第3話 彼女の「打算」と「提案」 2/2

 玄夢くろむの母親に教えて貰った場所は、まだ新しいマンションの三階にある部屋だった。

 インターフォンを押すと、か細い声で「母さん?」と返って来た。


「ご飯ならそこに置いといて」

「……私よ、嶋中咲良しまなか さくら


 インターフォン越しに素っ頓狂な声が上がったかと思うと、何かが倒れる音がいくつも響いた。


「し、し、し、嶋中さん?!」

「貴方が忘れたスケッチブックを持って来たの」


 今度はインターフォン越しに悲鳴が上がった。


「ご、ごごごごごめんなさい! 勝手に寝顔を描いたりして、キモイよね? 待って、今死ぬから!」

「何言ってるのよ! 自殺なんてやめさないよ!」

「あの時は使命感に突き動かされてたんだ。可愛いものを永久保存しなくちゃならない使命が俺にはあるから!」


 何を言っているのか理解できないが、咲良の姿が見えないせいだろうか、保健室で会った時よりも饒舌だった。


「許すから、早く出て来なさいよ」

「ひどい姿だし、とても見せられないよ」

「身だしなみを整えるまで待ってあげるから」

「スケッチブックはそこに置いといてくれればいいよ!」

「駄目よ。貴方と直接会って話したいの」


 有無を言わせない力強さで、気づけば咲良はそう言っていた。

 ある感情に支配されていた。

 夏子が言うような〈ラブ〉なんていいものではない。

 もっと薄汚くて、もっとどうしようもない感情だ。


「出て来なさい、玄創げんそうユメ!」


 夏子なつこには隠しごとができない。

 私は、彼――あるいは彼女に〈執着〉している。


「……嶋中さん、やっぱりユメを知ってたんだね」

「やっぱり、ですって?」

「嶋中さんが保健室に来た日、スマートフォンを拾ったんだ。画面が見えちゃって……」


 咲良は、保健室でユメの絵を画面に表示させながら寝落ちしたことを思い出した。


「嬉しかったんだ。憧れの嶋中さんが俺なんかの絵を見ていたなんて。最後にあんないいことがあってよかった」


 最後という言葉に咲良は狼狽した。


「本気で自殺するつもりじゃないでしょうね?」

「……殺すのは、玄創ユメだ」

「えっ?」

「ピクフィスも、つぶやきSNSも、ユメのアカウントを全部消す」

「何でよ……」

「知り合いにアカウントがバレた。そいつに俺の正体をばらされたんだ。もうネットで活動できないよ……」


 泣きそうな声がドア越しに聞こえた。


「知り合いって、誰なのよ」

「昔、俺をいじめてた奴だよ」


 リアルの知り合い、ましてや自分に悪意を抱いている人間にアカウントがバレるのはかなりきつい。

 さらにネットで正体をばらされたのだからひどいダメージだろう。


「どうしてアカウントがバレたってわかったのよ」

「嶋中さんはZちゃんねるって知ってる?」

「確か匿名で書き込みができる掲示板よね?」

「うん。玄創ユメのファンスレッドもあるんだけど……。そこに書き込みがあった」


 咲良は素早くスマートフォンで検索した。ろくに検索除けをしていないのか、すぐに玄夢の言ったスレッドは見つかった。


「その書き込みって、いつ?」

「一週間前だよ」


 咲良は一週間前の書き込みまでスレッドをスクロールした。

 素早く視線を動かし、書き込みを読んだ。

 ユメのリアル人物像についてファン同士で議論していた。咲良の視線は、ある書き込みの部分でぴたりと止まった。


〈こいつ男だぜ。中学の時にいたキモいクラスメートの絵に似てるんだよ〉


 画像がアップロードされた形跡もあった。

 後ろめたいことでもあるのか、画像はすぐに削除されていた。


 その後スレッドでは、アップロードされたイラストが本当にユメのものか検証する話題に移行していた。


〈なんか下手じゃね?〉

〈俺はユメ最古参だが、中学の頃の絵と完全に一致〉

〈てかなんでユメの昔の絵持ってんの? 元カレ?〉

〈こいつユメは男だって言ってんじゃん〉

〈┌(┌^o^)┐ホモォ〉


 玄夢が不安気に「嶋中さん、スレッド読んでるの?」と聞いて来た。

 書き込みを読むのに夢中になるあまり、無言になっていたようだ。


「ええ。状況を把握しておきたいし」

「気持ち悪い書き込みもあるし、読まない方がいいよ」

「これくらい平気よ」


 咲良はさらにスレッドを読み進めた。


〈美少女好きの女子高生ってのがよかったのに〉

〈じょしこうせいじゃないならファンやめます〉

〈絵はともかくSNSは一気にきもくなるな〉

〈ユメちゃんが男とかマジでショックなんだけど……マジで初恋だったんだけど〉

〈ガチ恋勢乙〉

〈どうせおっさんだと思ってたから別に今さら〉

〈俺が好きなのはユメの絵だし〉


 様々なコメントが並ぶ中で、ひと際目立つものがあった。


〈ずっとROM専でしたが初めて書き込みします。変な文章だったらすみません。


 ユメちゃんとはつぶやきSNSでずっとDMのやり取りをしていました。正直、かなりショックを受けています。


 ユメちゃんは同い年なのもあって、話しやすくて友達だと思っていました。ずっと嘘をつかれていたんですね。何でも話せる関係だと思っていたのに。


 心がグチャグチャで、どこかに吐き出したくて書き込みしました。乱文すみません〉



 そのコメントはスレッドの中で一番真剣だった。


〈長い 三行でおk〉

〈あー そのなんだ 子どもはこんなとこ来るな〉

〈宿題して寝ろ〉


 真剣故にこんな場所では浮いてしまい、他のユーザーから叩かれていた。


〈空気読めなくてすみません。でもわたしと同じように思った子、他にもいると思います。しつこく書き込んですみません。ROMに戻ります〉



 咲良はそこで、スレッドを読むのをやめた。


「スレッドに長文で書き込んでる子、たぶんネットの友達なんだ。毎日DMのやり取りしてたのに、その日以来返信が来なくなっちゃった」


 消えそうな声で玄夢は訴えた。


「俺の絵を晒した奴、つぶやきSNSの方でも、捨てアカで似たようなことをコメントに書き込んでた……怖くてログインしてないから、みんなの反応は見てないけど」


 咲良はピクフィスもつぶやきSNSもユメが更新しているかしかチェックしておらず、こんなことになっているとは知らなかった。


「あいつのせいで、せっかくできた友達も、居場所も無くなってしまう」

「もっと戦いなさいよ。やられっぱなしで悔しくないの?」

「……悔しいよ。だけど、俺にはどうすることもできないし」


 イライラする男だ。努力もせずに諦めるなんて信じられない。


「簡単に諦めちゃ駄目よ。諦めたら本当はできたことだってできないで終わるじゃない」

 咲良は再びファンスレッドを読みながら、どうにかする方法を考えた。


 ひとつの書き込みが目に止まった。


〈本人見たことないしな 一回くらいイベントに出て欲しいが〉


 玄創ユメを知る人間の内、リアルな姿を見ているのは咲良といじめっ子だけだ。


 もしも別人――設定通りの女子高生がオフラインでユメを名乗れば、みんなそちらを信じるだろう。

 いじめっ子とて、ユメが玄夢だったのは自分の勘違いだと思うかもしれない。


 問題はユメになってくれる女子高生がいるかどうかだ。


 ここにいるじゃない。玄創ユメになりたがっている女子高生が!


「日下部君。イベントに……同人誌即売会に出ましょう。私が玄創ユメになってあげる」

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