第19話 美少女と「夏コミ」

 八月十一日。


 ついに夏コミがやって来た。


「三ヶ月ぶりのビッグフェス!」


 夏子なつこは相変わらずテンションが高い。


 初めて設営から関われる玄夢くろむも、いつもよりテンションが上がっている。


 今回も壁スペースに配置された。

 二回目なので効率よく設営作業が進む。


 咲良さくらは長机の端に自分の本の見本誌を置いた。


「それが咲良の同人誌?」


 夏子は興味津々だ。

 咲良は気恥ずかしくて誰にも自分の本を見せていない。


「見せて見せて―」

「設営を優先して!」

「余ったら買っていい?」

「……確実に余るわよ」


 同人誌は三十部刷った。これでもかなり多い。


「完成品を読むのが楽しみだ」


 玄夢は咲良の同人誌に視線を落とした。


「日下部君、色々と教えてくれてありがとう。おかげで形になったわ」

「本になると感動が違うよね」

「そうね。……もっと早く同人誌を作っておけばよかった」


 設営作業を続けながら、玄夢は時おりきょろきょろと辺りを見回していた。


「気になることでもあるの?」


 咲良が問いかけると、玄夢は「レムちゃん、来ないなと思って」と、気まずそうに呟いた。


 今日はレムもサークル参加をしている。そろそろ挨拶に来ても不思議ではない。


「設営作業が終わってないのかも」

「確かに。気が早すぎるよね」


 玄夢はそう言いなら再び辺りを見回した。彼女は来ないかもしれないと、咲良は思った。



 Zちゃんねるで「イベントのユメ偽物疑惑」の話になった時、参考資料として咲良の描いたスケブ絵がアップロードされていた。

 レムのために描いたものだった。

 咲良はそれを玄夢には伝えていない。


 レムが挨拶に来ないまま一般参加の入場時刻になった。

 すぐにお客が押し寄せて来た。


 一番乗りは前回同様、ロリータ服を着た小柄な女の子だ。


「ひゃあああああ! 相変わらずめっちゃ可愛い!」


 また一番乗りとはよほどユメが好きなのだろう。


「前回の新刊、めちゃくちゃよかったです!! 今回で完結なんですね。読むのが楽しみ過ぎです!!!」

「嬉しいです」

「偽物疑惑があって大変だと思いますけど、私はユメさんが誰でもずっとファンですからね!」


 彼女は新刊を購入して去って行った。


 咲良は横目で隣に座っている玄夢を見た。

 眼鏡の奥で瞳を輝かせている。

 リモート参加でも十分嬉しかっただろうが、生で感想を聞けるのは比較にならない気分に違いない。



 たくさんのファンがコメントを残しながら、玄夢の本を買って行った。

 前のイベントより多くのお客が押し寄せた。


 咲良と玄夢で金銭授受を行い、夏子が列整理に集中できているおかげで、前のように通路にお客が散らばることもなくスムーズに対応できていた。

 カメコトリオのような迷惑なお客も来ない。


 すべて順調だ。――咲良の本が一冊も売れない以外は。


 たまに咲良の本を手に取るひとがいるが、ユメが描いたものではないと知ると、買わずに去って行った。


 来るのはユメのファンばかりだし、別作者の本なんて売れなくて当然よ。

 と、自分に言い聞かせる。


 完成した時は確かに一冊も売れなくてもいいと思った。

 けれど誰もが素通りする現実を突きつけられるのは寂しかった。


 大した作品じゃなかったのかも。

 みんなの言う通り、下手で魅力がないのかも。


 自分なりに全力を出したでしょう?

 やりたいことはやった。少なくとも自分は気に入っている。

 それが他人からの評価に繋がるとは限らない。


 頭の中で同じ思考が延々と繰り返される。



 効率的に頒布できたおかげで、昼過ぎにはユメのスペースから列が消えた。順番に休憩を取ることにした。


「先に嶋……玄創さんが行きなよ。疲れてそうだし」


 疲れているわけじゃない。

 やるせないだけだ。

 誰からも求められていない事実と、結局他人の承認を求めてしまう自分に。


「私は最後に休憩するわ。みんなが求めているのは『ユメ』なんだから、できる限りここにいないと」


 玄夢は心配そうに見ていたが、夏子は「咲良は言い出したら聞かねぇからな」という顔で、「んじゃ、うちから行くなー」さっさと休憩に入った。



 客足が鈍化したおかげで、玄夢と二人でもスムーズに対応できた。

 お喋りをする余裕さえある。


「今回もたくさんのひとに買って貰えてよかったわね」


 咲良は隣に座る玄夢に話しかけた。


「この本も売れるといいな」


 玄夢は咲良の本の表紙に視線をやった。


「本が出せただけで御の字よ」

「……嘘だ。誰かに読んで貰いたいに決まってる。よかったって思って貰いたいって、ここにいるサークル参加者はみんなそう思ってるよ」


 玄夢は会場を見渡した。

 咲良もつられた。


 ここで頒布される本の内、何百部も売れるものもあれば、一冊も売れないものもあるだろう。

 一冊も売れない本にだって、売れる本に負けないくらい作者の情熱が篭っている。


 誰もが学校や仕事、家事や育児の合間を縫い、手間をかけて本を完成させるのだ。

 作品を完成まで持って行くのにどれほどの労力が必要か、咲良はよく知っている。


「そりゃそうよ」


 まったく評価されなくていいなんて、自分はきっと一生思えない。


「すごくいい話だったよ。作者の描きたい世界もハッキリ見えた。俺は好きだ」


 玄夢は自らのピクフィスページで咲良の本の紹介をしてくれていた。


「この作品を『いいね』って思うひと、他にも必ずいるよ」



 ぽつりぽつりとお客がやって来た。

 二人は会話をやめ、頒布に専念した。


 またお客が途切れた頃、誰かが小走りにスペースまでやって来た。

 二、三十代くらいの女性だった。


「この本、まだありますか」


 息を整えながら、その人は咲良の本を指差した。


「ありますよ」


 咲良が答えると、彼女はほっとした顔になった。


「よかったぁ! 一冊下さい」

「これだけ別作者の本ですが、大丈夫ですか?」

「今日はこれを買いに来たんです。いきなり会社から呼び出しくらって、到着がこんな時間に……」


 女性は五百円を差し出した。


 咲良は手が震え、受け取ったお金を落としそうになった。

 心臓がうるさいくらいに鳴っている。

 全身の血液の温度が上昇する。


 売れた。

 信じられない。

 どうしよう。嬉しい。

 「いいね」がひとつついただけじゃ、こんなにも喜べないのに。


「この本、どこで知ったんですか」


 咲良は震える唇で尋ねた。


「ピクフィスで。表紙の絵、雰囲気がめっちゃ好きなんです。過去作辿ったら、昔好きだった絵を描いてた人でした」

「桜の木の下で子どもが絵を描いている絵ですか?」

「はい。あれから作風変わっちゃってちょっと残念でした」

「あれの絵、見てくれたんですね」


「いいね」は大してつかず、閲覧数も伸びなかったのに。

――いや、零じゃないなら誰かが見てくれて、いいと思ってくれたのだ。


 数字の多さばかり気にして、裏側にいる人間の姿まで見えていなかった。


「貴方が作者さんですか?」


 女性は尋ねた。咲良はそうだと言いたい気持ちをぐっと堪えて否定した。


「作者さんは来てないんですかぁ。残念。いつも楽しみにしているんで、更新頑張ってくださいって伝えておいてくださいね」

「……はい、必ず」


 名乗れないのが切なかった。

 隣を見ると、玄夢は咲良以上に悲しそうな顔をしていた。


 咲良はゆっくりと首を横に振った。貴方だって同じ気持ちでしょう。



 夏子が休憩から帰って来た。


「ん? 何この雰囲気。お通夜?」


 夏子は半笑いで言った。


「……日下部君、休憩に行って来て」


 咲良の気持ちを尊重してくれたのか、玄夢は渋々休憩に行った。

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