第3話 彼女の「打算」と「提案」 1/2

「何これキモい」


 咲良さくらは保健室のベッドに腰かけながら、玄夢くろむが置いて行ったスケッチブックの中身を見て呟いた。


「全部日下部くさかべ君が書いたの?」


 十数ページにわたり自分の寝顔が書かれている。

 ぞっとする光景だ。


 ぞっとすると同時に、絵の上手さに感心した。

 実際の咲良以上に可愛く描かれていたが、本人だと判別できたし、魅力も再現されていた。

 特に最後に描かれた絵は、咲良を二百パーセントの解像度で出力すればこのような女の子になるだろうと納得させられるデキだった。


 唯一無二の魅力がある。たくさんの絵の中にこの作品があっても、すぐに見つけることができるだろう。


「それにしてもこの絵……」


 ユメの絵に似ている。

 そう思いながらスケッチブックを捲っていると、今朝ユメが投稿したのと同じ絵が描かれたページに辿り着いた。


「まさか……日下部君がユメ……?」


 勢いよく保健室のドアが開いた。

 日下部が戻って来たのでは? 咲良は振り返った。


「やほ~咲良、元気?」


 夏子だった。


「何それ」


 夏子はスケッチブックに視線をやった。


「へぇ、上手いじゃん」


 ひょいと夏子はスケッチブックを咲良から奪い取ってパラパラとページを捲り出す。


「これ咲良? めっちゃ似てる! 誰が描いたん?」

「たぶん日下部君」

「あの噂、本当だったん!」

「噂って?」

「日下部が漫画描いてめっちゃ稼いでいるって噂」

「何でそんなこと知ってるのよ」

「うち友達多いじゃん?」


 夏子はケラケラと笑った。回答になっていない。


「日下部に絵ぇ教えて貰ったら、ビッグフェスで評価されんじゃね?」

「『ピクフィス』よ」

「そうとも言う!」

「そうとしか言わないわよ」

「で、これどうするん?」


 夏子はスケッチブックをトントンと指で叩いた。


「本人に返すに決まってるでしょ」


 咲良はスケッチブックを夏子から取り返し、言った。



 その晩、咲良は自室で改めて日下部のスケッチブックを開いた。

 十数個も自分の寝顔が並んでいる光景は改めて見ても背筋が凍ったが、同じモチーフを――おそらく自身が納得するまで――繰り返し描く執念には、同じ絵師として感心した。


 咲良の寝顔だけではない。今朝ピクフィスに投稿された、さらっと描いたように思えたラフ絵も、その絵に至るまでにいくつもの習作が描かれていた。

 自分だけが努力している気になっていた咲良は恥ずかしくなった。


「……私も新作描こ」


 次のモチーフを探すため、咲良はピクフィスのランキングにアクセスした。

 無意識にユメの絵を探し、今朝投稿された絵しか載っていないことに気がついた。

 ユメは朝に絵を投稿した日はたいがい夜にも更新した。そして毎回ランキングに載る。

 たまたまランク外になっただけだろうか? ユメのユーザーページにアクセスすると、更新がなかった。


 つぶやきSNSにもアクセスしてみた。こちらも昼以降更新はない。

 大作に取り掛かっているのかもしれない。


 負けるわけにはいかないわ!


  咲良はモチーフを決めると、ノートに構図のアイディアを描き始めた。


 一週間経っても、ユメの更新は途絶えたままだった。

 スケッチブックを返却しようと毎日保健室に通ったが、玄夢に会うこともなかった。


 さすがに心配になり、忘れ物を届けたいからと玄夢の住所を教師に尋ねてみたが、「個人情報を教えるわけにはいかないんだ」と、取り付くしまもなかった。


 夏子なら知っているかも。咲良はさっそく彼女に聞いてみた。


「日下部の住所が知りたい? ストーカーでもするん? やば!」

「スケッチブックを返したいだけよ」

「せんせーたちに任せばいいじゃん」

「私の寝顔が描かれてるのよ? しかもたくさん! 誰にも見られたくないわ!」

「とかって、あん時ひと目ぼれしたんじゃね? ラブの予感ありけり?」


 夏子は両手でハートマークを作って顔に寄せると、ウィンクをして見せた。


「ひとの寝顔をスケッチするような男性、好きになるわけないでしょ」

「咲良、どMだし?」


 はぁ、と、わざとらしいほど大きなため息を、咲良は夏子に見せつけた。


「他人に執着するの、めずらしーじゃん」

「……執着なんか、してない」

「うちに隠しごととか無理だしぃ。咲良のラブが上手く行くよう、日下部の住所は教えちゃる!」

「やっぱり知ってたのね」

「うち友達多いじゃん?」


 夏子はケラケラと笑った。咲良は夏子が恐ろしい子であることに今さらながら気づいた。


「……夏子と友達でよかったわ」

「突然のデレ? きもー!」


 夏子から聞いた場所に行くと〈日下部〉という表札のある立派な戸建てがあった。

 チャイムを鳴らすと、玄関から中年女性が小走りに出て来た。


 咲良の姿を見た途端、中年女性は少し落胆した表情を見せた。


「あ、あの。日下部君のお母様ですか?」

「そうです。貴方は玄夢のお友達?」


 咲良は言葉に迷ったが、無難に「はい」と、答えた。


「こんなに可愛らしいお友達がいたなんて、あの子もすみに置けないわね」

「日下部君の忘れ物を届けに来ました」

「ごめんね、玄夢はしばらく家に帰ってないの」

「え? じゃあ、今どこに……」

「あの子には別宅があるのよ。ショックなことがあったみたいで、別宅から出なくなって……。食事は毎日届けているんだけど、心配だわ」


 玄夢の母親は顔色が悪く、目の下に隈を作っていた。


「よかったらあの子に忘れ物を届けてあげてくれない? お友達の声を聞けば、外に出てくれるかもしれないし」


 咲良は迷ったが、スケッチブックの中身を母親に見られるのも嫌だったので、直接届けることにした。

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