第20話 少年と「夏コミ」
少し前までは
彼女でいる時だけは安心して誰かと話せた。
今は、
あまつさえ嶋中さんも〈ユメ〉に閉じ込めた。彼女の切なげな表情を思い出すと胸が痛む。
玄夢は近くの長机に貼ってあるスペースナンバーが目に止まり、ハッとした。無意識の内にレムのスペースの傍に来ていた。
彼女のことは遠巻きに見るだけにしようと決意したはずだったのに。
彼女に認識され、話し、欲深くなってしまった。また会いたい。話がしたい。
十四時近いため、この辺りのサークルは大半が帰っていた。
レムはまだいるだろうか。
玄夢は小走りで彼女のスペースに向かった。
いた!
両隣のスペースはいなくなっていたが、彼女は帰り支度をしているところだった。慌ててレムに声をかけた。
「貴方は、この前の……」
彼女は玄夢を見て、そう言った。
「お、覚えてくれていたんですか」
「そりゃ……まぁ……」
レムは視線を逃げるように泳がせ、目を伏せた。まつ毛が長い。この前は一瞬過ぎて気づかなかった。
「あの……何か」
「本を買いたくて」
「……中身、見てからにした方が。好き嫌い別れる作風なんで。特に男の人は……」
「だ、大丈夫です。
レムは意外そうな顔で目を見開いた。たださえ大きな目がこぼれ落ちそうになる。
「まさかあの時の女性が、ずっと追ってた作家さんだったなんて……世間って狭いですね!」
玄夢は緊張でいっぱいになりながら、しらじらしい自分の声を他人の声みたいに聞いていた。
「……どうですか、わたしの作品」
「すごく素敵です! 世界観が独自で、俺には絶対に思いつかない。絵も綺麗ですし」
「陰鬱で、暗いでしょう」
「そこがいいっていうか。作者さんは繊細で感受性が強いひとなんだって思いました。傷つきやすくて、傷を癒すために作品を描いているひとなのかなって」
レムはぴくりと反応した。
「作者さんにとても共感できるんです。つらい時とか、悲しい時に見ると安心します」
「……わたしのこと、よく理解してくれてるんですね」
先ほどより柔らかな声色でレムは言った。
「そんなこと言ってくれたのは、貴方で二人目です」
玄夢はユメとして、今と同じ感想をレムに送ったのを思い出した。
「もう一人はわたしの友達です。……向こうはどう思ってるかわかりませんが」
「絶対に、友達だって思ってますよ! だって貴方の作品を理解しているんでしょう?」
「……そうですね。なのにわたし、彼女を信じられなくなって……一緒にした会話も、過ごした日々も、全部嘘だったのかなって」
泣きそうな声で彼女は言った。
「ほとんど初対面なのにこんな話しちゃってごめんなさい。貴方が話しやすくて、つい……」
「嘘じゃない!」
「どうして貴方に言いきれるんですか」
「え、い、いや……それは、その」
自分がユメだと名乗ったら彼女はどう思う?
拒絶されるかもしれない。嫌だ。耐えられない。
だけどレムに嘘をつき続ける方が、
「……俺が、玄創ユメだからです」
「何を言って……」
「ネットで噂になってたことは本当なんだ。……騙してごめん」
重苦しい沈黙が訪れた。
「……嘘よ」
「証拠を見せるから、少しだけ待ってて」
玄夢は背負っているリュックサックからスケッチブックを取り出した。
筆箱から鉛筆も出し、スケッチブックに走らせる。
一連の動作をレムは見守っていた。その彼女を、玄夢は描いた。
ひとつひとつの線を丁寧に描き込む。
この紙面に彼女の魅力を二百パーセントで出力する。
いつか彼女は、玄夢の描く女の子の 可愛さに執着すら感じると言ってくれた。
その執着を惜しげもなく発揮してやる。
自分が可愛くも美しくもない姿で生まれて来た理由が、今わかった。
ひとは持っていないものに憧れ、執着する。
可愛く美しいものを執拗に表現するために、持たされなかったんだ。
絵が完成した。
これまで描いた中で一番可愛い女の子がそこにいた。
実力以上の力を発揮できた。モデルが最高だったから。
完成した絵のページを丁寧に破り、レムに渡した。
レムはその絵を見て、さっきより瞳を大きく見開いた。
「……こんなの描かれたら、信じるしかないじゃない」
彼女は絵を手に持ったまま固まっている。
「あの女の子は誰?」
「彼女は協力者だ」
「そこまでして、どうして嘘をついたの」
「理想の自分でいたかったから。でも君に嫌われるのが怖かったっていうのが一番の理由。君と話すのはいつも楽しかった。ずっとこんな風に過ごせたらって思ってた。理想の自分を通してしか君と会話できなかったけど、一緒に過ごした日々は嘘じゃない」
レムはまた黙りこくった。玄夢は拒絶と読み取った。
「もう関わらないから。……最後にひとつだけ」
玄夢はレムに渡した絵に視線をやる。
「君はよく自分のことをブスだと言ってたけど、俺にはその絵みたいに見える。これだけは信じて」
彼女は渡した絵を見つめたまま何も言わなかった。
「これまでありがとう。……それじゃあ」
玄夢は踵を返した。二度と彼女に会えないのだと思うと、胸が張り裂けそうに苦しくて、同時に胸が空っぽになったようで、初めて味わう苦い感情を覚えた。
「自分の気持ちだけ押しつけて、もう関わらないなんて、勝手」
背中にレムの声が刺さり、玄夢は振り返った。
「……わたしにも、整理して気持ちを伝える時間くらい……くれても」
レムは俯いたまま、形のいい唇から溢した。
「……いつまでも、待ってる」
ユメのスペースに戻ると。お客は途切れていた。
「おかー」
夏子が明るく迎えてくれた。咲良は――そう見せないようにしていたが――かなり疲れていそうだ。
咲良は玄夢を見て小首を傾げた。
「何かあったの? 吹っ切れた顔をしているけど」
「生まれて初めて、告白して来た」
玄夢の言葉に反応したのは夏子だった。
「マジ? で、どうだったん?」
「相手の返事を待っているところだよ」
「何それめっちゃおもろ! あとで詳しく聞かせて貰うかんな! 咲良も休憩中に面白いことして来て~」
「……逆に疲れさせようとしないでよ」
咲良はぶつくさ言いながら、バッグを持って向こうに行った。
「江東さん、相談してた嶋中さんのあれ、ちゃんと予約しておいたから」
咲良がいなくなったのを確認してから玄夢が告げると、夏子はにんまりした。
「嶋中さん、喜んでくれるかな?」
「もち! けどさー、あんたその告白した子と咲良とどっちが好きなわけー?」
「だ、だから! 嶋中さんはそういうんじゃないよ。嶋中さんは、一緒に戦った同志みたいな、そんな感じ」
「『いつかあんな風になりたい憧れの女の子』じゃなかったん?」
夏子に言われ、玄夢は咲良へ抱く気持ちが変化していてことに気がついた。
「嶋中さんに憧れる気持ちもあるよ。だけど今は、自分らしさももう少し大事にしてやりたいなって、思うんだ」
「成長期って奴? いいねぇ、青春じゃん!」
「江東さんも同い年じゃないか」
「うちも青春するわ! 次はどーじんし作ってビッグフェスデビューしよっかな」
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