第12話 少年と「彼女の絵」 1/2

 春は遠いと思っていたのに、気づけば三学期の最終日だ。


 明日から始まる春休みに教室中が浮足立っている。

 春休みに何をして過ごすかなど、楽し気な会話があちこちから聞こえて来た。


 玄夢くろむはふらふらになりながらも、「三学期を乗り切った!」という達成感に満ちていた。

 犠牲にしたものはたくさんあった。ピクフィスは一週間も更新できていない。

 教室で授業を受け切った日は、疲れて絵を描こうという気になれなかった。


「うちらカラオケ行くんだけど、咲良もどうよ?」


 四、五人の友達を連れた夏子なつこが、咲良さくらに話しかけていた。


「予定があるからまた今度ね」

「彼ピでもできたん?」

「イベントの準備よ。今朝ポストにコミーティの参加案内書が届いていたの」

「五月のイベント出られんの? やったじゃん!」


 途中から耳をそばだてていた玄夢は、咲良のセリフに心の中でガッツポーズを作った。


 玄夢はクラスメートたちみたいに浮足立ちながら作業部屋に向かった。


 今日は咲良が作業部屋に来ることになっている。

 部屋に着いたらまずは掃除だ。

 昨日も散々掃除をしたが、咲良を迎え入れるにはいくら綺麗にしても足りない。



 通学路には桜が咲いていた。満開だ。

 玄夢は足を止めた。


 咲良を推しにしてから桜が好きになった。

 名前が同じなのもあるが、彼女を初めて見たのが桜の下にいるところだったからだ。


 今夜は嶋中さんを描こう。

 どんな構図で、どんなポーズにしよう。

 唯一決まっているのは、前よりもっと可愛く描くことだけだ。

 本物りそうに追いつくまで妥協はしない。


「日下部君」


 咲良のことを考えていたせいか、彼女が自分を呼ぶ声の幻聴が聞こえた。


「日下部君ってば!」


 幻聴ではなかった。振り返ると咲良がこちらに向かって歩いていた。


「もう、無視しないでよ」

「ごめん……」

「貴方に伝えたいことがあるの。ROWSでもよかったけど、直接言いたくて」


 咲良はもったいつけた。


「五月のコミーテイ、受かっていたわ!」


 うん、知ってる。と言えば盗み聞きしていたことがバレてしまう。

「よかった! 嬉しいよ!」精一杯の笑顔を作って見せる。



 玄夢と咲良は連れだって作業部屋までやって来た。

 咲良は一目散に蛹の飼育ケージの前に向かった。

 玄夢は蛹を作業部屋で飼うために、近所のホームセンターで飼育ケージを購入していた。


「もうすぐ羽化するんじゃない?」


 咲良が嬉しそうに言った。

 先日来た時も同じセリフを口にした。

 羽化を楽しみにしているのが伝わって来て微笑ましい。


「イベント本番まであと一ヶ月と少しね。同人誌の進み具合はどう?」

「あんまりよくないんだ。三冊くらい新刊を用意しようと思っていたんだけど、一冊がやっとかも……」

「無理して学校に来るからよ」


 咲良は唇を尖らせた。


「そろそろ表紙絵を描こうとしているんだけど、どういうのがいいかわからなくて……相談に乗ってくれる?」

「別にいいけど。貴方って何冊も本を出しているんでしょ?」

「イベントで手に取って貰いやすい表紙って考えたらわからなくなったんだ」


 玄夢は表紙の構図案をいくつか咲良に見せた。


「これが一番いいわ」


 咲良がその中のひとつを指さした。


「キャラクターの視線がこっちに来てるから思わず見てしまうし。ポスターにしても映えると思う。こっちはゴチャゴチャしてて見づらいから表紙には不向きね。一枚絵としては描き込みがすごくていいと思うけど」

「ありがとう!……嶋中さんって色々考えてるんだなぁ」

「普段から目を惹く絵を研究しているだけよ」


 玄夢は絵について深く考えたことはなかったし、研究もしたことがなかった。

 感覚だけで描いて来た。

 その点、嶋中さんはすごい。


「嶋中さんの絵って、やっぱり見せて貰えないの?」


 駄目元で玄夢はねだったが、意外にも咲良は「一枚くらいなら見せてあげてもいいけど……」と、スマートフォンを操作した。


「これまでで一番評価されて、自分でもちょっとはいい感じに描けたかなって思ってて」


 咲良は機嫌がよさそうにスマートフォンを玄夢に寄こした。

 玄夢は食い入るように咲良のスマートフォンの画面を見つめた。

 マジカル☆みるくのモカとみるくが仲良さそうにしている絵だった。


 思っていたよりずっと上手い。華やかで目立つし、丁寧に描かれている。

 だけど息苦しそうな絵だ。線は力み過ぎているように固く、見ている方が疲れてしまう。

 何よりこの絵から、作者の描きたい世界を感じなかった。


 咲良は明らかに感想を期待している。正直に言えば彼女を傷つけるだろう。

 かといって適当な褒め言葉は失礼だ。


「仕上げが丁寧な絵だね!」


 葛藤した結果、玄夢は一番褒めるべきところを褒めた。


「そうなの! いつも修正に時間をかけていて」


 咲良はまんざらでもない様子だった。玄夢はほっと胸を撫で下ろした。


「絵師だけあって絵の褒め方が上手いわね」

「そ、そうかな。……ちなみに、俺の絵ってどう?」


 上機嫌だった咲良は、一気に機嫌を悪くした。


「貴方は散々色んな人から褒められているでしょ」

「嶋中さんの意見が聞きたいなぁって」


 咲良はむっつりと黙ったが、しばらくしてから「貴方は、プロを目指したらいいんじゃないかしら」と言った。


「ぷ、プロなんて俺には無理だよ!」

「やりもしない内から無理とか言わないの。ふらふらになりながら高校に通うより、絵の専門学校にでも行く方がいいんじゃない?」

「専門学校なんて、父さんが許してくれるかどうか……」

「父親に聞いてみればいいじゃない」

「で、でも……プロなんて、なるのも難しいし、食べて行けるかもわからない。母さんが心配するからもっと普通の仕事をしないと」


 学校に行くだけでもつらいのに、仕事なんて自分に勤まるだろうか。

 大人になったら働かないといけない。

 仕事が得意な人も苦手な人も、働かなければ世間から白い目で見られる。


  絵を仕事にしている人を知らないわけではない。


 堂島どうじまの父親はアニメ化も経験済みの売れっ子漫画家で、年の離れた兄は有名イラストレーターらしい。あそこは母親も直木賞作家というクリエイター家系で、堂島も商業デビューを目指していると以前話していた。


「貴方はやりたいの? やりたくないの?」

「……絵を仕事にできたら、いいなって思うよ」

「私なら挑戦してみるわ。挑戦した結果、駄目かもしれないけど、何もしないで諦めるよりずっといいわ」


 咲良はいつも眩しい。強くて、逞しくて、近くにいるのに手の届かない女の子だ。彼女のことを知れば知るほど好きになり、憧れる気持ちが増して行く。


「『諦めたら本当はできたことだってできないで終わるじゃない』って、嶋中さん言ったよね」

「そうだったかしら?」

「言ってくれたよ。俺、嶋中さんみたいになりたいんだ。いつも頑張ってて、格好いいから」

「『みんな』とか、私とか、貴方はよく他人になりたがるわね」

「だって俺、自分のこと嫌いだし」

「貴方になりたがっている人だっているかもしれないのに」

「まさか、いるわけないよ」


 咲良はじっと玄夢の方を見つめた。


「貴方は何もわかってないわ。その鈍感さが誰かを傷つけたこともあるかもね」

「そんなこと言われたって、俺、どうすればいいのかな」

「自分の姿を正確に知ることね。貴方は自己評価が低すぎるのよ」


 咲良の視線が玄夢の背後に移動した。

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