第14話 少年と「過去」 2/2
父の昇進による転勤が原因だった。
それまで住んでいた田舎とは違い、人が多すぎて玄夢は戸惑った。
情報が洪水みたいに押し寄せて来る。
こんな町でやって行けるんだろうか。
友達だって一人もいないのに。
中学の入学式で、母親は言った。
「初めが肝心だから。一人でも学校に友達を作りなさい」
玄夢は最初の登校日、教室で誰かに話しかけようとした。
不幸にもクラスには小学校からの友達同士が多く、コミュ障の玄夢が付け入る隙などなかった。
幸運だったのは、コミュニケーションスキルが高くて面倒見のいいクラスメートがいたことだ。
「お前、見たことない顔だな」
誰とも会話ができないまま登校初日を終えようとした時、男子生徒が話しかけてくれた。それが
「最近、この町に引っ越して来たんだ」
「通りで。んじゃ知り合いいなくて大変だな」
「う、うん……」
「部活でも入れば友達できるかもな」
いいアイデアだ。だが部活なんてどれを選べばいいのかわからなかった。
「き、君は部活に入るの?」
「オレは漫画研究部に入るよ」
意外だ。
漫画研究部といえば自分みたいなオタクっぽい人間の集まりだと玄夢は認識している。
目の前にいる彼は全然そんな感じじゃなかった。
顔立ちが整っていて、爽やかで、いかにも女子からモテそうだ。
「漫画研究部ってイラストを描いたりする部活?」
「描かない奴も多いみたいだけどな。アニメや漫画が好きなだけの奴とか」
自分にぴったりな部活じゃないか! 玄夢は目を輝かせた。
「興味あるなら、一緒に部活見学に行くか?」
「行きたい!」
「お前、名前は? オレは堂島志朗だ」
「日下部玄夢」
「へぇ、クロムなんて変な名前だな」
「……たまに言われる」
「クロって呼ぶな」
犬か猫みたいな呼び方じゃないか。と思いつつ、嫌われたくなくて何も言えなかった。
堂島がすごい人だと知ったのは部活見学の時だ。
イラストが描ける入部希望者は、実力が見たいという理由でまず部長の前でイラストを描かされる。
後から知ったのだが、部長はイラストに難癖をつけて入部希望者の心を折らせることで有名だった。
堂島が描いたのは、週刊少年ステップで大人気連載中の〈
彼女が自身の必殺技〈
絵柄はかなり原作に寄せている。というか、原作とまったく同じだ。
能生姫は和服をワンピースに改造した、フリルや装飾品の多い格好をしているが、堂島の描いたイラストの服の皺に違和感はなく、原作の衣装を完璧に再現していた。
玄夢がイラストを描くようになってからわかったのだが、アオリの構図で描くのは、正面から描くより難しい。
未だに玄夢はアオリや俯瞰の構図を上手く描けない。
「君、本当に中学生?」
しばらく無言で堂島のイラストに見入っていた漫画研究部の部長は、呟いた。
「はい。入学したてのピチピチです」
部長は明らかに狼狽えていた。
「
誰かが息を飲むように言った。洞島イチは戦獄のヒイロの作者の名前だ。
「……慣れてる絵柄で描いただけです」
格好いい! 玄夢はヒーローに出会った少年みたいな気持ちになった。
「で、入部してもいいですか」
「あ、ああ……もちろんだ」
部長は絞り出すように言った。
堂島が洞島イチの息子だという噂が広まったのはこの時で、それが事実だと玄夢が知るのはもっと後だった。
漫画研究部に入ってからの堂島の活躍は目覚ましかった。
毎月刊行し、学校の隅で配布される部誌は、堂島がイラストを寄稿した月のものはすぐに無くなってしまった。
他校も参加できる文化祭では部誌を数種類出していたが、堂島が寄稿した物のみすぐに売り切れた。
「堂島君って、すごいね」
玄夢は何度も何度も彼を褒めたが、彼はいつもあまり嬉しそうな顔をしなかった。
「こんなところで満足してたら駄目なんだよ」
ある時堂島は、そう言った。焦燥感に駆られたような目で。
「クロはさ、将来何になるか決めてるのか?」
いきなり堂島に問われ、玄夢は戸惑った。毎日生き延びることに必死で、将来なんて遠い先まで考える余裕などない。
「ううん。堂島君は?」
「オレは決まってる」
初め玄夢は、彼の将来は既に自分で決めたのだと認識した。
だが言葉の続きを聞いて、彼は敷かれたレールの上にいるのだと理解した。
「やりたいか、やりたくないかは関係ない。オレの将来はそれしかない」
堂島は社交的で、絵が上手くて、クラスでも部活でも人気があった。
いつも人に囲まているのに、いつも孤独そうだった。
それに気づいた時、彼のことをもっと理解したい、本当の友達になりたいと思った。
玄夢はずっと堂島との差に悩んでいた。
友達は対等な存在だ。けれど堂島と違って、自分には何もない。
彼と出会って、絵が描けたらどんなに素晴らしいだろうと思った。
堂島と同じくらい絵が上手くなれば、彼のことが理解できるかもしれない。
――今思えば、これがすべての過ちだった。
その晩、生まれて初めて絵を描いた。生きている。
生まれて初めてそう思えた。もっと生の感触を確かめたくて、玄夢は次々に絵を描いた。
多少はマシなものが描けるようになった頃、玄夢は堂島に描いた絵を見せた。
「クロ、お前、絵を描く奴だったのか?」
「ううん。堂島君に影響されて、先月から描き始めたんだ」
「先月から?」
堂島は玄夢の絵をまじまじと見つめ、笑顔で言った。
「お前、才能あるよ」
玄夢は心がジュワっと満たされるのを感じた。堂島の言葉を何度も何度も脳内でリピートしてニヤニヤした。
堂島君に認められた! もっと認められたい。
もっと上手くならないと。
玄夢は毎日学校が終わった後、絵を描いた。
夢中で描いている内に晩ご飯の時間になり、ご飯が終わってから夢中になって描いていると、寝る時間になっていた。
そんな毎日を三ヶ月繰り返した頃、また堂島に絵を見せた。
「お前、成長速度エグいな」
「そ、そうかな」
「苦手なところを誤魔化すのはやめた方がいいぜ。服の皺がめちゃくちゃだ。ちゃんと実物を見て描けよ」
堂島君がアドバイスをくれた! もっと色々と言って欲しい。
玄夢はネットで写真を漁り、服の皺の練習をした。
素材によって皺のでき方が違うことに気づいた。
気づいたことを作品に生かすのは楽しかった。
玄夢はちょっと自信のある絵が描ける度に堂島に見せた。
「手を描くのが下手だな。もっと練習しろ」
「塗りで陰影つける時は、光源の位置を意識しろって言っただろ」
「人物はかなりよくなったな。そろそろ背景も描けよ」
堂島からアドバイスを貰えるのがいつも嬉しくて、楽しかった。
堂島もアドバイスするのを楽しんでいると思っていた。
もうすぐ堂島の誕生日だ。玄夢は彼の好きなキャラクターの絵を練習し、プレゼントすることにした。
プレゼントの絵はこれまでで一番気合を入れた。
当然、フルカラーだ。
堂島から貰ったアドバイスを反芻し、いくつもの習作を経て、やっと完成させることができた。
次の日。プレゼントの絵を学生鞄に忍ばせ、いつ渡そうかとドキドキしながらその日を過ごした。
堂島はいつも人に囲まれており、なかなか切り出せない。
チャンスができたのは放課後だった。
「堂島君、一緒に部活に行こう」
「いいぜ。ちょうどお前に話もあったしな」
「話?」
「夏休み、一緒にコミットに行かないか?」
「コミットって、あの?」
堂島は肯定した。玄夢は嬉しさに感激した。
「俺、いつか行ってみたかったんだ!」
「次の夏コミは兄貴がサークルで出るから、来いって誘われたんだ」
「ええっ! 堂島君のお兄さんすごいな」
「ふん、オレだって高校生になったらサークル参加するさ」
コミットは義務教育を終えた者しか参加できない決まりがあった。
堂島君がサークル参加する時は一緒に出たい。と、玄夢は言うことができなかった。
それを言うためには、もっと上手くならないといけない。家に帰ったらまた練習しよう。
「と、ところでさ……堂島君ってもうすぐ誕生日だよね」
「なんだよいきなり」
「プレゼント、用意してたりして」
「マジで?」
「君の最推しを描いたイラストなんだけど」
玄夢は学生鞄からA4サイズの色紙を取り出した。「大したものじゃなくてごめんね」口ではそう言いながらも堂島が喜んでくれるのを期待していた。
玄夢の絵を見て、堂島は驚いたような顔で固まった。
やがて彼は口を開いた。
「……これ、本当にお前が描いたのか?」
「そうだよ」
堂島はまた黙った。プレゼントが気に入らなかったのだろうか。
「ごめん、もっといいものをあげればよかったね」
「……いや、嬉しいよ」
堂島の声には感情が篭っていなかった。
「こ、この絵、堂島君から貰ったアドバイス通りに描いたんだ」
玄夢は慌ててフォローを入れた。
「……アドバイスなんかするんじゃなかった」
「えっ?」
「悪いな、今日は部活休むわ。……じゃあな」
堂島は踵を返して行ってしまった。次の日、彼は部活を辞めた。「絵の練習をする時間をもっと確保したいから」という理由だった。
堂島がいじめっ子へと変貌したのはこの頃だった。玄夢ははっきりと思い出した。
何故そんなことをするのか聞いた記憶はなかった。
彼の気持ちを知ろうともせず逃げ出したからだ。
逃げ出して、自分だけの世界に引き篭もった。
彼のことを理解できない〈敵〉だと認識して。
「君のこと理解したいと思っていたはずなのに……」
玄夢はその場で立ちすくんだ。
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