第15話 彼女の「評価」 1/2

「いやー、トイレめちゃ混みでさぁ。壁サークルより列がなげーの!」


 玄夢くろむ堂島どうじまがどこかに行ってしばらくした後、夏子なつこがスペースに戻って来た。


「こっちも列やばない?」


 咲良さくらは視線で「やばいのよ、今すぐ何とかして」と、夏子に告げる。


「うちが来たからにはすぐに無と化す的な?」


 夏子は列の整理を始めた。


「レムちゃん、手伝ってくれてありがとう。もう大丈夫だから」

「あんまり役に立てなくてごめんね……」


 そんなことないわ、と、咲良は励ました。


「さっきの奴ら、まだその辺をうろついてるかもしれないから気を付けてね。危険だと思ったらすぐにスタッフを呼ぶのよ」

「ええ。……ユメちゃんって、想像してたよりお姉さんっぽいね」

「そう? 変かな」


 やばい、偽物だとバレるかも。咲良は冷や汗をかいた。


「ううん、それはそれで素敵っていうか」


 バレてはいないようだが、気のせいだろうか、先ほどより熱い視線を感じる。


「惚れ直しちゃった。……なんて」


 別の意味でやばいかもしれない。


「忘れるところだったわ。スケブ、できたから」


 咲良はハードカバーのノートをレムに返した。


「わぁ、ありがとう。宝物にするね!」


 レムは顔を綻ばせた。

 夏子の働きぶりのおかげで列はどんどんと消化され、新刊は売り切れた。

 ようやくハードワークから解放されると思うと安堵の息が出た。

 緊張が解けた瞬間、どっと疲れを感じた。


「さ……ユメ~、あんた全然休憩してないじゃん。そろそろ休みなよ」


 夏子は咲良の疲労を察したのだろう。

 咲良はありがたく気づかいを受け入れ、ついでに堂島にスケブを渡すことにした。


 咲良はシロ同盟の列の最後尾に並んだ。

 十五分ほどした頃、咲良が買う番になった。堂島はすぐに咲良に気がついた。


「さっきは助けてくれてありがとうございました」

「いえいえ、慣れないイベントで大変でしょう」

「スケブ、できたんで渡しますね」


 咲良がそう言うと、堂島も「こっちもできてます」と言って、スケッチブックを返却してくれた。


「今度、ユメさんともっとゆっくり話したいです」


 堂島のセリフに、隣に座っているサークル仲間と思しき男性が「こんな場所で女を口説くなよ」と、茶化していた。


「そういうんじゃないんで。スキル向上のために色々聞きたいっていうか」

「恐れ多いです」

「前向きに考えて貰えると嬉しいです」


 シロ同盟の新刊を購入した後、咲良は壁際で堂島の描いたスケブ絵を見た。


 その場でさっと描くには難しい構図のアクション絵だった。

 臨場感があり、ラフ絵でも上手さが伝わって来る。ご丁寧に背景まで描いていた。

 これほど描ける人でも、誰かに嫉妬を覚えるんだ。

 底なし沼の中にいることを咲良は改めて思い知った。


 スケブにはメモが挟まっていた。「ROWSメッセージ、お待ちしています」と、書かれていた。


 イベント終了後、咲良は夏子と玄夢と一緒にイタリアンレストラン、クチナシで、晩ご飯を共にした。

 ささやかなイベントお疲れ様パーティーだ。


 玄夢は「二人へのお礼だから」と言って、食事代は同人誌の売り上げから全部出すと言ってくれた。

 咲良は断ったが、玄夢がしつこく言うので最後は折れた。


「疲れたけど楽しかったぁ! やっぱフェスはいいな、フェスは!」


 四人掛けのボックス席に通され、ドリンクバーで乾杯した後、達成感に満ちた声で夏子は言った。


「嶋中さんのおかげでファンの声も聞けて嬉しかったよ」


 遠慮がちに山盛りフライドポテトを食べながら、玄夢は咲良に言う。咲良はぼんやりとどこかを見ながら、ガーデンサラダをフォークでつついていた。


「嶋中さん?」

「あ……ええ、よかったわね」

「咲良は楽しくなかったん?」

「そんなことないわ。疲れただけよ」


 ユメのようにちやほやされれば嬉しいと思っていたのに、想像と違った。咲良はその気持ちを飲み込むように、サラダを口に入れた。


「しょーかふりょーって、顔に描いてんじゃん」


 夏子は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「今回はあくまで前哨戦だしね。消化不良でちょうどいいのよ。それより日下部君。堂島君とどこかに行ってたけど、大丈夫だったの?」

「……うん、まぁ」

「どーじまって誰?」


 夏子の問いに、咲良は「あんたがKENJIに似てるって騒いでた男の子よ」と、説明した。


「あのイケメンって日下部の知りたいだったん?! うちに紹介して!」

「それは無理かな……」

「えー、何でぇ?」


 騒ぐ夏子に、玄夢は事情を伝えた。


「ははぁ、訳ありって奴かぁ。人間関係ってフクザツだよなぁ」


 夏子は腕を組み、うんうんと頷いた。


「日下部君も消化不良のようね」

「……うん。堂島君からは『話すことはない』って言われたけど、俺はこのままじゃ嫌だ」

「貴方がどう思おうと、彼が拒絶しているなら話すのは難しいでしょうね」

「咲良厳しすぎー」

「事実でしょ」

「まー、そうなんだけどさぁ。日下部はどうしたいよ」


 夏子の問いかけに玄夢はテーブルに視線を落とし、言う。


「昔みたいに友達に戻れたらいいなって思うよ」

「それは無理よ」

「咲良ぁ、水差すなよ」

「勘違いしないで。無理だと言ったのは『昔みたいに』の部分よ。彼と良好な関係を築いていた頃の貴方は絵を描いてなかったんでしょ? 昔に戻りたかったら、絵を描くのは辞めないとね」

「無理だよ!」

「でしょうね。それに絵を辞めても元には戻れないわよ。今の日下部君は、どうしたいの?」


 玄夢は真剣に考えた。


「……堂島君と対等な関係を築きたい」

「今の貴方なら、彼と対等な関係になれるわ。……いえ、彼はもう貴方――ユメを対等な存在として見ている」


 咲良は、堂島のユメに対する振る舞いを思い出し、確信を持って言った。


「堂島君がプロを目指しているのは、知っているわよね」

「うん」

「なかなかプロになれず、苦しんでることも?」

「……直接言われたことないけど、いつも焦ってるのは感じてた」

「私ね、貴方なら彼を助けられると思うの」

「俺が? どうやって……」

「彼と同じフィールドに行って、ライバルになってあげるの。ライバルがいれば実力以上の力を発揮できるわ。特にああいう、負けん気の強そうな人はね」

「ライバル……俺が、堂島君の……」

「熱い展開じゃん!」


 玄夢はごくりと唾を飲み込むと、真剣な眼差しになった。


「……俺、プロになるよ。何年かかるかわからないけど」

「よっしゃー、じゃあとにかくまずは食お食お。腹いっぱいならどんな戦も勝ち確定って言うじゃん?」

「言わないわよ。腹が減っては戦はできぬって言いたかったの?」

「そーそー、それそれ!」


 玄夢は夏子に勧められるままにフライドチキンと照り焼きチキンピザを頬張った。


「鳥肉ばっかだね……」


 三人はデザートまで頼んで楽しい時間を過ごした。

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