第7話 美少女は「天才」になりたかった 2/2

「レムって子の情報をちょうだい」


 玄夢くろむは本棚から数冊の同人誌を取り出した。


「これがその子の作品だよ」


 彼は匿名配送サービスを使い、通販で買ったそうだ。

 ご丁寧に同人誌用ブックカバーまでつけている。よほど大切な本なのだろう。


 咲良はレムの同人誌を一冊受け取った。

 イラスト集だ。


 注射器、包帯、血液、薬、ウサギ。

 好きな人は好きだろうモチーフが並んでいる。

 耽美な絵柄でユメとは絵柄も世界観も違うが、薄暗い印象と、美少女ばかり描いている点は共通していた。


「レムちゃんの描く女の子、可愛いよね。塗りも綺麗だし。特に髪の毛の塗りに定評があって、ロングヘアの子が絶品なんだ!」


 玄夢は熱っぽく語り出した。


「彼女はピクフィスと、つぶやきSNSのアカウントも持っているよ」

「私のROWSにURLを送ってくれない?」


 玄夢は急いでスマートフォンを操作した。


 咲良はレムの別の同人誌を手に取った。

 〈楽園の処女たち〉というタイトルの漫画だ。

 美少女ばかりの世界で、女の子同士が恋愛する百合というジャンルのものだった。


 序盤を読んで咲良は思わず顔をしかめた。

 百合に偏見はなかったが、設定に受け入れがたいものがあった。


「独自過ぎる世界観ね」

「こんなの思いつくなんてすごいよね」

「男性の扱いがあまりにひどいくない?」


 この世界の男性は繁殖用としての価値しかなく、人権もない。あまつさえ子ザルのような姿に退化している。


「レムちゃんは男嫌いだから仕方ないかも」


 だからユメの男性疑惑にあんなにショックを受けていたのかと咲良は理解した。


「貴方も変わってるわね。私なら、女嫌いの男性とは距離を置くわ」


 自分を否定してくる人間と付き合ってもいいことがあるとは思えない。


「……嶋中さんは、男に生まれたかったって思ったことない?」


 いきなり飛んできた質問に咲良は戸惑った。


「あ、その……変なこと聞いてごめん」


 考えたこともなかった。


 生理が来ないのは羨ましいかも。

 出産するかもわからないのに、どうして毎月面倒でしんどい思いをしなければならないのか。


 だけど咲良の学校では、体育の授業で男子生徒の方が長い距離を走ったり泳いだりしないといけなかった。

 当然、生理を理由に体育を休めない。(たまに馬鹿な男子が生理で休もうとして先生に怒られていたが)


 周りの男子の会話は、芸能人の、同じ学校の、近所に住んでいる、誰々が可愛いというくだらない内容ばかりで、あれに付き合わされるのも煩わしい。


 咲良を溺愛し、何でも買ってくれるパパは、息子に同じくらい甘かったかどうかわからなかった。


「思ったことないわね」

「……なら、否定してくれるのが嬉しいわけないよね」

「貴方、被虐趣味でもあるの?」


 咲良は青ざめた、玄夢は逆に顔を赤くした。


「な、ないよ! ただ、可愛い女の子に生まれたかったなって」

「だからネットでは女の子のふりをしていたの?」

「うん。ネットでは理想の姿でいられるから……」


 咲良は苛立った。誰もがそうではないことを玄夢は知らないのだろう。


「俺も、嶋中さんが持って来てくれた同人誌を読んでいい?」

「ええ」


 玄夢は咲良が持って来た紙袋の中身を取り出しだ。


「あっ、これアマノさんのだ! やっぱり上手だなぁ。こっちはカミエさんの……すごいなぁ」


 玄夢は瞳を輝かせながら吟味していた。嫉妬の感情は一ミリも見えなかった。また苛々した。


 玄夢はある同人誌の表紙を見た時に手を止め、視線がくぎ付けになった。


「……嶋中さん、これを売っていた人、覚えてる?」


 咲良は玄夢が持つ同人誌の表紙に視線を動かした。〈シロ同盟〉のものだ。


「同い年くらいの男の子だったわ。その子が書き手かはわからないけど」


 玄夢は複雑な表情で同人誌のページを捲っていた。ページを捲るごとに疑惑が濃くなったのか、眉間の皺が徐々に深くなって行った。


「知り合いの絵に似てる」

「ネットで付き合いのある人?」

「……俺をいじめてた奴だよ」

「その人も絵師だったのね」

「俺、そいつに影響されて絵を描くようになったんだ」


 玄夢の言葉を聞き、咲良はいじめっ子の気持ちがわかる気がした。


「……その人、貴方に嫉妬したんじゃないの?」

「まさか。だってこんなに上手いんだよ? 昔からずっと俺より上手かった」


 玄夢は自己否定の心が邪魔をして、自分の姿をはっきりと見えてはいないのだろう。咲良やいじめっ子と違って。


「後から始めた人間が自分よりいい絵を描くようになったら面白くないでしょうね」


 自分に影響された人間であれば余計に。

 だけど直接相手にぶつけるのは間違ってる。殴るなら作品でだけにするべきだ。

 空振りばかりになったとしても。



 その晩、咲良は自室で持ち帰った玄夢のスケッチブックの中身をじっくりと見た。

 相変わらず技術は未熟だったし、流行りではない絵柄だ。


 だが、惹きつけられる。


 上手さだったら私の方が上。先月までは確かにそう思っていた。

 玄夢は一ヶ月足らずでどんどんと画力を伸ばしていた。

 今は彼の方が上手いかもしれない。


――本当はずっと前から……。


 咲良はその考えを無視しようとした。

 トレーシングペーパーを敷いて玄夢の絵をなぞった時、もう無視などできなかった。


 気持ちのいい描き味だ。自分の絵を描く時よりもずっと、正解の線を引いている感触が鉛筆を通して伝わる。


 悔しい。

 私だって頑張ってるのに!……なんて言えない。彼の方がたくさん絵を描いている。


 咲良は、〈シロ同盟〉の同人誌の表紙を改めて眺めた。モカが単体で描かれている。

 流行りの絵柄で、目に止まりやすい華やかさのある塗りだった。


 画力はかなり高かったが、目を瞑れば記憶からすぐに消えてしまいそうな、いくらでも代わりの利く秀才の絵だ。


 ユメの絵は誰にも真似できない。


 ランキングでずらりと並ぶサムネイルの中で、咲良はいつだってすぐに彼女かれの絵を見つけられた。


「天才が凡人ふつうになりたいなんて、どうかしてるわ」

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