第48話 逢着
〔これまでのあらすじ〕
黙示録の獣を撃破したシロとクロ。しかし仲間と離れ離れになってしまう。一方、遭遇したバンゲラに敗北を喫したパウクとイグニスはヴィトラとミヅイゥを置いて単独での行動を始めてしまう。
〈神判の日〉まで、1年の半分が終わろうとしていた。
エルヴァットの花を探すため、裏門から城を抜け出したクロ、アデル、カティファ、シマホスの4人は豪雨の中を歩き始めたのであった。
日を跨いで午前2時前。
一行はアントス山を登り始めていた。
雨の勢いはようやく落ち着き、しとしとと降る暗闇の中を歩いていた。山の中に灯りなど一切無く、クロ、カティファ、アデルは前を行く背中だけを見つめて追いかけることに集中していた。
「皆様、足元にはどうかお気をつけ下さい」
先頭を歩くシマホスが忠告する。手入れの施されていない山道には大小様々の下草が生い茂っていた。
雨音の中にカサカサと葉の擦れる音がする。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
クロは細かく息を吐いていく。
「王女様、お休みになられますか?」
振り返らずにシマホスは尋ねる。
「いや、私はまだ大丈夫」
「左様ですか」
「それよりも…」
クロはカティファとアデルの様子を見る。
「やっぱりどこかで少し休みましょう」
「承知しました」
やがて長い雨は止み、深夜の空では雲が流れていた。
アデルとカティファは岩の上に腰掛けていた。魔王城で筒に汲んだ水を2人で飲んでいた。始めは勿体ないと躊躇していたカティファであったが、シマホスの勧めもあり結局口にしていた。おかげで幾分か楽になったようである。
クロは足元に生えた植物を本で調べている。シマホスは周囲の見渡して状況を確認している。
クロはシマホスに言う。
「そろそろ見つかってもおかしくないところだけど、まだ見られないわね。もう少し登ってみましょう」
シマホスは答える。
「高原まであと少しです。ほら、あの斜面を超えた先が少し平たくなっているのが見えますか?」
「暗くてよく見えないわ」
「月が隠れたままですからね」
カサカサと草の葉が揺れる音がする。
「シマホス…感じる?」
クロが身一つ動かさずに囁く。
「ええ。何かが…」
「ゴアアアアアアアアアオ」
瞬時に振り返るクロとシマホス。2人の背後にはまさに飛びかかろうとするマンドロスキロンの姿があった。
シマホスはクロを抱き寄せるとすぐさま迫り来る猛獣を避ける。
「ゴアアアアアアアアアオ」
体長5メートル程の巨大な虎は鋭い2本の牙を携えた口を大きく開けて威嚇する。
「王女様!ご無事ですか?」
「ええ」
シマホスはすぐさま周囲を確認する。
「しまった…ッ」
木々の中から3頭のマンドロスキロンが現れる。
「王子様とカティファを連れて高原を目指してください。後方から援護します」
シマホスがクロの手を取って起こすと、クロはアデルとカティファのもとに走り出す。
その隙をマンドロスキロンに狙われる。クロの脇から獰猛な獅子が飛びかかる。
シマホスは剣を抜くとその個体目掛けて投げつける。剣は腹を貫くと獅子を地に伏せさせた。
クロはアデルとカティファの座る岩まで辿り着く。
「姉上!」
「走るよ。立って!」
シマホスは飛び上がって剣を抜き取り、3人のそばに着地する。
「さあ早く!」
シマホスに促され、3人は小石の転がる斜面を高原目掛けて走り出す。シマホスは後を追いながら、迫りくるマンドロスキロンを相手取る。
――すまない、山の主たちよ。災難にあったと思ってくれ。しかしどうして…。何故私たちを拒む?何が彼らを怒らせた?
右手には岩の壁が高く伸び、左手には崖が広がる斜面を、アデル、カティファ、クロの3人が登り切ろうとしたその時だった。目の前に現れた4頭目が力強く吠えた。それは群れで最も体の大きい長だった。
「ゴオオオオオオオッッッ」
クロはアデルとカティファを押しのけると群れの長の前に立つ。
「姉上…」
「王女様…」
「ここまで連れてきた私の責任よ。2人は動かないで」
長はゆっくりとクロに近づく。その両目はクロを捉え続けていた。
「ブルルルルルル」
長は標的に舌を鳴らす。威嚇の仕種である。クロも長の目に睨み返す。
両者の間に静寂が走る。
「ゴアアアオッ!」
クロの背後で、シマホスと対峙するマンドロスキロンが吠えた。クロの意識が一瞬だけそちら側に奪われる。
その隙に目の前の長が大きな口を開けてクロに襲い掛かる。
クロは右腕を伸ばす。群れの長は差し出された腕に噛みつく。クロは右足で強く地面を蹴る。浮かび上がった両者は、そのまま崖下へと転落する。
「姉上!」
「王女様!」
2人の声を聞いたシマホスはすぐさま視線を送る。そして落下するクロとマンドロスキロンの姿を見た。
「王女様あああああッッ!」
山の主に躊躇していたシマホスであったが、すぐさま彼らの首を落とした。そしてアデルとカティファのもとに走る。
「王子様!カティファ!ご無事ですか?」
2人は声も出せずに頷く。シマホスは崖下を見る。そこには鬱蒼とした森が広がり、クロを見つけることはできなかった。
「王子様、これを」
シマホスはアデルに自身の剣を差し出す。
「いざという時は戦ってください」
「シマホス!?行くつもりなのか?」
「はい」
再びシマホスは目線を崖下に向ける。
――行くしかない。今王女様を探すことができるのは私だけだ。
「王女様はご無事です。あの方はお強い。だから手遅れになる前に見つけ出さなければ」
そしてアデルとカティファを見る。
「あなた方は進んでください。王女様ならそう言うでしょう。すぐに王女様を連れて合流します」
アデルは腕で両目を擦ると、カティファの手を取った。
「必ず姉上を見つけ出してくれ」
シマホスはその場で跪く。
「仰せのままに」
アデルとカティファを見送ってから、シマホスは崖下を見つめていた。
――流石にこの高さは足がすくむな。私はオークだ。多少力が強いだけで、空を飛べるわけではない。
「魔術開放。〈
――それでも、やらねばならぬ時がある。
シマホスは崖下へと飛び降りると、右手を崖に擦らせる。そのまま落下の勢いを調整しながら降下を続けた。
マンドロスキロンの唸り声が聞こえる。
クロは目を覚ました。すぐそこにマンドロスキロンの顔があった。
「ブルルルルルル」
歯を噛みしめ、舌を鳴らして威嚇する。クロはマンドロスキロンの群れに囲まれていた。
――なんとか助かったけれど、ここまでか…。
そう諦めかけた時だった。クロの背後で、クロを襲った個体がゆっくりと顔を上げると、クロと、彼女を威嚇する個体の間に割って入った。そしてクロを庇うように、自らの仲間をなだめる。
――どういうこと…?
クロを庇ったマンドロスキロンの長は、クロに向いて4つ足を曲げて平伏すると、地面に滴るクロの血を舐めた。その時クロは、自らの右腕から溢れる鮮血に気づいた。
『歴代の勇者たちは、力を手にしたその瞬間から、自然とその力の使い方を知っていた』
――英雄記第13章第5節の記述。
クロは静かに右腕を天に掲げる。その姿を目にした群れの全ての個体がその場でクロに平伏した。
シマホスは木の上に飛び移った。彼の右手の指の皮は完全に剝がれ落ちていた。そして枝の上で、彼は妙な音を聞いた。それは無数の足音であった。シマホスは目下の小道を何者かが通る姿を目撃した。
その者たちは動物の骨や牙の装飾を甲冑に括り付けていた。
――近年台頭を始めた、盗賊集団とやらか。名は確か…ラドロンティ族。寄せ集めの集団が、族を名乗るなど言語道断だと言ったその領主は、その土地ごと何もかもが無くなったと噂されている厄介な連中だ。そんな奴らがどうしてここに?
シマホスは暗闇の中で目を凝らす。連中は何かを運んでいた。その何かをつかもうと、彼はさらに目を細める。
――そういうことか。
シマホスは横たわった姿で運ばれる四足獣を見た。
――マンドロスキロン。それが奴らの狙いだ。…だからか。だから山の主がこれほどまでに殺気立っているんだ。
そしてシマホスはその場で山の慟哭を聞いた。衝撃が足元から登ってくる。ドッドッドッというリズムが木々を揺らす。
見下ろした木々の根本をマンドロスキロンの群れが駆けていく。
――なんだ?
その最後尾をゆくマンドロスキロンの背中に跨るクロの姿をシマホスは見逃さなかった。
自らの伸長の6倍はあろう高さの木の枝から飛び降りると、離れていく背中に叫んだ。
「王女様!」
マンドロスキロンの群れはその場で止まり、ゆっくりと声の方に振り返る。
「シマホス!」
クロは最も信頼を寄せる男の名を呼んだ。
「行くぞ」
「仰せのままに」シマホスは即答する。
アントス山の麓に広がる森にラドロンティ族の拠点はあった。
彼らはそこで捕らえたマンドロスキロンの個体から皮を剥ぎ、牙を抜き取っていた。そして肉を割き、骨を適当な大きさに砕いていた。
マンドロスキロンの毛皮は絨毯や衣服、刀や槍の鞘の装飾に使われ、牙は工芸品の原料や印章の素材の他、ピアノの鍵盤などにも使われる高級品であった。また肉は珍味として、骨は刃物やコレクションの対象としても重宝されている。
そのためマンドロスキロン一体でも数千万から数億の価値があった。しかし彼らは外界から隔絶された山奥でひっそりと暮らしており、その姿を目にすることがそもそも珍しいことであった。
だからこそラドロンティ族は彼らに目をつけたのであった。強盗、窃盗、詐欺、密猟、それらを生業として生きてきた者たちの寄せ集め集団であるラドロンティ族の技量はそこらの密猟業者よりも圧倒的にハイレベルであった。誰もが一度は夢に見、そして諦めるマンドロスキロンの乱獲も彼らは成し得てしまったのだ。
「そうはさせるか」
クロの声に解体を続ける者達の手が止まる。すでにラドロンティ族の連中は、マンドロスキロンの群れによって包囲されていた。
クロとシマホスはそれぞれ背から飛び降りる。
「「「ゴオオオオオオオッッッ」」」
群れが一斉に咆哮を上げる。その声に森は震えた。
マンドロスキロンはラドロンティ族に飛び掛かる。もはや逃げ場はない。牙は体を貫通し、四肢は無惨に引きちぎられる。首を噛み潰される者もいれば、頭を踏みつけられる者もいた。
クロはその様子に戦慄していた。軽々と命が失われていく有様に目を背けることもできなかった。
シマホスはそんなクロの肩を掴むと惨状に背を向けさせた。
明けぬ空の下、アントス山の麓の森で、ラドロンティ族の断末魔が響く。
クロは目と耳を塞ぐとその場にしゃがみ込んだ。
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