第8話 少年「普通」になりたかった 1/2

嶋中しまなかさんが俺の部屋に来るなんて……」


 晩ご飯のあと、玄夢はベッドに横わりながら昼のことを思い出した。


 遠巻きに見ているしかなかった美少女が、同じ部屋で一緒にお茶を飲んで、お話しして、同人誌を読んで、イベントにサークル参加するための計画も練った。


「夢みたいだったな」


 作業部屋は、咲良さくらが来ると決まってから気合を入れて掃除しまくった。

 普段から汚くしていることはなかったが、いくら綺麗にしても足りない。



 サイドテーブルに置いている、咲良から借りた〈シロ同盟〉の同人誌が視界に入って現実に引き戻された。


「これを描いたの、堂島どうじま君なのかな」


 玄夢は起き上がると〈シロ同盟〉の同人誌を捲った。


 中学生の頃の堂島の絵柄や塗りとはまったく違う。

 けれど耳の描き方や影のつけ方が酷似していた。


 絵柄や塗り方は変えられても、細かな癖までは変えられない。

 彼の絵は、細部の特徴までしっかりと覚えている。


「……プロみたいだ」


 昔より圧倒的にクオリティが上がっている。同人誌を最後まで読み終わると、満足感から思わず溜息がこぼれた。


「あっ」


 同人誌の奥付にピクフィスのユーザーIDが載っていた。玄夢はPCデスクに移動し、パソコンの電源を入れた。


「俺、何をしているんだろう」


 手が勝手に動いてピクフィスを立ち上げ、IDでユーザーを検索していた。



 ユーザーネーム〈シロ〉のページのサムネイルには、可愛い女の子のイラストがずらりと並んでいる。

 同人誌と同じく流行りの絵柄で、ぱっと目に付く華やかな塗りだ。


「やっぱり上手いな」


 最近のイラストのタイトルにくぎ付けとなった。


【イベント告知 2月20日コミーティお品書き】


 玄夢はどきどきしながらイラストをクリックした。イラストは同人誌の表紙と値段がいくつも並んだ、よくあるお品書きだった。


 キャプションにはこう書いてあった。


〈二月のコミーティ受かりました! 冬コミで全力使い果たした感じですが、また新刊出せるように頑張ります。

 既刊は在庫少ないのでお早めに。全巻買ってくれた人にはノベルティも配布してますよ。当日スペースにおりますので、お気軽に遊びに来てください!〉


 玄夢は憂鬱な気分になり、再びベッドに横たわった。


 コミーティはコミットに比べると小規模だ。〈シロ〉が堂島だった場合、気まずい再会をする可能性は高い。

 今からでも咲良に「二月のコミーティに行くのはやめよう」と提案しようか。


 消極的なことを考えている玄夢の耳に、つぶやきSNSのDMの通知音が響いた。


 玄夢はスマートフォンを鞄から取り出すと、つぶやきSNSを立ち上げた。レムからDMの返信が来ていた。


〈ユメちゃん、わたしのスペースに遊びに来てくれるの? めちゃくちゃ嬉しい!〉


 二月のコミーティにユメが参加し、レムのスペースに行くことを先程レムに伝えていた。


〈配置わかったら言うね~。当日はボッチ参加で寂しくしてるからたくさん構ってね!〉


 コミーティに行くのをやめたらレムをがっかりさせるだろう。咲良一人に行って貰うわけには行かない。


「変装して行けば大丈夫かも!」


 我ながらいいアイディアだ。そうと決まればレムに返信だ。玄夢は彼女からのDMを何度も読み返し、メッセージを作った。


〈レムちゃんに会えるのが今から楽しみだよ!〉


 そう書いてから、咲良とレムが会えば、自分は一生ユメとしてはレムに会えないのだと気づいた。


「本当にこれでいいのかな……」



 レムと知り合ったのはピクフィスだった。

 レムが玄夢の絵を気に入り、感想メッセージをくれたのだ。


〈すごく素敵なイラストたちですね! ひと目でファンになり、さっそくフォローさせていただきました。

 女の子がとにかく可愛いです! 絵柄と塗りはパッと見暗い印象なんですが(そういうのめっちゃ好きですので!)、よく見ると温かみがあって、作者さんの優しい人柄がにじみ出てるなあと思いました。

 何度も言いますけど女の子がすごく可愛くて……可愛さに執着すら感じて(褒めてます)、作者さんは美少女が本当に好きなんだって伝わって来ました!〉



 飛び上がるほど嬉しかった。

 これまで貰ったどの感想より、玄夢自身よりも、玄夢を理解してくれていた。

 女の子の可愛さに対する執着さえ見抜かれた。自分でも気づいていなかったのに。

 執着なんていう醜い感情を肯定的に捉えてくれたのにも感激した。


 玄夢はすぐにレムの作品を見に行った。


 美しくてグロテスクな世界が広がっていた。

 繊細で薄暗いタッチの絵、優しくない設定の漫画。「自分を不幸だと思っている人間」の匂いがした。

 その頃の玄夢は堂島の件で学校に行けなくなっていた。不幸せな時は、同じような人間と付き合いたくなる。


 レムのつぶやきSNSにもアクセスした。


 彼女は男性にひどい目に遭わされたことが原因で引き籠りになり、今はフリースクールに通いながらたまにバイトしているらしい。


 彼女はよく自分のことをブスだと言っていた。

 ブスだから男性から軽く扱われるのだと信じ込んでいた。洗脳でもされているみたいに。

 コンプレックスまみれの彼女となら、きっと互いの傷を舐め合える。薄暗い希望が湧いた。


 玄夢はレムからのメッセージにすぐ返信した。

 彼女の作品に対する詳細な感想を添えて。


 毎日DMのやり取りをする仲になるまでに時間はかからなかった。


 いじめが原因で不登校になっていることも正直に話した。彼女は受け入れてくれた。

 ユメがごく当たり前の社会生活を送っていないことを喜んでいる気配すらした。


〈ユメちゃんってすごく話しやすいの。わたしのことを変な子扱いしないし〉

〈レムちゃんは変な子じゃないよ〉

〈ううん。社会不適合者なのはわかってる。難しいよね、普通になるって。普通のくせにハードルが高すぎるもん〉


 彼女の言葉に泣きそうになった。こんなにわかり合える人間がいたなんて。


〈私も、自分は普通以下なんだって思いながら生きてるよ〉


 誰にも話したことがない本音もレムになら言えた。


〈その気持ちすごいわかるよ!〉


 彼女には絶対に嫌われたくなかった。


 レムとはよくお絵描きチャットもした。ペイント機能が付いたチャットのことだ。

 会話しながら共通のキャンバスにリアルタイムで絵を描くことができる。


 合作できるのも醍醐味だった。

 大勢で楽しむこともあったが、玄夢はレムと二人きりでする時間を特に好んでいた。


〈もっと可愛い子に生まれたかったな〉

 二人きりでお絵描きチャットをしたある深夜、レムはそんなメッセージをタイプした。

〈わかるよ。私も、自分の容姿にコンプレックスがあるから〉

〈えー、ユメちゃんって本当は可愛いんでしょ?〉

〈まさか! ひどいもんだよ。自分の顔も、体も、大っ嫌い〉

〈自分もそうだからめっちゃわかる! でもユメちゃんのなら、顔も体も全部愛せる自信あるよ?〉


 玄夢はチャットの手を止めた。顔が熱くなる。こんなことを言われたのは初めてだ。嬉しいのは、言ってくれたのがレムだから。


〈今の発言、きもかったかな? ひいたよね〉

〈違うの、恥ずかしくて……。ドキドキしちゃってタイピングできなかったの〉


 玄夢は慌ててフォローを入れた。


〈可愛い~! 会ったら襲っちゃうかも〉

〈ううっ……恥ずかしくなることばっかり言わないで(泣)〉

〈嫌?〉

〈……嫌じゃないよ〉


 心臓が煩い。全身の血液が沸騰しそうだ。


〈ねぇ、ユメちゃん。絡み絵の合作しようよ。チーさんがトモちゃんとしたって言ってて、ユメちゃんとやってみたかったんだぁ〉


 レムのメッセージを見て思考回路がフリーズした。


 絡み絵とは文字通り二人以上の人物が体を絡ませている絵のことだ。

 健全なものも含まれるが、レムは大人向けを指しているのだろう。お絵描きチャットでは絵師同士のそういうコミュニケーションが存在するのは知っていたが、玄夢は無縁だった。


〈絡み絵って……あれだよね?〉

〈いまユメちゃんが想像してるのだよ〉


 夜中のテンションだろうか。今日のレムは大胆だ。


〈ユメちゃんってこういうの初めて?〉

〈うん……。でも、レムちゃんとならいいよ〉


 玄夢もレムも美少女を描いた。

 最初は彼女たちが手を繋いでいる絵。その次はキスをしている絵で、その後は体を密着させている絵。

 段々と過激になって行く。

 その絵を描いている間、頭の中がずっとふわふわしていたのを覚えている。


 あの日「私もレムちゃんの顔も体も全部愛せる自信あるよ」と言い返したかったが、自分なんかに言われてもレムは喜ばないだろうと思って言えなかった。

 それに男の自分が女の子に言うのは気持ち悪いことのようで嫌だった。



 玄夢は現実に引き戻された。未送信のレムへの返信文が表示されたスマートフォンを持ったままだった。


「レムちゃんが会いたいのは、現実の俺じゃなくて『ユメ』だ」


 彼女に現実の自分を受け入れて貰いたかった。否定されたら、立ち直ることなんてできない。レムのことは遠巻きに見るだけにしよう。


 玄夢はメッセージを書き直すことなくレムに送った。


「これでいいんだ」


 自分に言い聞かせるように呟いた。落ち込んでいる暇なんてない。二月のコミーティに向けて準備をしなければ。

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