第17話 美少女と「初めての同人誌」 1/2
真っ白なスケッチブックに好きな色の水彩色鉛筆で世界を描き込んで行く。
普段使っている液タブとは異なる描き心地だ。
悪くない。
初夏の風が頬を撫でるのも爽やかで悪くない。
室内で絵を描いている時には味わえない感触だ。
初めて同人誌を作ることになった咲良は、張り切っていた。
張り切り過ぎてドツボにはまり、どんな同人誌にしようかまったく決まらなかった。
あれもやりたい、これもやりたい。
思考ばかりが先走る。
困って
「日下部君も外で描いたりするの?」
「うん。描きたいものがあったらどこでも描くよ」
保健室でも描いていたな、と、咲良は嫌なことを思い出した。
「よ、よかったら一緒に描かない?」
玄夢は遠慮がちに言った。
「俺、リアルで誰かと一緒に絵を描くのが夢だったんだ」
誰かと一緒に描けば現状を打破できるかもしれない。
一人じゃ見えないものも多い。というパパの言葉の影響も多少ある。
「いいわよ」
玄夢と相談し、次の日曜日に自然公園で描くことに決めた。
「二人で密談? ラブの予感ありけり?」
咲良は即座に否定し、話していた内容を夏子に伝えた。
「面白そうじゃん! うちも混ぜて!」
「夏子は絵を描かないでしょ」
「ビッグフェスに参加したらうちもやってみたくなったんよ」
イベントの魔力に夏子も魅了されたようだ。
日曜日は快晴だった。
三人はスケッチブックと、思い思いの画材を持ちよった。
誰の画材でも好きに使っても構わないルールだ。
「咲良、すげぇ色鉛筆持ってんな!」
夏子は咲良の持って来た四十八色入りの水彩色鉛筆を見て感嘆の声を上げた。
「昔、パパが買ってくれたの。色を塗った後に筆とか使って水で濡らすと水彩画みたいになるのよ」
「マジ? 魔法の色鉛筆じゃん!」
すっかりデジタルイラスト一色の生活だが、かつてはこの色鉛筆が咲良の玩具だった。
玄夢はコピックを持って来た。
彼はピクフィスにもたまにコピック塗りのアナログイラストをアップしていた。
「そのペンは何?」
コピックに興味津々の夏子に玄夢は簡単に説明をしてやっていた。
「へぇ、プロの漫画家も使ってるんかぁ」
「慣れるまで難しいけど、アナログ塗りだとコピックが一番好きだなぁ」
コピックにも惹かれるものがあったが、咲良は水彩色鉛筆を使用することにした。
あちこちに視線を動かし、気になったものを描いて行く。
豊富な青い葉を風に揺らす木、パーゴラから垂れる藤のカーテン、池の水面を泳ぐスワンボートと水鳥。
パソコンがあればこれらの写真なんかいくらでも見つかるけれど、リアルだからこそ訴えて来るものがある。
「咲良ぁ。見て見てぇ! うちの作品第一号!」
夏子は息を切らせてやって来ると、じゃーんとばかりにスケッチブックを見せた。
クローバーとてんとう虫が描かれている。
コピックでスケッチブックに色を落とし、その上から色鉛筆でざっくりと線画を描いていた。
線画を重視する咲良とは真逆の描き方だ。
それにこの色使い。クローバーは緑、てんとう虫は赤と黒――といった常識を覆す彩色が施されている。
海外製のゼリービーンズのようにカラフルだ。自由な夏子の人柄が出ている。
「どうよ!」
「夏子らしい絵ね」
「咲良のも見せて!」
夏子は咲良のスケッチブックをひったくった。
「花びら一枚ずつ手描きするとか! やべー!」
咲良の描いた藤の絵を見て、夏子は言った。
「……どう?」
「咲良っぽい!」
「それ、褒めてる?」
「あったり前じゃん! 根性ある奴しか描けん、誤魔化しのない絵!」
夏子はケラケラ笑いながら咲良にスケッチブックを返した。
私っぽい。
咲良は心の中で夏子の言葉を反芻した。
それこそが表現したかったことじゃなかったかしら。
咲良は絵を完成させると、次の題材を探した。
ネモフィラの花畑を見つけ、早速描き始めた。
夏子の描き方も面白そうだったので、コピックで色を落として行く。
その上から青色の色鉛筆で線画を描く。
新鮮で心地いい。
緑や黄色も使ってみようか。
「楽しい……」
気づけば咲良は呟いていた。
子どもの頃、誰の評価も気にしていなかった。
何でも自由に表現できたあの時の気持ちが、胸に広がっていた。
次は何を書いてみようかな。
ピクフィスのランキングを睨みつけていた時は切羽詰まっていたのに、今はただ、ワクワクしていた。
「咲良ぁ! うちのイラスト第二弾できたから見て~」
夏子が小走りにやって来た。
「日下部も、こっち来て見せ合いしよー」
夏子が玄夢に向かって大声で叫ぶ。玄夢も走って来た。
「二人の絵、楽しみだよ」
息を落ち着かせた後で玄夢は言った。
三人はスケッチブックを広げた。
玄夢はさすがに上手かった。
コピックを主体で使用しつつ、影や細部に色鉛筆を取り入れて繊細な塗りを表現していた。
写生なのにどこが幻想的で、薄暗くて、でも暖かくて、ユメの世界観だった。
夏子は息を飲んで見ていた。咲良も言葉が出なかった。
彼は日ごとに成長している。
「日下部さぁ、マジでプロになれるって」
夏子はやっと言葉を放った。
「実は……本格的にプロを目指すために、夏コミが終わったら絵の専門学校に転校することにしたんだ」
驚きの声を上げたのは夏子だった。
「マジで?! 超寂しいじゃん!」
「……けど、日下部君が選んだ道じゃない」
「だな!」
「応援してる」
咲良は心から言った。同時に寂しさも感じる。周りは変わって行く。知らない間に変わって行く。
「嶋中さんのことも応援してるよ。同人誌、頑張って」
「ええ」
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