第9話 美少女と「美少女」と「美少年」 1/2

 咲良さくらは長い溜息をつくと、PCデスクの背もたれに体を預けた。

 パソコンのディスプレイには、ようやく下書きが終わったイラストが表示されていた。


「日下部君の速度はこんなものじゃない……」


 咲良は玄夢くろむの絵をトレースした時から危機感を覚えていた。

 勝手にライバル視していたが、ライバルに思うなんておこがましいくらいに彼とは差があった。


 その差は今も、目まぐるしい速度で広がり続けている。


「集中力が限界ね。これ以上続けても、いいものはできないわ」


 咲良は伸びをすると、すっかりと冷めたコーヒーに口をつけた。


 時計は十一時を指している。寝るには少し早い。


 インプットの時間にしようと、ピクフィスを立ち上げた。

 フォローしているユーザーの新着情報の中に〈シロ〉の二月コミーティのお品書きを見つけた。


「彼もコミーティに出るの? 日下部君に知らせた方がいいわね」


 咲良は手早くROWSで玄夢にメッセージを送った。


堂島どうじま君、だっけ」


 いじめに遭っていた咲良は、いじめっ子が根本的に嫌いだった。(夏子は謝ったので許している)


 上手い絵師を作品で殴らず、匿名掲示板で晒すようなやり方も気に食わない。

 だけど堂島を嫌いになり切れないのは、自分と似た匂いを感じているからだ。


 ROWSの通知音が来た。玄夢から返信が来ていた。


〈シロさんがコミーティに出るのは知ってたよ。シロさんが堂島君でもいいように、変装して行くね!〉


 咲良は返信文を書いた。


〈コスプレでもする気?〉

〈違うよ! マスクしたりだよ〉

〈それならよかったわ。目立ちたくないし〉

〈心配してくれてありがとう〉

〈別に。もし貴方がいじめっ子に会って、前みたいに具合を悪くされたら困るからよ〉

〈大丈夫! 前みたいにはならないよ。そのために学校も頑張るから〉


 咲良は青い顔で教室にいた玄夢を思い出した。


「頑張らなくていいのに」


 学校で体力を使い果たしたのだろう、彼は今日、絵を更新していなかった。



〈『ユメのスケブ』のできはどう?〉

〈バッチリ! 嶋中さんって絵が上手なんだね〉


 玄夢の返信を見て、咲良はスマートフォンをベッドに叩きつけた。自分より上手い人間から褒められてもムカつくだけだ。


 咲良はスマートフォンを拾い上げて〈大したことないわ〉と返信すると、PCデスクに再び腰をかけた。

 玄夢へのムカつきは、やる気を奮い立たせる優秀なガソリンだ。


「下書きの修正が終わったら寝ましょう」


 咲良がベッドに入ったのは二時間後だった。



 二月二十日。

 咲良と玄夢は約二ヶ月ぶりに電車で東京ラージサイトに向かっていた。

 コミーティに参加するためだ。


 妹が熱を出したらしく、夏子は急遽不参加となった。

 夏子の家は片親で、母親は仕事を休めないので夏子が妹の世話をするしかないのだ。


 コミットの時は煩いと思ったけれど、いなくなると物足りなさを感じる。

 玄夢も同じ気持ちなのか、夏子の不参加を知ると「残念だね……」と、心から言っていた。


「五月のコミーティと夏コミに申込んでおいたわよ」

「ありがとう嶋中さん」

「……ところで日下部君、その恰好、何?」


 ダウンジャケットはいいとして、ニット帽にマフラーにマスクという出で立ちは、眼鏡も相まって不審者のように見える。


「変装だよ」

「目立ちたくないって言ったわよね」

「め、目立つかな?」

「かなりね。……まったく、芸能人じゃないんだから」


 咲良は溜息をついた。


「し、嶋中さんは今日も可愛い格好だね」


 コミットの時と同じく薄ピンク色のコートを着て来た。下は白いセーターと濃いグレーのスカートだ。


「さっきからたくさんの男性が見てるよ」


 玄夢がそう言うと、咲良に注目していた男性たちが一斉に目を逸らした。見世物じゃないのよ、と、咲良は内心毒づいた。


「今日はまずレムさんのスペースに行くつもりだけど」

「俺は駅から嶋中さんとは別行動するよ」

「私がユメをやれているか確認しなくていいの?」

「嶋中さんなら上手くやってくれるって、信じてるから」

「プレッシャーかけるのやめて欲しいんだけど」

「……ごめん。それに一緒に行動して、レムちゃんに見られたら嫌だし……」


 レムにユメを男と二人きりで出かけるような女だと思われたくないのだろう。

 もしくは浮気を疑われないようにしたいのか。

 どちらにせよ、友達にしては違和感のある態度だ。


「貴方は一人で大丈夫なの?」

「うん。前より人混み慣れたし」


 玄夢は、三学期が始まってからはほとんど毎日教室に来ていた。

 二時間ほどで帰宅する日もあったが、コミットの時より進歩している。


「そう、じゃあ私は自分のことに集中するわよ」


 東京ラージサイトに到着すると、咲良は地図を頼りにレムのスペースを探し始めた。



 ユメとレムの距離感は、咲良からするとちょっと気持ち悪いくらいに近かった。友達というより恋人同士のようだ。


 中学生の頃、一部の女子の間で〈彼女〉を作るのが流行っていた。

 休日に一緒に出掛けたり、夜に長電話をする程度なら友達と変わらないが、こっそり恋人繋ぎしていたりもする。



 咲良が忘れ物を取りに放課後の教室に行った日のことだ。

 カーテン越しに夕焼けの差し込む教室で、女子生徒が二人、身を寄せ合ってお喋りをしていた。

 当然のごとく恋人繋ぎをして、時おり何かを耳打ちし合っている。

 絡み合う手の指から溶けだして、一体の生物になってしまったようだ。


 二人は互いを見つめるのに夢中になるあまり、咲良に気づいていなかった。

 今にもキスしそうだ。

 そんな姿を見たら、明日からどんな顔をして同じ教室で授業を受ければいいのだろう。咲良は忘れ物を諦めてUターンした。


 あの光景は今でも脳裏に焼きついていた。夕焼けを――一日の内で最も明るい光を――浴びる彼女たちは、普段より眩く見えた。

 

ユメとレムの関係は、あの日の女子生徒たちに似ている。



 レムのスペースにようやく辿り着いた。

 美少年がいる。

 咲良の第一印象はそれだった。

 よく見れば華奢な肩幅で、女の子だとわかる。


 彼女はショートカットの黒髪に、男子学生用のブレザーを改造したような服装を着用していた。

 胸元には銀色のバラのコサージュを身につけ、袖口にはレースを縫い付けてある。ゴシック系と呼ばれる出で立ちだ。


 緊張して来た。


 ユメになりきるため、ユメとレムのつぶやきSNSやピクフィスを読み込み、玄夢から聞いた話を反芻し、考察した。


 何度も。何度も。


 それでもちゃんとやれるかわからない。

 玄夢にこれでいいのか尋ねてみても「ネットの俺ってそんな感じに見える?」と、とぼけた回答しか貰えなかった。


 ユメは優しく、気が弱く、いつも自信の無さそうな少女だった。

 咲良とは真逆だ。我を殺せ。咲良は自分に言い聞かせた。


「あ、あの……レムちゃん?」


 できるだけか弱そうな声を作り、長テーブルの向こうにいる少女に話しかけた。

 彼女は少し怯えたような目で、窺うようにこちらを見ていた。

 雰囲気と表情が玄夢と似ている。確かにウマが合いそうだ。


「ユメです」

「え……本当に?」

「うん。会えて嬉しい」


 レムは驚いたのか、緊張しているのか、すぐに言葉が出ないようだった。

 ようやく「……アイコン通りだ」と呟いた。言われてみれば、ユメのアイコンは自分の顔と似ている。


「レムちゃんは、想像してたよりずっと格好いいね。ドキドキしちゃった」


 今にも壊れそうな儚げな雰囲気を持つ美少年のようだ。

 しかし男装でも隠しきれない女性的な色気が滲み出ている。

 雰囲気が大人びていて、咲良より少し年上に見えた。


 この容姿なら男女問わずモテるだろう。

 耽美で病んだ世界観の作風もあり、特にメンヘラから受けそうだ。


「ユメちゃんこそ可愛い。見た目にコンプレックスがあるなんて信じられないよ」


 ほう……と、ため息交じりにレムは言った。


「私なんてコンプレックスだらけだよ」

「可愛くて絵も上手いのに?」

「絵だって、まだまだ理想通りに行かないの」

「理想が高いんだね」


 彼女は微笑んだ。儚げな笑みが、彼女をいっそう魅力的にさせる。


「新刊、買ってもいい?」

「駄目。ユメちゃんにはプレゼントしたいもん」


 レムは真新しい同人誌を差し出した。


「嬉しい……。でも、ちゃんとお金を払いたいから、保存用に一冊買わせて?」


 ユメならきっとそう言う。


「もう、仕方ないなぁ」


 レムは破顔した。正解を踏めたようだ。レムにプレゼントされた方は玄夢にあげよう。


「つぶやきSNSでユメちゃんのことネカマだって吹聴してた捨てアカがいたでしょ」

「いたね。びっくりしちゃった」

「ユメちゃんに会って安心したんだ。女同士だと思っていたから、プライベートなこともかなり話していたし」

「……私が男だったら友達やめた?」


 レムは困ったような顔をした。


「これまでと同じようにするのは無理だよ、そりゃ」


 一人で来たのは正解だった。玄夢がいれば少なくないショックを受けただろう。また引き篭もったかもしれない。


「だからよかった。これからもずっと一緒に色んなお話ししようね」


 うっとりと、熱の篭った眼差しでレムは言った。


 教室でカーテン越しに夕焼けを浴びていた女子生徒たちは、片割れに彼氏ができてから疎遠になったそうだ。

 年を取るごとに、いつの間にか〈彼女〉を作る女子生徒はいなくなった。少女同士の恋人ごっこは期間限定だ。


 レムは永遠の夕暮れを夢見ている気がした。相手の少女すら実在しないのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る