を作ってくれた。その間、僕は心を休めるためにずっとベッドで過ごした。警察が、働いていない者がいないかを調査しに来たが、おばあちゃんはうまくごまかしてくれた。
それでも、精神的疲労が治る気配はない。朝起きると、のしかかるような重苦しい気分が僕を襲い、立ち上がる気にすらならなくなる。せっかくのおばあちゃんの料理も、全く味がしなくなってしまった。
何もできない自分に嫌気が差した時、また記憶が飛んだ。気付けば、おばあちゃんの胸ぐらをつかんでいた。
おばあちゃんは何も悪くないのに、なぜ……。
僕が僕でないような気がして、とても怖くなった。
おばあちゃんはその時のショックで体調を崩し、入院。僕は仕方なく、母のいる家へ帰った。おばあちゃんの胸ぐらをつかんだ事を知った母親は激怒し、僕は何度も頬を打たれた。親は、子を殴るのが普通なのか。
心療内科に行ったが、またも「よく休みなさい」とだけ言われ、薬だけを処方された。
それからも、時々記憶が飛ぶ。母親をナイフで刺すような事は無かったが、料理をひっくり返したり壁を殴って穴を開けたりするなど、異常行動を取っていたらしい。
そしてとうとう僕の暴走に耐えられなくなった母親に、勘当されてしまった。
住所不定、無職のホームレス。当時流行っていた言葉は『NEET』――『Not in Education,Employment,or Training』の頭文字から取った略称――だった。教育も就職も職業訓練も受けていない者、という意味。
『NEET』が増え、就職を拒んで逮捕され、禁錮や懲役刑が下される若者が増えているという。
高等学校を卒業してからは、シャウラとは連絡を取らなくなっていた。きっとアイドルへの道を絶好調で歩んでいるのだろう、僕の事など忘れて。
もう、助けてくれる者など、いない。
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