第16話 彼の「進路」 1/2

 イベントの次の日、咲良さくらが学校を休んだ。

 気が気じゃなかった。


 心当たりならある。Zちゃんねる〈玄創げんそうユメファンスレッド〉の書き込みだ。


 イベント終了後からスケブ絵についてのアンチコメントがわんさと沸いていた。

 例によって、信者という単語が似合うユメの女性ファンが、つぶやきSNSのDMでその情報を教えてくれた。


 玄夢くろむは心配になり咲良にROWSでメッセージを送った。既読はついたが返信はなかった。



 次の日も咲良は休んだ。

 玄夢は隣のクラスの夏子なつこに相談しに行くことにした。二年生に進級し、夏子とはクラスが離れていた。


「風邪でもひいたんかな。ま、そのうち復帰するっしょ」


 楽観的な態度の夏子に「思い当たることがあるんだ」と言って、例のZちゃんねるの書き込み群を見せた。さすがの夏子も眉をひそめた。


嶋中しまなかさんがこれを見たら、ショックを受けてもおかしくないよ」

「あいつ、他人の評価気にするとこあるからなぁ。ビッグフェスやり始めて、余計敏感になった気ぃする」

「ピクフィスのこと?」

「そーそー、それそれ! あいつあれやってから『いいね』の数がどーのこーの言って、しんどそうに絵ぇ描くようになったんよ」


 玄夢は、咲良が苦しそうに絵を描いていた理由がわかった気がした。


 ピクフィスは絵師同士や絵師とファンが交流できるよい面もあったが、評価を気にしてメンタルを病んでしまう絵師も多いという。


 咲良が評価を気にするタイプなら、きっと今苦しんでいる。


「嶋中さんのお見舞いに行きたい。嶋中さんの家、教えて貰ってもいい?」

「いいけど、うちも行くからな」


 二人は放課後、急ぎ咲良の家に向かった。



 咲良の家は、隣接する家よりひと回り大きな戸建てだった。

 外観もお洒落だ。


 夏子は慣れた様子でインターフォンを押した。

 インターフォンから男性の声がした。夏子が名乗ると「ああ、なっちゃんか」と、声は軟化した。


 ほどなくして玄関の扉が開かれた。

 扉の向こうから現れたのは、背が高くて顔立ちの整った男性だった。咲良に似ている。兄だろうか。


「おじさん、久しぶりじゃん!」


 驚くことに男性は咲良の父親らしかった。

 自分の父親よりずっと若く見える。


「咲良を心配して来てくれたのかな」

「そーそー。おじさんはなんてでこんな時間に家にいるん? 無職になったん?」

「はは、相変わらずだね。咲良が心配で有給をガッツリ取っちゃったよ!」

「おばさんは?」

「ママは仕事に行ったよ! 咲良はタフだから大丈夫でしょ、だってさ」

「おばさんらしいわ!」


 玄夢はいきなり 刺すような視線を感じた。


 「そっちの男の子は誰かなぁ」


 視線だけで殺されそうだ。玄夢は思わず目を逸らし、体を固くした。


「こいつは日下部って言って、咲良の……」


 そこまで言って、夏子は言葉を選んだ。


「相方って奴?」

「なんだって! 君、詳しく話を聞かせて貰ってもいいかな」


 咲良の父親は、玄夢にずいっと歩み寄った。

 顔立ちの整った人間は、怒った顔に迫力がある。


「おじさんステイ! そういう意味じゃねぇから。咲良の絵描き仲間なんよ」

「なんだそうか。咲良にはまだ彼氏なんて早すぎるからな!」


 高校生なのでそうでもない。と、玄夢は内心思いつつも口にはしなかった。


「咲良、風邪でもひいたん?」

「いや……体調は悪くないみたいだが、部屋から出て来ないんだ」

「咲良と話したい。家に入れてよ」

「もちろん構わないよ!……で、君も入って来るのかい?」


 咲良の父親は再び玄夢に厳しい視線を向けた。


「は、はい。俺、苦しんでる時に嶋中さんに助けられました。……嶋中さんが苦しんでるなら、今度は俺が助けたいんです」


 咲良の父親は玄夢の目をじっと見つめた。

 玄夢は今度は視線から逃げなかった。


「ふむ……君は本心からそう言ってるようだね。義理堅くて関心だ。うちに入ることを許可しよう。ただし、娘との交際は認めないからな!」

「ザンネンデス……」


 玄夢は夏子と共に、二階にある咲良の部屋の前までやって来た。

 父親は気を使ったのか、一階に留まっている。


「咲良ぁ、遊びに来たよ~」


 緊張感のない声で夏子が言うと、扉の向こうから「夏子? なんでこんな時に来るのよ」と、声がした。


「こんな時だから来たんじゃん。がっこーサボって何してるん」

「……別に、行く気分になれなかっただけよ」

「Zちゃんねるの書き込みのせい?」


 玄夢が言うと、扉の向こうで咲良が驚きの声を上げた。


「日下部君までいるの?」

「嶋中さんが心配で来たんだ。あんなこと言われたら、俺なら耐えられないから」

「気にしてないわよ。私の絵が下手で、魅力がないのは事実だもの」

「違う! あいつらは何もわかってない。自由に描いた嶋中さんの絵はすごく素敵なのに!」


 玄夢は気づけば大声を出していた。自分の絵がけなされてもこんなに怒ったことはない。


「嶋中さんのピクフィスアカウント、見つけたんだ。最初の投稿作、すごくよかった」

「大して評価されなかったし、駄作よ」

「評価されなかったから作風を変えたの?」


 玄夢が問いかけた途端、咲良は黙り込んだ。


「……そうよ」


 しばらくして、咲良は呟いた。


「あのまま描いて欲しかった。今の嶋中さんの絵、苦しそうだ。本当に描きたい絵なの?」


 扉越しでも空気がひりついたのが伝わって来た。


「描きたいわけないでしょ。でも描かないと、誰も評価してくれないのよ」

「そんなことを続けてたら絵を描くのが嫌いになる」

「貴方には言われたくない! 好きに描いたものが評価される人に、私の気持ちなんてわかるわけない!」


 めずしく咲良は声を荒げていた。


 拒絶されている。「もうお前とは話すことがない」と言った堂島と同じだ。

 これまでなら怖くて逃げ出すところだが、逃げるわけにはいかない。


 今度は俺が、嶋中さんに手を差し伸べるんだ。


「嶋中さん、本当は好きに描いた絵を評価されたいんだ。だから好きで描いて評価されている奴に腹が立つんだ」


 全部伝えないと。


 余計に怒らせてしまうかもしれないけれど。

 怒りでもいいから、彼女の感じていることが知りたい。

 ひとりぼっちで苦しんでいる彼女を理解するために。


「もっと戦いなよ。やられっぱなしじゃ悔しいだろう」

「いつもより言うじゃない」

「だって、俺……君にしか描けない世界がもっと見たいから!」

「ちゃんと評価されてんじゃん」


 玄夢の隣で、相変わらず夏子は緊張感に欠けた声を放った。


「『いいね』の数ばっか気にしてないで、裏にいる人の声をちゃんと聞きなぁ。アンチ意見なんか放っておいてさ」


「……帰って」


 咲良はぴしゃりと言い放った。


「今はそっとしておいて」


 玄夢の腕を、夏子は引っ張った。

 夏子は扉に向かって言う。「また学校でな~」夏子は玄夢の腕を掴んだまま、咲良の父親に挨拶を済ませて家から出て行った。


「日下部、お前、いいこと言うじゃん!」


 夏子は咲良の家の前で、玄夢の頭をワシャワシャと撫でまわした。

 犬猫か、小さな子どもにでもやるように。


「嶋中さん大丈夫かなぁ……」

「復活にはちょい時間はかかるかもだけど、咲良は根性あるからヘーキヘーキ」



 一週間後、咲良は教室に現れた。

 久しぶりに登校した咲良を教師や生徒たち(主に男性だ)は咲良を囲い、あれこれ質問攻めにしていた。

 咲良は適当にいなしていた。


 玄夢も彼女に早く話しかけたかったが、囲いがひどくて付け入る隙がなかった。



 放課後、咲良からROWSが入り、人気の少ない旧校舎の裏に呼び出された。

 玄夢が、また学校に来てくれて安心したと言うと、咲良は「大作に取り掛かってて、学校なんか来てる暇なかったの」と強気な口調で言った。


「日下部君には悪いことをしたわ。スケブなんて余計なことをしたせいで、ユメが偽物だと疑われた」

「イベントの空気を味わったら描きたくなるよ。嶋中さんは絵を描くのが好きなんだから」

「……別に、そこまで好きってわけじゃ」

「ピクフィスの最初の投稿作を見たらわかるよ」


 夕焼けのせいだろうか、咲良の顔が赤く見えた。


「そう言えば貴方、勝手に私のアカウントを探したのね。ことごとく他人に許可を取らないんだから」

「え……あ、ごめ……」

「まぁ、絵を褒めてくれたから、アカウントのことは許すわ」


 そう言って咲良はそっぽを向いた。


「今度からスケブをやめるわ。ユメが偽物だとバレたら意味がないもの」


 玄夢は数日前から温めていたアイデアを咲良に伝えることにした。


「次は嶋中さんも同人誌を出さない?」

「えっ?」

「今度はユメのスペースで、嶋中さん自身の作品として頒布するんだ」

「ユメのスペースに来るのはユメファンなんだから、私のなんて邪魔になるだけでしょ」

「ユメのスペースだから、ユメが置きたい同人誌を置くよ」


 咲良は迷っているようだった。やがて小さく呟いた。


「……一冊も売れなかったらどうするのよ」

「俺が買う。嶋中さんが出してみたいなら、だけど」


 咲良は観念したように「……そうね。以前から興味あったし」と、言った。


「どうせならすごい本を出してやるわ! 貴方にもアドバイスをして貰うわよ」

「うん!」


 咲良の瞳は強く輝いていた。完全に復活したようだ。

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