第18話 少年と「ライバル」

 二ヶ月前。


 夏コミの当落が分かった頃、玄夢くろむはシロとレムのピクフィスのユーザーページをチェックした。どちらも夏コミに受かっていた。


 レムは五月のコミーティ以来DMの返信が途絶えがちになった。

 気のせいか、メッセージも以前よりよそよそしい。

 絵チャのお誘いもなくなった。おそらく〈玄創げんそうユメファンスレッド〉を見たのだろう。


「レムちゃんって、ネットとイベントでしか会えない子なんだなぁ」


 彼女の住所どころかROWSのIDも知らない。

 本名だってもちろん知らない。

 彼女からメッセージが来なくなれば終わってしまうような、細い細い繋がりだ。


「また会いたい……」


 間近で聞いた彼女の声を、記憶の中で繰り返した。

 二度話せないかもしれない。そんなの嫌だ。


「……今は、できることをしなくちゃ」


 レムのことも気になるが、自分にはやることがある。


 咲良さくらは先日、完成した同人誌の表紙を見せてくれた。

 いい出来だった。

 こちらも頑張らないと。


 玄夢は「よしっ!」と気合を入れ、最近かかりっきりになっていたイラストの続きを描くことにした。


(新人クリエイター発掘コンテスト〉という賞に応募するための作品だ。

 プロになる方法を模索していて見つけた新人賞だった。


 最優秀賞を獲れば、プロデビューの支援を受けられる他、東京、大阪、名古屋で開催されるイラスト展に展示され、名前を売ることもできる。


 テーマは『未来への道しるべ』。玄夢はこの新人賞に応募すると決めてから、頭がオーバーヒートしそうなくらい、テーマに沿った絵を考え続けた。


 一週間ほど前にようやくラフ絵が完成し、今は下絵に取り掛かっている。


 新人賞に作品を出すなんて生まれて初めてだ。

 好きに描くだけでは掠りもしないだろう。過去の受賞作の審査員の選評には「視線誘導が上手い」「演出力が光っている」「構成力が高い」などと書かれていた。


 選ばれる作品は、考え抜いて描かている。

 見た人にどんな印象を与えるのかまで計算して絵を描くところが、プロとアマチュアの大きな壁なのだろう。

 堂島から貰った絵のアドバイスを思い出した。彼はきちんと考えて描いていた。


「俺って、絵について何も知らないんだなぁ」


 絵は奥が深い。勉強すればする程、自分の足りないところが見えて来る。

 面白くて楽しい。


「明日、久しぶりに『あとらん』行こうかな」



 次の日。

 学校帰りに玄夢は、画材ショップ〈あとらんてぃす〉を目指していた。

 そこには絵の具やコピックなどの画材の他にも、絵の参考になる書籍が売られていた。

 大手の書店よりも圧倒的な品揃えだった。

 ネット通販で買ってもよかったが、店舗に足を運んだ方が掘り出し物を発見できそうだ。立ち読みで必要なものか判断できるのもいい。


 あとらんてぃすは通っていた中学校の近くにある。

 徐々に見覚えのある景色になって来て、玄夢は気分が悪くなった。

 不登校になる直前、何度も足を止めながら必死に歩いた道だ。


 大丈夫。大丈夫。


 自分に言い聞かせながら呼吸を整え、歩く。


 レンガ造りのマンションが目に入り、玄夢は立ちすくんだ。

 ここには堂島の家がある。

 彼の家で遊んだ時に、連れて行って貰ったのが店を知ったきっかけだった。


 玄夢は足早にレンガ造りのマンションの前を通過した。



 およそ三年ぶりに来たあとらんてぃすは、初めて来た時からちっとも変わっていなかった。

 コンビニ二つ分くらいの大きさの店内には、ところ狭しと画材や額縁が並べられている。

 書籍目当てで来たものの、これだけ画材を見せつけられれば欲しくなる。


 玄夢は小走りで画材コーナーに進んだ。

 水彩色鉛筆もある。

 咲良の物を借りてから興味が湧いていた。

 コピックも新色が欲しい。アクリル絵の具も使ってみたい。

 アナログイラストも応募可能な賞もある。この機会に色んな画材を試すのもよさそうだ。

 玄夢は次々に画材を買い物カゴに入れて行った。



 ひとしきり画材を堪能した後、目的のコーナーに向かった。

 デジタルイラストの塗りや、背景の書き方について記載された書籍だけではなく、人体解剖図まで売られていた。

 堂島の家で見せて貰ったことがある。

 人体の上手い絵師は、骨格や筋肉の動きも意識して絵を描いているらしかった。

 人体解剖図を買い物カゴに入れると、左腕が一気にずしりと重くなった。


 本格的に絵を描き始めたせいか、書籍コーナーが宝の山に思える。


 玄夢は発掘者の気持ちで吟味した。

 「有名な絵画の技法・解説」と書かれた背表紙に興味が湧き、手を伸ばした。

 誰かが先に取って行った。


 思わず誰かの方に視線をやる。


「堂島……君……?」


 彼も玄夢に気づいたようで、「何でここに」という顔をした。


「偶然だね」


 堂島は溜息をついた後「欲しいならやる」と言って、玄夢に書籍を押しつけて去ろうとした。


「待って!」


 玄夢は彼の背に声を投げつけ、追いかけた。


「君と話しがしたいんだ!」


 玄夢の放った大声にお客たちが驚いてこちらを見た。アルバイトがカウンターの向こうから睨んでくる。


「……声がでかい」


 堂島は玄夢にふり返り、迷惑そうに言った。


「あうぅ、すみません……」


 玄夢はぺこぺこと周りに頭を下げた。


「ここで話すのは邪魔だろ。移動しようぜ」

「堂島君、俺と話したくなかったんじゃ……」

「今無視したら、夏コミでオレのところに押しかけて来るだろ」

「……うん」

「相変わらず、空気読めねぇ奴だな」


 呆れたように堂島は言った。



 レンガ造りのマンションの一室。

 堂島と仲がよかった頃は何度も訪れた。週刊連載で多忙な父親がいるのは稀で、作家の母親も取材旅行やホテルでの執筆作業でいないことが多かった。

 兄も家を出たらしく、今は誰もいない。


 玄夢はリビングに通された。やけに広くてガランとしている。

 インクと絵の具が混じったような匂いがした。


「こんな本に興味がある奴と思わなかったが」


 堂島は、玄夢が購入した「有名な絵画の技法・解説」に視線を落とした。


「……プロの絵師を目指すことにしたから。今のままじゃ駄目なんだ」


 玄夢は膝の上で両手を固く握りしめ、言った。

 コーヒーテーブルを挟んで向こう側のソファーに腰かけている堂島に、驚いた様子はなかった。


「お前ならいつかそうすると思ってた。……自分で目指さなくても、見つかるのは時間の問題だったろうな」


 堂島はスマートフォンに手を伸ばし、操作した。


「玄創ユメはお前なんだろ?」

「それは……」

「少なくともあの女の子じゃない」


 堂島は玄夢にスマートフォンの画面を見せた。


「匿名掲示板でも話題になってる。イベントに現れた玄創ユメは偽物だってな」


 画面いっぱいに咲良の絵へのアンチコメントが並んでおり、玄夢は居たたまれない気持ちになった。


「線がぎこちないし、魂が篭ってない。あんなレベルでユメの真似をしようなんて、身の程知らずだな」


 堂島の言葉に玄夢は白い怒りを感じた。


「あの子の本当の絵も見ないで勝手なこと言うな!」

「あの女の子と知り合いか。……お前がユメで決まりだな」


 もう誤魔化せない。玄夢は静かに頷いた。


「なんであの子の絵を晒したんだ!」

「オレじゃないぜ」


 玄夢は驚きを隠せなかった。

 ネットに咲良のスケブをアップしたのが堂島でないなら、一体誰が……。


「……ごめん、疑ったりして」

のある奴は真っ先に疑われるからな」

「君にあげた絵を晒したのは、やっぱり……」

「ああすれば描くのを辞めると思ったのに。いや、お前みたいな奴は何したって辞めねぇか」


 堂島は苦々し気に呟いた。


「あの女の子は雇ったのか?」

「俺のために、ユメのふりをしてくれたんだ」

「俺のため? 違うな」


 堂島は何かに感づいたようで、挑発的に笑った。


「大方、お前の作品を全部、自分が描いたことにしたかったってところだ。利用されたんだよ」

「そんなことして何の意味があるんだよ」

「……お前は過程が大事だもんな。結果が何より欲しい奴の気持ちなんて、わかるわけねぇか」


 玄夢はモヤモヤした。

 自分の方がずっと咲良と付き合いがあるのに、どうして堂島が彼女の気持ちを代弁するんだ。


「君は、あの子のこと何も知らないじゃないか」

「お前よりわかるぜ。その子もオレと同じ普通の奴だからな。お前とは違う……」


 玄夢は胸のモヤモヤが痛みに変わるのを感じた。また、これだ。また、普通になれない。


「お前は描くために生まれて来ただ。オレの家族と一緒の」


 堂島は顔を上げ、玄夢を見た。

 見たというより、睨みつけたと言った方が正しいほどの眼光だった。


 怪物。


 その言葉は玄夢の胸にすっと入って来て、〈普通以下〉という自らの放った罵りを包み込んだ。


「お前がくれた絵を見た時、玄創ユメの作品を見るたび思ったよ。『なんでこれを描いたのがオレじゃなかったんだろう』って」


 吐き捨てるように放たれた堂島の声には、憎悪と切なさと悔しさがないまぜになっていた。

 ずっと憧れていた彼は、友達になりたかった彼は、苦しんでいた。


 嶋中さんは言ってくれた。俺なら堂島君を助けられるって。


「……堂島君、俺は絶対にプロになる。君より、早く!」


 玄夢はソファーから立ち上がった。


「君には負けない! 君は俺の……ライバルだから!」


 堂島は顔を上げた。


「俺は描き続けるから。君も『なんでこれを描いたのが俺じゃなかったんだろう』って思う作品を生み出し続けてくれ!」


 玄夢は鞄とショッパーを掴むと、玄関に向かった。堂島は何も言わなかった。


 言葉なんかいらない。

 彼の気持ちは次回作を見ればわかる。玄夢は足早に作業部屋に向かった。


 早く次の作品を描きたかった。

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