第49話 ダンスパーティ
〔これまでのあらすじ〕
黙示録の獣を撃破したシロとクロ。しかし仲間と離れ離れになってしまう。一方、遭遇したバンゲラに敗北を喫したパウクとイグニスはヴィトラとミヅイゥを置いて単独での行動を始めてしまう。
〈神判の日〉まで、1年の半分が終わろうとしていた。
エルヴァットの花を探すため、裏門から城を抜け出したクロ、アデル、カティファ、シマホスの4人は豪雨の中を歩き始めたのであった。
アントス山の麓の森の中、捕らえたマンドロスキロンを解体していたラドロンティ族の密猟グループは、クロの率いるマンドロスキロンの群れに襲撃され死に絶えた。
やがて訪れた静寂にクロは目を開き耳を押さえる手を離した。
「シマホス…彼らがここまでする必要はあったの?」
クロは散乱する死骸を目にしながら問う。
「命を…こんなに簡単に奪っていいの…?」
顔を背け、呟くように言う。
「私が…止めなくちゃいけなかったの…?」
「王女様、貴方だって家畜の肉を食べるではありませんか。屠殺された家畜の肉を」
「それは…」
「そう、仕方のないことです。家畜は肉にされるために生きているのですから。そしてこの現状も、仕方のないことなのです」
「人が…死んでいるのに……?」
「マンドロスキロンは確かに社会性を持つ動物ですが、我々に比べれば低俗なものです。マンドロスキロンにとってラドロンティ族は命のサイクルの狩る側に過ぎない。この惨劇は相手がラドロンティ族だったからではありません。ただ狩る側が現れたから、狩られる側が報復しただけです。この事象は命のサイクルからは何ら逸脱していない。ごく自然なことなのです」
シマホスはクロの肩に優しく手を乗せる。
「むしろ貴方が何もしなくて正解でした。もしも貴方がマンドロスキロンを操っていれば、それは命のサイクルを逸脱することになる。ラドロンティ族とマンドロスキロンの関係に介入することは、即ち自然を超越する事象でした。王女様、超自然的に生命を脅かすことはあってはなりません。しかし命のサイクルに則ったものならば、それは至って自然的と言えるでしょう」
――命のサイクル……。マンドロスキロンは……操らない……。
クロはそう心の中で反芻した。
するとクロとシマホスの前に、群れで最大の巨体を誇る長と、もう一頭のマンドロスキロンがゆっくりと近づいてきた。そしてそれぞれ2人の目の前で止まると足を曲げて伏せの姿勢をとった。
クロとシマホスは顔を見合わせる。
クロとシマホスを背に乗せた2頭のマンドロスキロンはアントス山を駆け上がる。
「ゴオオオオアッッ」
長は雄叫びを上げると崖の急斜面を登り始めた。シマホスを乗せた個体も後に続く。
クロと長が対峙した坂を一息に飛び越えると、そこには辺り一面、エルヴァットの花畑が広がっていた。
それは見渡す限りの淡い青だった。
「すごい…!」
クロは思わず声を漏らす。
「姉上!」
立ち止まったマンドロスキロンから降りるとアデルとカティファが近づいてきた。
「これは…」
2人の目線はマンドロスキロンに向けられている。
「彼らも被害者。私たちはただ勘違いされていただけ」そうクロが2人に言うと長の足を優しく撫でる。
長はクロの顔を舐めるともう一頭を連れて崖の向こうへと消えてしまった。クロは2頭の背を見送ると顔を拭ってエルヴァットの花畑の中へと入っていった。
「シマホス、これを」
アデルはシマホスに剣を返す。
「一回だけあの獅子と対峙して、この剣を抜いたんだ。そしたら急に全身に痺れが走って…。立っていられなくなって。でもいつのまにか獅子はいなくなっていたんだけど…」
シマホスはおやっと驚いたような顔をする。
「そのようなことが。……適性があるのかもしれないですね」
――私の次に選ばれるのは、アデル・サタナス、貴方かもしれない。……実に面白い。よく考えれば当然であり必然であるのだから。
シマホスは一人でフッと笑う。
「え?」アデルはきょとんとしている。
「いえ、ただの独り言です」
「そうか」
「はい。それより王子様、本来の目的は遂行できましたか?」
「え……」アデルの頬がかあっと赤くなる。
「まあ…うん…。ありがとう。本当に」
「それは姉上様にお伝えください。私はただあの方に従っただけですから」
シマホスは自らの主人を見つめる。
「シマホスはどうしてそこまで姉上に従順なんだ?」
「えっ」思わず声が出た。
「できるだけ平等に接するように努めていたのですけどね……これは失敬」
「ああ、違う。うらめしいとかそういうのじゃなくて。ただ気になるんだ。お前のことが」
「なるほど。よくある話ですよ。似ているんです。亡くしてしまった一人娘に。いえ、私はオークなので外見がという話ではなく。なんなのでしょうね。自分でもよく分からないのですが、王女様に接していると、そこにあの子がいるように思えて。だからなんです。エゴなんですよ。私の」
シマホスの視線の先に、エルヴァットの花に囲まれたクロとカティファがいる。
――ライア。
それは目の前で奪われた命の名前。人族によって焼き尽くされた村で抱きかかえた肉の焼け焦げた躯体の名前。命のサイクルから外れてしまった存在の名前。
「失礼。気を使わせてしまいましたね。そろそろ帰りますよとお二人に伝えてきてください」
「分かった」
アデルも花畑の中へと入っていく。
――私はあそこには行けない。
シマホスの右手は未だ皮膚の剥がれ落ちたままだった。
その後、クロ、シマホス、アデル、カティファの4人は夜明け直前に城に到着した。
クロと親しい門兵のランセルのおかげで怪しまれることなく戻ってくることができた。成功に安堵する間もなく4人はそそくさと別れた。クロとアデルは自室に戻り、カティファとシマホスはそれぞれの仕事の準備に取り掛かった。
保存液の入った花瓶にエルヴァットの花の根を浸らせる。そうすることでこの華奢な花の開いた状態を保つことができる。
クロはベッドの縁に腰を下ろし、止血の為に右腕に巻いていた千切った洋服の切れ端をほどく。すでに傷口は塞がっており、乾いた血の跡が残っている。マットレスに上半身をあずけ、自らの腕を見つめながらつい先刻の出来事を思い出す。
――どうして…マンドロスキロンの言葉が分かったの?
そのままクロは眠りについた。
魔王城、地下。そこに上族会の議場があった。
上族会。それは、魔王により土地を与えられ、その土地を管理する権限をもつ族の集まり。上族はその土地の下族を束ね、安定的な統治を行うことが主な役割である。魔王により任命された4つの上族のうち、3つの族の長がこの日、魔王の下に召集されていた。
「
と、
「気にするでない。魚人族は形だけだ。今更戻ってくることもなかろう。最終戦争以後、奴らの存在は確認されていない。存続しているかどうかすら未確定なのだ」
「あなたはどう思われる、ノブルス殿」
ランティアムは尋ねる。
「うむ。ルティアナの意見は尤もだ。ただ……」
「魔王様がいらっしゃった」
3人の長は頭を垂らしてカーテンの向こうの魔王の着座を待つ。
「ご苦労」
魔王、イヴリス・サタナスは一言労いの言葉をかけた。
「では始めよう。議題のある者はいるか」
3人はほぼ同時に手を挙げる。ここで意見のない者は無能と判断されることを知っているからだ。
「ルティアナ、申してみろ」
「は。人族との戦闘は以前継続しております。モルベルグ陥落後、北部戦線も南部同様第二エリアまで後退しました」
「予測通りか」
「はい。ですがこちらも南部同様戦線は停滞し、戦力は拮抗している状態です」
「続けろ。防衛で十分。奴らの補給が耐えるのを待つのだ」
「仰せのままに」
「して、第二エリア管轄のランティアム。南北戦線以外の状況は?」
「ゴーレム部隊の尽力により戦線以外の侵攻は見受けられません」
「結構。ではノブルス」
「は。では私目からは、
「ほう。ミノタウルスといったところか」
「左様で。我々もその認識でございます」
「ミノタウルスの出自は貴様のエリアだったな?ノブルス」
「如何にもでございます。現在も調査を続けておりますが、どうやら移動を繰り返しているようで」
「実際の被害は?」
「集団による盗みが37件、殺しが24件確認されています。被害者総数は推定300、被害総額は推定1600です。パーン族は村ごと壊滅しました」
「ふむ。一度、実態解明に向けて調査を行う。担当の候補者をリストアップしておけ」
「仰せのままに」
その後も月に一度の定例会議は続いた。そして上族会も終わろうとした時、去り際の魔王は言った。
「今夜は慰労のダンスパーティーがある。是非楽しみたまえ」
ルティアナ、ランティアム、ノブルスの3人は深く頭を下げる。
エルヴァットの花を探しに出かけた日から4日が経過した日の夕暮れ時。クロはカティファとともにドレスの用意をしていた。
「全く、ダンスパーティなんて面倒くさい」
「そうおっしゃらないでくださいよ。せっかくの機会なのですから、素敵な出会いもあるかもしれませんし」
「ふん。くだらない。私には興味ないわ。あるのは父と…司令陣だけでしょうね。あとはその脛齧りの跡取り共」
「ま、まぁまぁ、優秀な世継ぎ様もいらっしゃいますよ」
「いつも言っているじゃない。私は誰とも婚姻しない。たとえ父上の頼みでもね」
「それはやはり…?」
「そうよ。私には使命があるから。あなたにも魔王にも決して成し遂げられない、崇高な使命がね」
「王女様、いつもおっしゃられているその使命というものは…?」
「私がこの世界を救うの。……カティファ、控えの間に私の部屋にあるエルヴァットの花を用意しておいて」
「かしこまりました」
カティファは追求することはせずに黙っていた。
魔王城、大聖堂の大広間にて。その広間の正面奥には大階段があり、その頂上に魔王の鎮座する椅子があった。そして中段の踊り場には横一列に7つの椅子が並べられていた。
魔王イヴリスの右手側から順に王子が着席する。その左端にクロも座る。
オーケストラがメロディを奏で始める。
漆黒のボールガウンに身を包んだクロは、段上に上がってくる美女に踊りへと誘われる兄たちを見ていた。
段上にはクロとアデルだけが残る。
「行かないの?」
クロは目線をずらすことなく尋ねる。
「さっきから断ってばかりだけど」
「僕は…僕には無理ですよ…」
「叩き込まれてきたじゃない。私達全員。今更失敗することもないでしょう」
「でも…」アデルは言葉を濁す。
「はぁ…」
クロは溜息をつくと壁にかかった大きな時計に目をやる。
「あと5分待ちなさい」
「姉上…?」
するとクロの目の前に背の高い男がやってきた。
「失礼。クロ王女様。私は貴人族のバージ・ノブルス。ここは一つ私と踊ってくださいませんかな?」
「とても魅力的なご提案ですが…」
クロはそう前置きするとにこやかに笑った。
「遠慮させていただきます」
バージ・ノブルスの顔が真っ赤になる。
「この俺の誘いを断ると言うのか!」
段上の会話は広々としたホールにおいてオーケストラの音色に掻き消される。
「いいから来い!」
バージ・ノブルスはクロの手首を掴むと引き寄せようとする。
「触るな!」
クロは手を振り解く。そして目の前の男を思い切り蹴飛ばす。
バージ・ノブルスは階段を転がり落ちる。
会場に一瞬のざわめきが走ったが、守衛二人がバージ・ノブルスを連れ出すとそれも落ち着いた。
「姉上…」
「ふん、アンタもこれくらい出来なきゃダメよ」
さらに階段を上ったところに座るイヴリス・サタナスは一瞬目を丸くするも、一人でに笑っていた。
そして再び会場の扉が開かれる。それは遠慮気味に一切の音を立てずにひっそりと開かれた。おかげで誰一人その存在に気づくことはなかった。
クロとアデルを除いて。
「カティファ!」
アデルは立ち上がると階段を駆け下りる。クロとお揃いのボールガウンの、水色のものをカティファは選んでいた。
「どうして…?」
「王女様が…」
「姉上が?」
アデルは階段の上に振り返る。クロは静かにウィンクを返した。
アデルはカティファに向き直る。
「その…すごく綺麗だよ」
「ありがとうございます…。嬉しいです」
アデルはカティファの手を取るとホールへと誘った。
その様子を満足そうに見届けたクロは、立ち上がると椅子の横の出入り口から脇目も振らずに出ていった。
――コンコンコン
クロの部屋のある離れと塔、その対象の位置あるもう一つの塔、そこにある地下室へと続く長い階段を降りた先に、一枚の扉があった。
クロはそこを3度軽くノックする。
「お入り」
部屋の中からの声に従いクロは扉を開ける。
卓上のランタン一つに照らされた暗い室内、壁全面に立て付けられた本棚とそれを埋める理路整然と並べられた書籍たち。
クロはランタンのそばにエルヴァットの花の花瓶を置く。
「これが言われていたものです。おばあちゃん」
「よく見つけられました。これは紛れもなくあなたが採取したものですか?」
「はい。誓って」そう答えるクロの顔を祖母は眼鏡の奥からじっと見つめる。
「いいでしょう。それでは続きを話してあげます」
そう言ってクロの祖母は口を開く。そしてぽつぽつと語り始める。
オシリスの羊の話を。
あれは私が十四の時。母親に連れられて私はキリスティナという街に滞在していた。そこで夢を見た。牢の中で泣く少女の夢を。私は飛び起きた。何故だか、居ても立ってもいられなくなっていた。助けてあげたいと、私は強く思った。
私は宿を飛び出した。その日は満月の夜だった。月は高いところから私を見下ろしていた。街の外れに続く一本道を、私はひたすら走っていた。何かに導かれるような、誰かに呼ばれているような感覚があった。
そして私は洞窟の中で、深い穴の底に落ちた。
目を覚ますとそこには棺があった。これだと、私は確信した。この棺が私を呼んでいたのだと。
しかし私が棺に触れると、火傷のような痛みを感じて、次の瞬間には気がつくと私は宿の部屋の中にいた。
私はこの話を博識だった祖母に話した。すると祖母はオシリス様とオシリスの羊の話をしてくれた。その昔に起きた魔族と人族の長きに渡る最終戦争。それを一瞬で終結させ、世界を再編成したオシリス様。その代償として、魔族と人族を
そして私にはオシリスの羊を探す使命があるということを、祖母は語った。何故ならそれは、私が祖母の孫娘だからだった。私こそが魔女だから。隔世代ごとの長女に受け継がれる〈魔石錬成〉のスキルの継承権が私にあった。
「話はここまでよ。今晩はもう寝なさい」
クロの祖母は話を区切るとクロに戻るように促した。
「はい。…そうだ、おばあちゃん」
「どうしたの?」
「私、マンドロスキロンと会話して、マンドロスキロンを操りました。これは私の力なのですか?」
「……。そう。それは王家の血の力よ」
「そうなんですか」
「扱いには十分注意しなさい。王家の身分をひけらかす真似はしないように」
「分かりました。それとあと…」クロは口籠る。
「ええ。明後日の晩にまた来なさい。次の課題も用意しておくわ。頑張るのよ、魔女見習いさん」
「はい!おやすみなさい。おばあちゃん」
「ええ。おやすみなさい。クロ」
クロは祖母の部屋を後にした。
クロの祖母マギッサは暖炉のそばのロッキングチェアに腰掛ける。
「はぁ…」と、一つ息を吐く。
――エルヴァットの花畑は王家の血を引かぬものを拒む。アデルは実子、カティファもメイドである以上分家の末裔であることは明らか。シマホスもそれは承知のはず。やはりクロが王家の血を引くことは間違いない。……しかし。彼女の魔法は〈魔石錬成〉ではない。生まれながらに一つと決まった生得的魔法…その彼女の魔法は全くの別物。
「オシリス様…」
マギッサは呟く。
「お導きください。あの時のように」
〈神判の日〉まで残り1752日
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