第5話 美少女の「傷」と「冬コミ」 2/2
十二月二十九日。
今日はコミック・デパート――通称コミット――開催の日だ。
コミットは毎年夏と冬に東京ラージサイトで開催され、夏コミ、冬コミと呼ばれている。
サークル参加数は三万五千程度。
開催期間の三日間で、来場者数は五十万人を超す。
咲良たちの乗っている電車が、東京ラージサイトの最寄り駅に到着した。
冷静な方だと自負している咲良も、コミットへの参加を目前にして浮足立っていた。
同じく浮足立っている乗客たちは、電車の扉が開くや否や、ダムの放流みたいにホームに溢れ出した。
「本日、ホームが大変込み合っております。押し合わないようにご協力ください」
駅員の声が飛ぶ。
咲良は人込みの川を泳いで上りエスカレーターに乗った。
昼過ぎのせいか、隣の下りエスカレーターに乗っている人間もかなり多い。
朝早くから冬コミに参加したのだろう。
眠そうな顔で大きな紙袋を携えている。
咲良たちは初参加だったので、〈戦場〉と噂の朝を避け、昼過ぎからの参加にした。
「アニメのポスターめっちゃあるじゃん! すげー!」
エスカレーターに乗りながら、夏子は壁に目をやってはしゃいだ声を上げた。
「なーなー、咲良! うちワクワクして来た!」
「……夏子、静かにして。あんた、ただでさえここじゃ浮いてるんだから」
咲良は小声で夏子を窘めた。
「えー? うち浮いてんの? くらげキャラ?」
真っピンクのファーコートにミニスカートにギャルメイクという出で立ちの夏子は、それだけでかなり目立つ。
さらに声が大きい。
さっきから、周りの人たちにチラチラと見られている。咲良は恥ずかしくなり俯いた。
「あんたテンション高すぎんのよ」
「せっかくのフェスだしテンアゲがマスト的な?」
「フェスじゃないわよ」
「コミットってオタクの祭りでしょ? フェスじゃん! ビッグフェス!」
エスカレーターから降りた玄夢は、コンコースを行き交う人たちの姿に、眩し気に目を細めた。
「……すごい人込みだね。お祭りに来たって感じ」
「私たちは遊びに来たんじゃないのよ」
夏コミに参加するための勉強会。咲良は冬コミ参加をそう位置づけていた。
「とかってー、内心テンアゲしてるのバレバレだし!」
「……別に、そんなことないし」
夏子はにやにやしながら咲良を見ている。
「日下部君、うるさいの連れて来てごめんなさいね」
「ううん。こ、江東さん、イベントに興味あったの?」
「うちは楽しそうなことは何でも好き!」
玄夢は夏子とコミュニケーションを取ろうとしているが、顔が引きつっているのが咲良にもよくわかった。
玄夢のような内気なタイプは、外交的でずけずけと物をいう人間が苦手だろう。
咲良は玄夢と二人っきりで遠出できるほど打ち解けてない。
だから夏子に冬コミに参加することを話したのだ。
面白いことが好きな夏子が冬コミに(咲良と玄夢が一緒に出掛けることにも)興味を持つのはわかっていた。
「日下部、顔色悪ない?」
夏子は神妙な表情で玄夢の顔を覗き込んだ。
「えっ……う、うん、平気……だよ」
「腹減ってるなら『ソイッ! エンジョイ☆』あるし」
「お腹は空いてない」
「『日本満足バー』もあるし」
「だ、大丈夫だから……」
「じゃあうちが食うわ。……んまっ!」
「遊びに来たんじゃないって言ってるでしょ! 早く行くわよ。『サークル参加申込書セット』も手に入れないといけないんだから」
「『サークル参加申込書セット』って?」
夏子は尋ねる。
「コミットに参加するための申し込み用紙よ」
「うち持ってないけど。ここまで来て参加できない系?」
「今日は一般参加だから大丈夫だよ。申し込みが必要なのはサークル参加者だけだ」
遠慮がちに玄夢が答えた。
「一般とかサークルとかようわからん!」
「サークル参加っていうのは、スペースで出展して本やグッズを頒布することよ。で、サークル参加者が頒布した作品を楽しむのが一般参加者。まぁ、行けばわかるわ」
咲良はコンコースを歩いて改札を通り抜けた。
人の群れは同じ方向を目指して歩いている。
年末の外気は冷たいはずなのに、彼らを見ていると暑さすら感じそうだ。
咲良は前方に視線をやった。ピラミッドを逆さにしてビルに突き刺したような特徴的な建物が見える。
東京ラージサイトだ。
三人は東京ラージサイト、西展示棟に辿り着いた。
咲良は迷いのない足どりでアトリウムまで歩いて行くと、準備会販売ブースでサークル参加申込書セットを購入した。
「さ、あとは自由行動にしましょうか」
「つってもうちは行きたい場所無いし、一人じゃつまらんし」
「……俺は、行ってみたいところあるかも」
玄夢は事前に購入していたコミットのカタログを大切そうに抱きしめている。カタログには何度も開いた形跡があった。
「うちも一緒に行く!」
「え……でも、江東さんは嶋中さんといた方が楽しいんじゃ……」
「日下部とあんま絡んだことないし、せっかくだから仲良くしよ♪」
「う……うん」
玄夢は夏子の勢いに押されていた。
「咲良も一緒に行く?」
「私も目当てのサークルがいくつかあるのよ。二手に分かれて、一時間後にここで落ち合いましょうか」
「おっけおっけ。よーし! じゃあテンアゲで楽しもうな! 日下部~」
夏子は、玄夢の肩をバシバシ叩いた。玄夢は顔を引きつらせていた。
「……お手柔らかにお願いします」
二人と分かれた咲良は、東展示館にやって来た。
人がひしめき合っている。繁華街の人込みとは違い、会場全体がひとつの生物のような一体感を覚えた。
情熱。熱中。熱狂。ここには熱がある。
体が内側から火照る。まさにお祭り、ビッグフェスだ。
咲良は駆け出しそうな気持ちを落ち着け、目当ての壁サークルに向かった。
壁サークルは文字通り会場の壁際にスペースを設けているサークルのことで、人気のサークルだ。
咲良は人気サークルの本を調達したかった。
咲良は壁サークルのひとつで同人誌を購入した。人気のサークルが出しているものだけあってかなり絵が上手い。
ピクフィスのランキング上位に並んでいるのと同じレベルだ。絵柄も塗りも流行を取り入れている。
表紙は人気ジャンルの人気キャラだった。
咲良は、ピクフィスで人気絵師になるためにしている努力の方向性は間違っていないと確信した。
同じ調子で壁サークルの本をいくつか購入した。
待ち合わせまで時間はまだある。咲良は最後に、一番列の伸びているサークル〈シロ同盟〉の本を買うことにした。
このサークルは現在マジカル☆みるくで活動しているが、既刊は見事にジャンルがバラバラで、かつて同人界で一番流行したジャンルばかり扱っていた。
自分と似たような活動履歴に咲良は妙な親近感を覚えた。
画力は咲良より圧倒的に高かった。
他の壁サークルの中には、派手な塗りで誤魔化している絵もあった。〈シロ同盟〉の絵は、プロと言われても信じるほど安定感のある上手さだ。
列に並び始めて二十分後、咲良が購入する番になった。
「どれ買います?」
売り子の男性は咲良に尋ねた。
「あ……と、新刊ください」
「千円です」
お金を渡す時、咲良は初めて売り子の顔を見た。
同い年くらいの男の子だった。
目鼻立ちが整っていて、夏子が好きなイケメンアイドルに似ている。
彼が書き手だろうか。
自分と変わらない年齢であれだけ描けるなんて。
驚いたものの、不思議と彼には嫉妬しなかった。
圧倒的に自分より上手いからでもあるが、ユメの絵とは明らかに違う。
咲良は同人誌を受け取ると、島サークル巡りを開始した。島サークルが並ぶ通路にも一部には列ができていた。
逆に閑古鳥が鳴いており、売り子がスマートフォンをいじっているサークルもある。生々しいほどに人気格差が出ていた。
スケッチブックに絵を描いている売り手が何人かいた。
スペースに遊びに来てくれたファンのためにライブで絵を描くサービス――通称、スケブ――だ。
スケブをしている人たちは生き生きしていて、いかにも楽しそうだった。
私もやってみたい。
せっかくイベントにサークル参加をするのに、人の創作物を売るだけでは物足りない。
自分が描いた絵を(例えユメの真似をした絵だとしても)目の前の人が喜んでくれたら嬉しい。
サークル参加するまで時間はたっぷりある。
今からユメの絵を練習すれば間に合うはずだ。
本番の日のことを考えると胸が疼いた。
申し込みに受かっていれば、来年の夏にはあの長テーブルの内側にいるのだ。
あそこからはどんな景色が見えるのだろう。
咲良は時間を確かめようと、スマートフォンを鞄から取り出した。
ROWSの通知があった。夏子からメッセージが来ていた。
〈日下部が人込みに酔って具合悪くなったみたい。うちらちょっと休憩してるね!〉
咲良は玄夢の顔色の悪さを夏子が指摘していたことを思い出した。
玄夢に冬コミに参加することを伝えた時に、人が多いところが苦手だと言っていたこともだ。
それくらい大したことないから我慢しろみたいに返した覚えがある。
〈二人は今どこにいるの〉
〈外に出て休んでる! コスプレ? の人がめっちゃいるとこ。咲良はゆっくり見て来なよ〉
責任感を覚えた咲良は〈すぐにそっちに行くわ〉と、メッセージを入れると、コスプレエリアに向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます