第12話 少年と「彼女の絵」 2/2

「蛹が……」


 玄夢くろむは振り返った。


 飼育ケージの中で微動だにしなかった蛹が、波打つように動いた。

 この瞬間に生命を得たみたいだった。


 何度か身をくねらせた後、蛹のてっぺんが割れ、蝶々の頭部が顔を覗かせた。


 細く頼りない脚を必死に動かし、震えるように体を揺らしながら、己の作った皮を脱ごうともがいていた。


 皮は体に貼りつき、すぐに這い出すことはできない。


 蝶はゆっくりと、だが着実に、初めて触れる外の世界に羽ばたこうとしていた。


 蝶が皮を脱ぎ捨てた時、玄夢は静かに息を吐いた。

 息を止めていたことにも気づかなかった。

 隣で咲良さくらもまた、安堵するように息を吐いた。


 咲良が帰宅した後、玄夢は記憶を頼りにピクフィスで彼女の絵を探した。


 嶋中さんの絵がもっと見たい。


 咲良の評価という言葉、夏子のビッグフェスに投稿しているという言葉から、ピクフィスに投稿していると推測したのだ。

 ピクフィスで検索を始めて二時間後、咲良の絵を見つけた。玄夢はハンドルネーム〈シマ〉のユーザーページにアクセスした。


 投稿された絵はすべて、見せて貰ったものと同じ印象だった。

 妙な力が入っていて、その割にキャラクターや作品に対する愛、作者の「描きたい!」という想いが感じられない。


 見ていて苦しくなった。


 サイズも形も合わない箱の中に無理やり押し込められているような気持ちだ。


 どうして咲良みたいに強くて格好よくて逞しい子が、こんな苦し気な絵を描いたのだろう。



 玄夢は次々にイラストを辿り、最初の投稿作に辿り着いた。これだけがオリジナルイラストだった。


 桜の咲き乱れるどこかの原っぱで、小学生くらいの子どもたちが絵を描いていた。

 各々好きなものを絵の対象にしている。

 みな生き生きと描かれていた。

 彼らの微細な表情や、個性を表現したポーズに拘りを感じる。

 桜の花びら一枚一枚を丁寧に塗っているところに咲良のストイックさが出ていた。


 技術は今の絵より未熟だったし、流行りの絵柄も追いかけていない。

 だけど自由に、のびのびと好きなものを描いているのが伝わって来た。


 玄夢は無意識に「いいね」を押していた。


「嶋中さん、どうしてこういう絵を描くのやめたんだろう」


 玄夢は飼育ケージに視線を移した。枯れた葉っぱと、空っぽの皮だけが残されている。

 蝶はベランダから外に放してやった。側に置いておきたい気持ちもあったが、小さなケージで一生を終えさせるのは可哀想だった。


 狭い皮からようやく解放されて自由に舞う蝶の姿を思い出し、玄夢は咲良の本当の次回作が見たくなった。

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