第7話 美少女は「天才」になりたかった 1/2
年明け、
玄関のチャイムを鳴らすと、何かが倒れる音がいくつも響いた後、扉が少しだけ開いた。
「嶋中さん、あ、あけましておめでとう」
玄夢はおずおずと咲良を見つめ、「本当に部屋に入るの?」と聞いた。
「また扉の前で追い返すつもり? 寒いから早く上げなさいよ」
玄夢は遠慮がちに咲良を部屋に促した。
右手にキッチンがある短い廊下を通り過ぎると、居間に辿り着いた。
案外綺麗だ。客が来るので急いで片づけたのかもしれなかったが。
居間の壁際には大きなコの字型デスクが設置されており、その上に巨大なディスプレイ、液晶タブレット、資料と思しき本、デッサン人形が置かれ、真ん中にはスケッチブックが積み上げられていた。
デスクの側面にあるキャビネットには、スキャナー一体型のプリンターが収納されている。
キャビネットの隣には大きな本棚があり、本や漫画、同人誌、スケッチブックなどが縦置きしてあった。
チェアは長く座るのに適したデザインだ。仮眠用か、ベッドも設置されている。
イラストレーターか漫画家の部屋といった風貌だ。
「ここに座って」
ローテーブルの側のクッションを勧められた。パステルブルーの可愛らしいクッションは、ユメのセンスだ。
「手土産持って来たから」
咲良はクッションに座ると、コンビニのレジ袋からチョコレートとクッキーを取り出してローテーブルの上に並べた。
「前のイベントで買った同人誌も持って来たわ。参考になると思って」
「ありがとう。お茶、淹れるね」
玄夢はキッチンに移動した。1Kのマンションなので、キッチンはシンクとひと口コンロがあるだけのこぢんまりした作りだ。
「スケブ用の絵は描いてくれた?」
「うん。パソコンデスクの上に置いてるよ」
ぎょっとした。スケッチブックは五冊もある。手に取って見てみれば、どのページにもイラストがみっちりと描き込まれていた。
「これ、全部描いたの?」
「冬休み中だし、時間あったから。……それにイベントに出られるのが嬉しくて」
彼はピクフィスにも毎日絵をアップしていた。毎日毎日、一体どれだけの量を描いているというのか。
咲良は冬コミから今までのことを思い出した。
絵も描いていたが、祖父母の家にも行ったし、
彼に比べてまったく作業できていない自分に嫌気が差す。
「……貴方って、努力家なのね」
「えっ、俺、努力なんかしてないよ」
「こんなにたくさん絵を描いてるじゃない」
「好きなことだから……。努力家っていうのは、苦手なことを頑張れる嶋中さんみたいな人だよ!」
彼はフォローを入れたつもりなのだろう。咲良には逆効果だった。
「冬コミに参加して、自分が普通以下なんだってまた思い知らされた。このままじゃサークル参加なんて無理だ。人が多いところに慣れる努力する。冬休みが終わったら、教室で授業を受けるよ。みんなと同じように」
電子ケトルが沸騰する音が響いた。咲良は玄夢の方へ冷めた眼差しを向けた。
「貴方は普通じゃないんだから、みんなと同じになろうなんてやめることね」
「で、でも……俺は!」
「勘違いしないで。貴方のことを普通以下だと思ってないから。他の人に真似できないことができる人は、そこを伸ばすべきよ」
「他の人に真似できないことって?」
癪に障るセリフだ。
「自分で気づくことが大切なんじゃない?」
苛立ちを隠して言ったつもりだったが、声色が妙に意地悪になった。
マグカップを二つ持って玄夢は居間に戻って来た。
咲良はマグカップを受け取ると、両手で包み込んだ。外気でかじかんだ指先に血が通う。
「貴方のしようとしている努力を否定するつもりもないわ。無理する必要はないんじゃないって、思っただけよ」
「嶋中さんって優しいね」
「……そうでもない」
ばつが悪くなった。
優しければ「他の人に真似できないこと」の中身を教えてやっただろう。
「苦も無くこれほどの量をこれほどのスピードで描ける絵師なんてそういないわ。貴方には才能があるのよ」と。
才能ほど無慈悲ものはない。
持っているどうかは努力しないとわからないが、なければ努力は無駄になる。
このどうしようもないギャンブルに「好きなことだから」という感情だけでベットし続け、気づいた時にはチップをすべて失っていることさえある。
〈持っている人〉あまつさえ、好きなことと才能が一致している者の存在など認めたくない。
「私だって自信ないわよ。サークル参加するには、私たちはイベント慣れしなさすぎてるもの」
咲良はユメを演じる必要もある。もっと練習が必要だ。
「また一般参加してみるとか……」
玄夢はおずおずと提案した。
「賛成よ。次はどのイベントに出る?」
「二月のコミック・ミーティングはどうかな」
コミック・ミーティング――通称、コミーティは、五月にサークル参加する予定の同人誌即売会だ。規模感はコミットの四分の一程度だが、こちらも有名なイベントだった。
「下見にもなるしちょうどいいわね」
「そのイベント、レムちゃんって子も出るんだ。Zちゃんねるで、俺に嘘をつかれていたのがショックだって書き込んでいた子」
咲良はZちゃんねるに書き込みされた、一番真剣な長文を思い出した。
「レムちゃんのスペースには近づかないで欲しいんだ。嶋中さんがレムちゃんに見つかったら、どうして自分のスペースに来なかったのかって、後で思われるかもしれないから」
「気にしすぎじゃない? ちらっと見えた他人のことを五月まで覚えていやしないわよ」
「嶋中さん、いい意味で目立つし、一回見たら忘れないかも」
咲良は納得した。数ヶ月前に買い物したアパレルショップに再び訪れた時、「また来たら連絡先を交換したいと思ってたんだ」と、男性スタッフからROWSIDの書かれたメモを手渡されたことがある。
似たようなことは何度もあった。
「レムちゃんにはよく思われていたいんだ」
夏子ならここで「ラブの予感ありけり?」とでも言いそうだなと咲良は思った。
「いっそ私がユメとしてその子に挨拶するのはどう?」
「余計な負担をかけて悪いよ」
「いずれユメのふりはしなくちゃいけないんだし」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
「貴方のためだけじゃないわよ」
「……俺の持ってるものが欲しいから?」
咲良は口を固く閉ざした。
「いいよ……嶋中さんになら、何だってあげる……」
うっとりと呟かれた無邪気にも聞こえる玄夢の言葉に、咲良の心は静かなさざ波を立てた。
「……貰えないのよ」
人生で一度しかチャレンジできないガチャで当てるしかそれを手に入れる方法はない。
欲しいものが当たらなかった人間は、一生満たされない心を抱えて過ごすしかない。
――なんて、絶対に言いたくない。だから彼の〈結果〉だけ借りる。
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