第13話 美少女と「イベント参戦」 1/2

 五月五日。


 コミーティ当日。

 東京ラージサイトに来るのも三回目だ。すっかり慣れたもの――と言いたいところだが、初のサークル参加で咲良さくらは緊張していた。


「このポップってここでいいん?」


 サークルスペースの設営を手伝ってくれている夏子なつこは、咲良に尋ねた。

 咲良は玄夢が考えたスペースデザインをチェックし、OKを出す。


 夏子には売り子だけ手伝って貰う予定だったが、により玄夢が参加できなくなったため、設営の手伝いもお願いした。

 玄夢くろむは申し訳なさそうにしていたが、夏子は「うちに任せて!」と、息まいていた。


「日下部も一緒に準備できたらよかったのになぁ」

「仕方ないじゃない。だって……」


 咲良は横目で隣のスペースを見た。


「こんな配置になるなんて」


 ネットでの人気、知名度、イベントへの同人誌の持ち込み部数からして、ユメがサークル参加すれば壁に配置されるのは想定内だった。

 実際に壁配置になっても驚きはしなかった。壁配置になったことだけは……。



 三週間前、コミーティのサークル配置図が発表された時、玄夢からこんなROWSが来た。


〈俺たちのスペース、堂島どうじま君のところの隣だった……〉

〈日下部君はユメのスペースに近づかない方がいいかも〉

〈嶋中さんに全部任せるなんてできないよ。堂島君、俺に気づかなかったし、今回も大丈夫だよ〉

〈前回は変装していたじゃない。あんな怪しい格好で売り子をするつもりじゃないでしょうね〉

〈でも……〉

〈夏子も手伝ってくれるし、日下部君がいなくても大丈夫よ〉

〈ごめんね……ありがとう〉


 せっかく頑張って同人誌を作っていたのに、玄夢がファンの声を聞けないのは可哀想だと咲良は思った。


〈イベント当日はROWS通話をずっと繋げておくわ。貴方もリモート参加できるでしょ〉


 咲良の提案に玄夢は喜んだ。


「咲良~」


 夏子の声に、咲良は顔を上げた。


「あっ、じゃなくてユメ~」


 どこで誰が会話を聞いているかわからないので、夏子には咲良をユメと呼ぶように頼んでいる。


「百円玉がちょっと少なくね?」


 夏子はプラスチック製のコインケースを指差した。

「釣銭は多めに用意しといた方がいいんよ。崩しがてらジュースでも買って来るなぁ」


 夏子は自動販売機を探しに行った。

 夏子はしっかりしているし、フットワークも軽いし、頼りになる。



 スペースの設営があらかた終わった頃、咲良は長机に並ぶ同人誌を眺めた。


 新刊はブックスタンドを使って、表紙が目立つように配置している。

 新刊は印刷会社からイベント会場に直接搬入したため、まだ読んでいなかった。



「新刊、結局一冊だけになった。……未完だし」


 イベント直前、玄夢は残念そうに言った。

 本来の執筆速度を考えれば、余裕でもっと作れただろう。

 普通になろうと考えさえしなければ。


「でもこの一冊に、俺を全部を込めた」


 咲良は新刊を手に取ると、じっくりと表紙を眺めた。

 はみ出しや塗り残しのない丁寧な仕上げだ。


 これまでのユメは、逸る気持ちを抱えているように、次から次へと新作を生み出していた。

 その分、クオリティが低い絵もあった。

 今回は違う。地に足をつけ、しっかりと一作に向き合っていた。


「嶋中さんの絵を見て、もっと丁寧に仕上げないといけないなって反省したんだよ」


 玄夢の言葉が蘇った。才能がある者は、すぐに吸収し、モノにする。


 咲良は同人誌を開いた。一瞬見ただけで、本気で描かれたものだとわかった。

 短い期間でまた先へ行かれたことも理解してしまった。

 一読者として続きを読みたい気持ちと、絵師としてこれ以上読みたくない気持ちがせめぎ合った。


「ユメさんの新刊ですか?」


 横から誰かに話しかけられ、咲良はびくりと肩を震わせた。見ると堂島が立っていた。


「今日は隣のスペースなんでよろしくお願いします」

「あ……えっと……」


 先日彼と会った時、咄嗟にユメと関係ないふりをしたため、気まずい。


「玄創ユメです。こちらこそよろしくお願いします」

「貴方が……」

「は、はい。先日は恥ずかしくて名乗れなくて……」

「絵は『一応描いてます』なんて、あの執筆速度でよく言いますね」


 堂島は、にこやかに言ったが、納得していない様子だった。


「新刊、買わせて貰えますか?」

「はい。ありがとうございます」


 咲良は在庫から一冊取り出すと、堂島に渡した。彼は早速ユメの新刊を捲った。


「相変わらず上達速度、エグいですね」


 彼の感想に咲良は内心同意しつつも、口では「そ、そうですか?」などととぼけたことを言った。


「シロさんだってすごく上手いじゃないですか」

「うち、家族全員がクリエイターなんです。ちっさい頃からスパルタ教育されて来たからあれくらい描けてフツーっていうか」


 彼のその情報を咲良は初めて知った。この年であれほど上手いのも頷ける。


「同人で遊んでないで早く商業デビューしろって、家族からきつーく言われてます」


 軽い調子で放たれた言葉は、ずしりと重たかった。


「あれだけ描けたら商業デビューなんてすぐじゃ……」

「こんな出来じゃ話にならないって、持ち込みした時に編集さんに言われたところですよ。技術面は評価して貰えたんですけど、オリジナリティがないって」


 咲良は堂島が描いたいくらでも代わりの利く秀才の絵を思い出した。


「ユメさんは、商業デビューとか考えてます?」

「えっ、いや……私は、その……」

「ま、本人がどう考えていても、才能ある人はいずれ表に出て行きますからね。まったく、神様に腹立ちますよ。なんで人間に差を付けちゃったかな」


 堂島は冗談めかして言ったが、内側にあるリアルな憎悪は読み取れた。

 咲良は「わかるわ」という言葉をぐっと堪えた。

 ユメのような人間にそう言われても、彼には嫌味としか思えないはずだ。


 彼の口ぶりから言って、ユメのように好きで楽しく描いているわけではないだろう。

 咲良は、堂島の絵を見ても嫉妬しなかった理由がわかった。


「ユメさん、スケブやるんですか?」


 堂島は、ユメのスペースに置いてあるポップの文字に気が付いたようだ。


「オレも頼めたりします?」


 咲良が承諾すると、堂島はすぐに自分のスペースからスケッチブックを取って来た。


「ここにお願いします。キャラは、新しいアイコンの子でもいいですか」


 そのキャラクターなら練習してある。


「オレだけ描いて貰うのも悪いんで、何か描きますよ」

「わぁ、嬉しいです! マジ☆みくのモカ、お願いできますか」


 ユメがしそうなリクエストをする。


「OKです」


 咲良は自分のスケッチブックを堂島に差し出した。堂島はスケッチブックを掴んだまま、動かなかった。


「……ユメさんに聞きたいことがあるんですけど」

「何でしょうか」

「日下部って奴、知ってま……」

「さ……ユメ~、お金崩して来たぁ」


 堂島が言いかけたセリフは、夏子の声によりかき消された。


KENJIケンジ!?」


 お茶を両手に持った夏子は、すごい勢いで堂島に駆け寄る。

 近距離まで夏子に顔を近づけられた堂島は、狼狽えて身体を仰け反らせた。


「近くで見るとちょい違うような……? ま、いっか♪ お兄さんめっちゃイケメンじゃね? ROWS教えて~」


 咲良は夏子の腕を引っ張り、堂島から剥がした。


「迷惑になってるから、やめよ?」

「すっげータイプだったからグイグイ行っちゃった!」

「……光栄です」


 堂島は、若干顔を引きつらせながら言った。


「そろそろ行かないと、サークルの奴らに『女の子と喋って設営サボるなって』どやされそう。……それじゃあ」


 堂島が去って行ったのを確認し、咲良は長い息を吐いた。


「イケメンといい感じで羨ま~」

「そんなんじゃないわよ」

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