第10話 少年と「友達」と「元友達」 2/2

「おー、悪いなぁ。休憩中に呼び出してよ」


 玄夢くろむが並び始めてしばらく経った後、最後尾の看板を持つ男性は、親し気な声で言った。


「美人と話してたのに、空気読めよなー」


 冗談めかして男に返す聞き覚えのある声に、玄夢は視線だけ動かしてそちらを見た。


 堂島どうじま君。こっちに来るなんて……!


「シロがナンパとか珍しい」

「人助けしてたんだよ。にしても、聞いてた通り列エグいなー」

「悪いけど売り子のヘルプ頼むわ。グレさんとモモさんにもお願いしてるから」

「りょーかい」


 堂島はサークルスペースに向かった。


「あっ、シロさん! 新刊買いますんで」

「シロ君、あとでスケブお願いしてもいい?」

「うわぁ、本物だ。会えて嬉しいです!」


 列に並ぶ参加者から黄色い声が飛ぶ。

 人気者だ。

 玄夢の知る限り、堂島はいつだって人気者だった。



 堂島と他二名がヘルプに入ったおかげか、列の進みが早くなった。

 列を抜け出すタイミングを掴めぬまま、あっと言う間に玄夢は最前列に来ていた。しかも堂島が売り子をしている列だ。


「どれ買います?」 

「あわわ……えっと……ど、どれも素敵で選べないんで、並んでるの全部下さい!」


 バレないように声を作る。


「ありがとうございます。全巻セットはノベルティつくんで、一緒に入れときますね」


 堂島は慣れた手つきで同人誌を包んで行く。

 その淡々とした態度は、玄夢の正体に気づいていないと教えていた。

 変装が効いたのだろうか。


 そもそも自分のような日影者を、彼が覚えているはずがなかった。


「気に入ってくれたらまた来て下さいね。五月も新刊出す予定なんで」


 堂島は営業スマイルで言うと、玄夢に同人誌を渡した。


「……楽しみにしてます。ずっと前からファンだったので」

「前にもスペース来てくれました?」

「す、スペースに来たのは初めてです!」


 玄夢の言葉に堂島は「ピクフィスで見ててくれた人でしたか」と、納得していた。

 終始彼の態度は、友達でもなく、敵でもなく、他人だった。



 一時間くらいした後、ROWSで連絡を取り合い、玄夢は咲良さくらと駅で合流した。

 二人で玄夢の作業部屋に行き、今後のために話し合うつもりだった。


「……シロさんは、堂島君……俺をいじめていた奴だったよ」


 作業部屋に向かう道すがら、玄夢は消え入りそうな声で呟いた。


「あんなに人気があるのに、晒しなんてつまんないことするのね」

「サークルまで行ったけど、俺に全然気づいてなかった。……バレるかなって思ったのに」

「なによ、気づいて欲しかったの? 顔を出せばよかったじゃない」

「それはそれで嫌というか……」

「はっきりしないわね!」

「……ごめん。自分の気持ちがよくわからないんだ。嶋中さんにユメになって貰うことも、すごく嬉しいのに、後悔してる気持ちもあって……」

「今さらやめようとか言わないでしょうね」

「言わないよ。ただ……レムちゃんと嶋中さんが会話してるとこ、遠巻きに見てたんだ。……なんていうかその……嫉妬して。二人がお似合いだったから」


 咲良は呆れたように溜息をついた。


「私は貴方に外見を貸してるんだから、見た目がお似合いなのはいいことでしょ。アバターだって割り切ればいいわ」

「嶋中さんは、それでいいの?」

「いいのよ。私にとっても、ユメは必要なアバターなんだから」


 話している最中に作業部屋のあるマンションのエントランスまで辿り着いた。

 咲良はエントランスの植え込みに何かを見つけたのか、立ち止まった。


「何これ……」


 咲良の視線の先には、葉っぱの裏に付着した茶色い塊りがあった。

 玄夢はその場にしゃがみ込んだ。


「アゲハ蝶の蛹だよ。俺もちょっと前に見つけて、見守ってるんだ」

「こんな時期に蛹なんて変じゃない」

「アゲハ蝶には夏に羽化する夏型がいて、そいつらが産んだ卵は秋に蛹になるんだ。冬は寒いから、春が来るまでずっと蛹のままいるんだって」

「詳しいのね」

「愛着が湧いて、調べたんだ」


 玄夢は愛しいものに向ける眼差しで蛹を見つめた。

 弱く柔らかな中身を丈夫な外皮で覆い、寒さに耐えている姿はいじらしい。

 外皮は丈夫とはいえ、人間に握り潰されればひとたまりもない。

 鳥に食べられる可能性だってある。


「持って帰ろうかしら。こんなところにいたら無事に羽化できないかも」


 咲良もいじらしさを感じたのだろうか。優しいことを言った。


「葉っぱごとちぎらないといけないよ。そんなことしていいのかな……」

「大家さんに聞いてみればいいわ」

「大丈夫だったら作業部屋に連れて行くよ。嶋中さんも見守れるし」

「お願いするわ」

「嶋中さんは虫なんて嫌いだと思ってた」

「別に好きじゃないけど……長いこと寒さに耐えたのに飛べないのって、悲しいじゃない」


 咲良にこんなセンチメンタルな一面があるなんて知らなかった。

 玄夢も同じ気持ちだ。

 自分の境遇を重ねていたのかもしれない。


 今はまだ皮を必要で、成虫になり切れない小さな命。

 だけどいつかは羽化して空を舞うのだろう。


「俺も、こいつが飛んでるところ見たいな」

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