第6話 少年の「傷」と「冬コミ」 2/2

 スタッフに声をかけられ、玄夢くろむたちはカウンターに案内された。


 目当ての商品は購入できたが具合はよくならない。

 咲良さくらは勉強のためにコミットに誘ってくれたのだ。

 もっとたくさんのスペースを見て、少しでも多くのインプットをしないと。


江東こうとうさん、東展示館に行こうよ。あっちの方がブースが多いんだ」

「ちょっと休んでからの方がよくね?」


 なつこ子は心配そうに言った。


「休んだりしてたらイベントが終わっちゃうよ」


 東展示館に向かうため、玄夢と夏子はエントランスホールを抜けてブリッジを渡った。

 かなり混んでおり、気分がさらに悪くなった。


 前方から歩いて来る人間が、次々と自分の内側に入って来る幻覚に陥った。

 耳鳴りがする。

 吐き気が強まる。

 目から、耳から、頭に入る情報量が多い。呼吸が荒くなる。


 ふらりと立ち眩みがして、誰かとぶつかった。


「すみませ……」


 踏ん張ろうとするも足に力が入らず、また別の人にぶつかりそうになった。

 夏子が腕を掴んで引っ張ってくれた。


「日下部、あっちで休も!」


 玄夢は頷いて答えるのがやっとだった。



 夏子の先導で、玄夢はエントランスプラザの椅子に落ち着いた。


「温まるよ」


 夏子は買ったばかりの紅茶入りのペットボトルを玄夢に差し出した。玄夢は礼を言って受け取る。ひと口飲むとほっとした。


「咲良にROWSしといたから」

「ごめんね、俺のせいで迷惑かけちゃって」


 夏子はブンブンと首を横に振った。


「こういう時は、『助けてくれてありがとう』って言うんよ」

「……助けてくれてありがとう」


 玄夢が言うと、夏子は人好きする笑みを浮かべた。


「……江東さんって、優しいんだね」

「日下部、うちにラブった?」

「え……いや、それは……」


「ごめんな! うち、今はKENJIケンジしか眼中にねぇから!」

「あ、うん……ザンネンダヨ」


 ケンジって誰だろう。



 玄夢は紅茶を飲みながら、前を行く人たちを眺めていた。


 コスプレをした人、紙袋を手に持っている人、みんな楽し気に闊歩している。


 玄夢はペットボトルををぎゅっと両手で握りしめた。

 みんなが普通に楽しめていることができない。

 どうして自分は普通以下の駄目な奴に生まれたんだろう。


 玄夢の隣に腰かけていた夏子のスマートフォンが鳴った。「咲良、こっちに来るってさ~」夏子はスマートフォンをタップしながら言う。



 十分もしない内に咲良はやって来た。息が上がっていた。


「日下部君、具合はどう?」

「江東さんのおかげでかなりマシになったよ。ごめんね、嶋中さん。色んなスペースを見たかったよね」

「謝ることはないわ。人の多いところが苦手だって聞いていたのに。無理やり連れて来てしまったもの」


 咲良は気まずそうに言う。玄夢は静かに首を振った。


「……俺、嶋中さんに誘って貰えて嬉しかった」


 悪いのは全部、みんなと同じ普通ができない自分なのだ。


「コミットへのサークル参加、成功させたいんだ。もっと、勉強したい」


 玄夢はゆっくりと立ち上がった。


「……無理はしないでよ」

「うん」



 三人で東展示館に移動し、島サークルが並ぶエリアまで来た。

 企業ブースのエリアもよかったが、いかにも同人誌即売会に来たという感じがする。


 イベントって、いいなぁ。玄夢は改めて思った。


 日頃はみんな学校や仕事で嫌なこともあるだろう。

 学校や仕事に行けない人たちだっているはずだ。

 けれど今、この瞬間だけは、すべての参加者が眩く光っていた。花火みたいな一瞬の煌めき。


「イベントのために生きている」と豪語するネットの知り合いもいた。

 ずっとこの空気を味わいたいたかったし、今すぐ帰って絵を描きたかった。


 早く自分がサークル参加する番が来ればいいのに。



 島サークルの通路を歩いていたら、夏子があるサークルの前で立ち止まった。


「コンビニスイーツ紹介本だって! 面白そう! こーゆーのも売ってるんだぁ」


 目をキラキラさせながら、夏子は一冊の本を手に取っていた。


 玄夢は隣のサークルから「無配本ありますよ~」と声をかけられ、思わず一冊貰った。


「イベントに出るなら、俺もこういうの出したいな」

「私はスケブがやりたいわ」

「嶋中さんって絵が描けるの?」


 玄夢は新しい咲良の情報に、興味津々で尋ねた。


「咲良は絵ぇめっちゃ上手いよ」


 コンビニスイーツ本を購入した夏子は、玄夢に言った。


「ビッグフェスにも投稿しててぇ~……もがっ!」


 咲良は顔を真っ赤にしながら夏子の口を塞いだ。夏子の台詞の続きが気になる。


「俺、嶋中さんの絵を見たいな」

「大したことないわよ。ちょっと趣味でやってるだけだし」


 夏子は何か言いたげな目で咲良を見ていた。咲良は夏子を睨みつけた。


「人の絵柄を真似するのは少し自信あるし、日下部君がスケブ用の絵を描いてくれれば、トレースして練習するわ」


 憧れの咲良との共同作業に、玄夢は内心テンションが上がった。


「何パターンか描いて嶋中さんに渡すよ!」

「楽しそうでうらやま~。うちも何かしたい」

「なら売り子を手伝ってくれない? ユメの本はたくさん売れるだろうし、列の誘導が大変になるかも」

「おけおけ! うちバイトでお客さん捌くの慣れとるし」


 夏子は自信ありげに言った。玄夢は接客に自信がなかったので、彼女の姿が頼もしく映った。


「手伝ってくれるならお礼するよ。二万円くらいでいいかな?」

「そんなくれんの?! 日下部太っ腹~」

「嶋中さんにも同じだけ払うよ」

「……いらないわよ、お金なんか」

「それじゃ嶋中さんにメリットがないよ」

「メリットなら、十分あるわ」


 咲良はさっさと次のサークルに行ってしまった。


スケブをすると言い出したり、咲良はイベント参加に前向きだ。

 何が彼女を突き動かしているのか。


 以前話していた一番欲しい物と関係があるのだろうか。咲良の睨みつける様な眼光を思い出すと何も聞けなかった。



 ひとしきり買い物を済ませ、三人は東京ラージサイトを後にした。


「あー! 楽しかったぁ! また来たい!」


 夏子の言葉に咲良は「来年また来るじゃない」と、素っ気なく返した。

 玄夢は振り返り、東京ラージサイトを見やった。


「俺たち、来年はあそこでサークル参加するんだね」

「受かっていればね」


 咲良はサークル参加申込書セットが入った鞄に視線をやった。


「俺、今からワクワクしてるんだ」

「……私もよ」


 隣で咲良が呟いた。咲良の思惑はわからないが、来年も隣にいてくれる事実を喜ぶことにした。

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