第47話 暗雲、晴れることなく

〔これまでのあらすじ〕

黙示録の獣を撃破したシロとクロ。しかし仲間と離れ離れになってしまう。一方、遭遇したバンゲラに敗北を喫したパウクとイグニスはヴィトラとミヅイゥを置いて単独での行動を始めてしまう。

〈神判の日〉まで、1年の半分が終わろうとしていた。


その日も、強く雨が吹き付ける日だった。

暖炉によって仄かに照らされた図書室の一角、パチパチと鳴る薪の音をかき消すような雨音が室内に響いていた。しかしそこには静けさがあった。少女はそこにいた。

――ガチャ。

扉が開く音がする。少女は音の方向を見る。

「ここにいたのですか。姉上」

廊下から光が差し込む。

「閉めて」

少年は姉の言葉に従う。少女は再び本に目を落とす。

少年は姉に近づく。一人掛けソファに腰掛ける姉と机を挟んだ向かいに少年も座る。机の上にはいくつもの本が積み重ねられていた。少年にはそれが壁のように感じられた。

「姉上…」もじもじと考えてから、少年は意を決して壁の向こうに声を掛ける。

反応はない。雨音が鳴っている。

「あ…姉上」

「聞いてる」

少年の顔がぱあっと明るくなる。

「お願いがあります」

「……」

少年は続ける。

「エルヴァットの花を探しに行きたいのです。どうかお力添えをお願いできませんでしょうか」

「…なんで」

「とても美しい花だそうです。一度見せてあげたいのです」

「誰に」

「それは、その……」

「カティファ?」

「……はい…」少年は恥ずかしさのあまりに消え入りそうな声で答える。

「花言葉は確か…永遠の愛だったかしらね」

「そうなのです…」

「馬鹿みたい」

「そんな…」

「知らないようだから教えてあげるけど。エルヴァットの花は雨上がりの一時間しか咲かない花なの。それも気温の低い草原でね」

「…知っています!だから姉上にお願いしているのです。僕一人では見つけることはできませんでしょうから…」

「言ったわよね。馬鹿みたいって。私は忙しいの。あなたに付き合っている暇はない」

「姉上はいつも…何をされているのですか?いつも一人で何かをされているようですけど」

「うるさい。気が散る。いいから消えて」

「はい…」

少年はゆっくりと立ち上がり、図書室を横切って扉の向こうに消えた。

「はぁ」

クロは一つ溜息をついた。


「王女様。御就寝の支度に上がりましたわ」

「ええ。入って」

「失礼いたします」

クロは自らの寝室でも読書を続けていた。

「入浴は済まされましたか?」

「ええ」インナーにピンクのシアーを羽織ったクロからは石鹸の甘い香りを匂わせていた。

「左様でございますか」

メイドはてきぱきとベッドメイクに取り掛かる。

「王女様はいつでもお上品でございますね」

「どういうこと」クロは本から目を離さずに尋ねる。

「お食事も入浴もあっという間にこなされて。わたくしの憧れでございます」

「一人が好きなだけ」

「左様でございますか」メイドは優しく言う。

会話はそこで途切れる。雨はまだ強く吹き付けていた。

「今回の雨が激しいですね」

「仕方ないわ。季節だもの」

「そうですね。雷が鳴らないといいですね」

「うるさい。…もう怖くないし」

「ふふふ。一緒に寝たこともありましたね」

「はぁ…。全く。こんなののどこがいいんだか」そう言ってクロもフッと笑う。

「何かおっしゃいましたか?」

「別に。それよりカティファ、後でシマホスを呼んでおいて」

「承知いたしました」

ベットメイクが終わるとカティファはクロの寝室を後にした。


――コンコンコン…コンコン。

クロの寝室の扉が叩かれる。ノックが三回の後に続けて二回。

「入って」

「失礼いたします。お呼びですかな、王女様」このノックの音がシマホスの合図であった。

「ええ。あなたが城にいてよかった」

「この雨なのでね。それで今度はどういった御用で?」

「シマホスはこの城を抜け出せると思う?」

今までクロの無茶な要求に従ってきたシマホスでさえ、目を丸くした。

「家出でもお考えですか…?」

「いや違うのよ。花が見たくなったの」

「花…ですか」

「そこの本。読んで」

「はぁ」シマホスはそばの机の上に乗っていた本を手に取る。それはカティファが来た際にクロが読んでいたものだった。

「エルヴァットの花、ですか」

「季節はちょうどいい。雨が上がった一時間だけ、草原に咲く花。見られると思う?」

「王女様もご存じの通り、草原なんて近くにありません。ただこの雨の中を行けば、可能性は」

「そうよね。だからあなたを呼んだのよ」

「なるほど…。では出発は明日の晩ですね。明後日の早朝には止むようです」

「分かったわ。よろしく」

「しかし意外ですね。王女様がお花などど」

「見たいのは私じゃない。2人連れがいるから」

「承知しました。準備しておきます」

「ええ。それじゃあおやすみ」

「はい。おやすみなさいませ」


翌朝。

「おはようございます。王女様。お天気はまだ優れませんけれども…」

「そうね。カティファ、今晩馬鹿を連れてシマホスのもとに向かって」

「アデル様を…?承知いたしました」


その後クロは裏門を訪れていた。

「王女様!?いかがなされましたか」

「今晩の門兵は誰?」

「急遽欠員が出まして、今晩は私目の担当でございますが…」

「そう。それは好都合ね」

「…と言いますと?」

「ランセル、夜更けと共に出発する予定があるの。門を開けてくれるかしら」

「本来なら禁止されているのですが…。確認してみます」

「ダメ。貴方が開けるのよ。このことは誰にも言わないで」

門兵のランセルはしばし考える。

「承知しました。王女様のご要望でしたら…。ただし翌朝6時に交代になります。それまでに戻られないようならばお開けすることができません」

「分かったわ。ありがとう」


――コンコンコン…コンコン。

「入って」

「お呼びですかな」

シマホスはクロの書斎を訪れていた。扉を閉めるや否や、人差し指を立てて口に当てる。

「全くあなたも人使いが荒いですね…。図書室から本を取ってこいなどと…」

シマホスが喋っている間に、クロは近くの紙に走り書きをする。

『今日の門兵はランセルだそうよ』

「ありがとうシマホス。これを探していたのよ。自分では見つけられなくてね」

「左様ですか。幸運でしたね。すぐに見つけられてよかった。こちらはパンテールの実に関する書籍ですね。天気が回復したら採取にでも行くのですか?」

「そうね」

「どちらまで?」

「発見された記録のある場所ではズバラ平原」

「山を越えた北側ですか。しかし少し距離がありますよ。お時間の方が…」

「それが問題なの。だからアントス高原に行こうかと思っている」

「南のアントス山の中腹にある高原ですね」

「緯度的には生息区域には引っ掛かっていないんだけど、標高が高いから生育している可能性はあるわ。文献では確認できなかったけどね」

「魔王城周辺を調査できる研究者も限られていますからね。それこそ王族の方でもなければ。時間的にもアントス高原が限界でしょう。日夜読書に没頭されるのも構いませんが、体調を崩さないためにも真夜中まで起きている際には日中に十分休息をお取りになってくださいね」

「分かってる。でもそれは私だけに言うことじゃないでしょう?」

「おや、これは痛いところを突かれましたかな。皆様にしっかりとお伝えしておきます。ところで、今晩は何時にお食事をとられますか?」

「そうね。6時にするわ」

「承知いたしました。それでは失礼いたします」

シマホスはクロの書斎を後にした。長い廊下を進んでいく。

「シマホス」

通り過ぎた扉が開き、彼の同僚が姿を現す。

「おや、キアヅマさん。こんなところで何をなさっているのですか」

「こっちのセリフだ」

キアヅマはシマホスを部屋の中に押し入れる。

「王女様に近づくのはやめろ」

「私は探し物を届けるように言われてただけです。何もいかがわしいことはありませんよ」

「そうじゃない。お前の心配をしているんだ。どうしてわざわざ隔離されている人のもとに行くんだ。あの人は異質だ。担当するメイドはただ一人と決まっているし、ほとんど離れの塔に籠っている」

「唯一の女性で王も扱いに困っておられるのでしょう」

「お妃様も黙認しているではないか。やはり王女様には何かがあるんだ。関わらない方がいい。まさかお前…何か知っているんじゃないだろうな?」

「私は何も。ただ兄弟の皆様と同じように扱っているだけですよ」

「だよな。お前はそうだよな…」

「そろそろいいですかな。まだやることがあるので」

「あ、ああ。時間を取らせちまって悪かったな」

「いえ。お気になさらず。落ち着いたら食事にでも行きましょう」

「そうだな。そいつはいい考えだ」

「ええ。それでは」

シマホスはキアヅマが隠れていた部屋を後にする。

――ここまで後をつけてくるとは。王女様の計画が漏れているわけではなさそうだな。カティファとランセルだけならば問題ないはずだが…。ランセルのもとに行く際に誰かに見られたか…?やれやれ。伊達に12歳なだけはあるな。


「何用だ。シマホス」

「はい。王女様の件でございます。大王様」

シマホスは片膝を立て、頭を下げながら伝える。

「クロがどうした」

「王女様を怪しむ輩が増えてきました。先程、二十五部隊副指令キアヅマに詰問を受けました」

「何を喋っていた」

「問題のあることは何も。ただずっと離れにいることを不審に思っているようです。私も近づくなと言われました」

「そうか。…ここは一つ手を打つか」

「はい。司令陣を招待するダンスパーティーなどいかがでしょうか」

「ふむ。クロはどうする」

「もちろん出席させます」

?」

「利害は分かる方です」

「分かった。企画を命じる」

「仰せのままに」

「すまないなシマホス。貴様にばかり押しつけて」

「何一つ問題はありません。王女様のお世話も私の仕事ですので」


カティファが廊下の角を曲がると、そこにはシマホスがいた。

「きゃっ」

「どうも。弟君を連れて日が終わる2時間前に裏門に来てください。ピクニックに行きましょう」

シマホスはそれだけ伝えるとそそくさとカティファが来た方へ行ってしまった。

しかしカティファにはそれだけでおおよその検討がついていた。


そして22時。裏門前。雨具を身に着けた三人が集まっていた。雨は未だ強く降り続けている。

「カティファ…どうしたんだ一体。こんなところに連れてきて」

「お待ちしておりました。アデル様」

「シマホス!」

「できるだけお静かに。つけられてはいませんよね?」

カティファが頷く。

「結構。揃いました」

シマホスの声でクロが門兵室から梯子を伝って下りてくる。

「姉上!!」

カティファがアデルの口元を押さえる。

「姉上、これは一体…」

クロは右腕を上げる。合図を受け取ったランセルが鎖を引く。裏門が開かれる。

クロはシマホス、アデル、カティファを順に見回すと言った。

「行きましょう。エルヴァットの花を見つけに」



アデルは死んだ。彼が〈怒号雷鳴グロムバラック〉で発生させた暗雲は晴れることなく、やがてその場に強烈な雨を降らせていた。

その雨はクロにかつての記憶を想起させた。

首のない骸を見つめて立ちすくむクロ。雨が強く打ち付けることも構わずに。

そんなクロにかける言葉をシロは探していた。

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