第2話 少年は「美少女」でいたい 1/2

 かしゃん。


 何かが落下する音を、日下部玄夢くさかべ くろむは聞いた。


 ベッド付近の床にピンク色のスマートフォンが落ちていた。

 おそらく嶋中咲良しまなか さくらのものだ。


 女の子が寝ているベッドの側に行くのは躊躇われたが、誤って踏んで壊れたら大変だ。

 玄夢は勇気を出してスマートフォンを拾った。画面が見え、息が止まりそうになった。


「嶋中さんが俺の絵を見てる?!」


 すぐに画面が暗くなる。ロックがかかってしまい、先ほどの画面はもう見られない。

 見間違いだろうか。

 いや、確かにあれは今朝投稿した絵だった。


「もしかして、俺のファン?」


 顔がかぁっと熱くなる。眼鏡が少し曇った。


 嶋中さんみたいな子がこんな日影者を知っているはずないだろ!

 勘違いすんなよゴミめ!

 

 という気持ちと、


 そうだったら嬉しすぎて死ねる。

 むしろそれをエネルギーに生きる。

 永遠に生きる! 不老不死に、俺はなる!


 という願望がせめぎ合った。


 嶋中咲良。

 十六歳。高校一年生。八月十一日生まれ。血液型B型。身長は目視でおよそ一六〇cm。

 胸のサイズは目視でおよそBカップ。だけど男が思うBカップは実際はDカップだと聞いたことがある。

 腰はほっそりとしていてお尻は小さめで手足がすらりと長い。肌は白くて思わず触りたくなるほどすべすべしている。

 しかし、けして触るわけにはいかない。この手で汚してはいけない。新雪の積もる道路を踏みしめるような禁忌だ。


 髪の毛はゆるいウェーブのかかった胸元まである茶髪。

 運動神経は普通だけど、いつも徒競走は三位以内。

 バレーボールでは積極的にボールを拾いに行っている。


 頑張り屋さんなのだ。


 学校の成績はクラスで十番目くらい。勉強を頑張った成果だ。

 よくスマートフォンの画面を睨みつけている。


 江東夏子さんと仲がいい。


 そして、これが、一番大事。つまり最重要項目。


 彼女はすごく可愛い。


 すごくすごく可愛い。


 すごくすごくすごく、これまで見た女の子で一番可愛い。


 ――以上が、玄夢が知っている咲良の情報だった。



 玄夢はひと目見た瞬間から咲良を推していた。

 話しかけたことはない。

 彼女が運動場にいる時、図書室にいる時、遠巻きに眺めるだけだ。


 彼女をモデルにした女の子のイラストを何十枚も描いた。

 本人から許可は貰っていない。訴えられれば確実に負ける。



 咲良のスマートフォンを手に持ったままだった。

 玄夢は心臓をバクバクさせながら、咲良が眠っているベッドのカーテンを、音がしないように気をつけて開いた。


 危うく悲鳴を上げそうになった。

 天使が眠っていたのだ、仕方がない。


  初めて間近で咲良を見た。

 整った形の眉、豊かなまつ毛、桜色の唇に視線がくぎ付けとなる。


 圧倒的美少女だ。

 美少女がすぎる!


 悲鳴を飲み込んだせいで今度こそ息が止まった。

 動悸がする。

 死ぬかも。


 死ぬ前に、天使を永遠とわの存在にしなければ!



 玄夢は急いでリュックサックから、いつも持ち歩いているスケッチブックと鉛筆を取り出した。


この可愛さを刹那で終わらせるわけにはいかない。

 俺がかろうじて生きている理由は、可愛い女の子を紙面上に永久保存する使命があるからだ。


全神経を鉛筆に集中し、一心不乱に咲良の寝顔を描く。

 音が聞こえなくなり、保健室も無くなり、世界に彼女と二人だけになった。


 完成したスケッチを玄夢は睨みつけた。


 こんなんじゃ駄目だ。嶋中さんの魅力の百億分の一も表現できていない。


 新しいページに再び絵を描く。

 鉛筆を次々新しいものに変え、ミリ単位で線を引く場所に拘った。


 気がつけば十数ページを消費していた。


「よし、できたぞ!」


 ようやく納得の行くスケッチになった時、興奮のあまり大声が出た。

 咲良が目を覚ました。二人の視線がかち合った。


「ひゃぁあああああ!」


 玄夢は真っ赤になって悲鳴をあげた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさぁぁぁい!」


 パニックになった玄夢は、スケッチブックを放り出し、リュックサックを背負って保健室から飛び出した。


 最悪だ。憧れていた女の子に名前を知られ、存在を認識して貰えたのに。やっと目が合ったのに。

 それが自分をスケッチしている姿だなんて、絶対に変態だと思われた。


「……死にたい」


 息が止まった時にそのまま逝けばよかった。玄夢は顔を赤くさせたり青くさせたりしながら〈作業部屋〉まで走った。一人きりになりたかった。

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